▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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江古田から西武池袋線に乗って石神井公園で下車。学生時代にアルバイトをしていた、駅前の書店へ寄ってみました。一応、変装のためマスクをし入店。何となくドキドキしながら、見つからないようにうろつき、なにげに自分の本なんか探してしまいます。店の奥でリストらしき書類に見入っている人がいる。当時、兄貴のように若かった店主が白髪頭になっていました。 もし「ご近所富士山」があったら、それをネタに何十年ぶりかの挨拶も悪くはない、なんて思いながら店内を探しました。でも、同じ+α新書で同日発売の他の本はあったけど、私のは見つかりませんでした。売れたのか、発注しなかったのか。元、トーハン(東販/書籍流通会社。講談社も大株主です)の社員だった店主のこと、発注には人一倍綿密に新刊リストに目を通します。もし注文する際に私の名前(を覚えていて)に気づいていたとしたら、ちょっと面白い再会にもなったはずですが。。。 この書店でバイトしながら(返品作業なんかも)本の流通のしくみや、面白さも知りました。雑誌の発売日を覚えたり、芥川賞、直木賞が発表されるとすぐ、作家の情報収集したり。「図書新聞」や「本の雑誌★」を眺めたり、お客がいない時には「遊歩大全」なんか読んでアウトドアに憧れたりして。。。楽しい現場でありました。 ★ちなみに、WEB本の雑誌には「林カケ子の新刊番台」に「ご近所富士山の謎」も載ってます。ちょっとウレシイ♪ 富士塚と関係ないことで長くなりました。石神井公園駅からバスに乗り、北を目指しました。親の家へ向かうためです。着いたところは、かつて友人たちから「練馬のチベット」とからかわれたあたり。昔はあまり交通の便がよくなかったもんで。今は住宅が増えてバス路線も多くなりました。 親の家で一泊し、翌日母と一緒にすぐ近くの八坂神社へ向かいました。正月は独特の清涼感があります。 それは、富士塚にも。登山口には背の高い竹が植えられ、門松が飾られていました。 猿に挨拶し、 登り始めの鈴原神社に供えられた鏡餅を見つけたり。 ふと見上げると、頂上には子供を抱き上げる人。子供は、下で待っている家族に手を振っているようでもあり、遠くの富士山に話しかけているようにも見えました。
中里富士の星祭りの後は、都心を横断して帰路につかず、
翌日のため、練馬区に滞在しました。(清瀬市から練馬区は近い) そして翌日。 富士塚を富士塚として意識していなかった頃からの、私の富士山、 大泉富士へ、出版の報告とお礼に行ってまいりました。 前回来たのは8月1日のお山開き(右)。 冬になると、植木の色はこんなに変わります! 風景としては寂しいですが、人がよく訪れるので寂しくないです♪ 頂上で手を合わせ、感謝の気持ちを伝えた後、正面の斜面を見下ろす。 足元には、九十九折りの登山道がくっきりきれいに見えていました。 感無量。 ありがとう♪大泉の富士山。私の富士塚のルーツです。 正確には、自分で作った富士山【はじめてのふじづか】のほうが、ずっとずっと昔なんですけどね〜(笑)。 今年は、富士塚を本という形で表現することができて、 本当にいろんな方に感謝しています。 一方、自分の中の原風景にふれる機会も多かった年です。 なぜ富士塚に惹かれるのか、何度も何度も向き合った年。 記憶の奥にある何が今につながっているのか、それを辿って 再認識したことや感覚は、予想以上にたくさんありました。 また、ウチの先達(十数度の登山経験のある母)の豊富な知識も 助かったし、関わりある人にも恵まれておりました。 今年の春、一見富士山信仰と無関係に見える「熊野詣で」に 行けたことも、実はとても大きな縁だったと思います。 可能性の糸は張りめぐらされている。 それをたぐりよせるかどうかは、自分がオープンになること から始まります。意識無意識は別として。 熊野に導いてくれたのは、南方熊楠と交流のあった私の祖父の、 ちょっとしたギフトだったような気がします。 田辺市の闘鶏神社(熊楠夫人の実家)でいただいたお守りには 「極」の一文字。ちょっとここらでひとつ集中して作業をしなさい、 とそんなメッセージを私に贈ってくれたのかもしれません。 熊野へ行ってから、富士講のことが少し厚みを持って理解できた 気もするし。(熊野と富士講は無関係でもないですけど) さて、間もなく年が明けます。 初詣には、甘酒すすりながら、家の近くの浦安の富士塚へ 行くでしょうが、登拝は。。。 また、大泉富士からスタート! 富士山には、きっと子供達がいっぱいいるはずです! 昔の私たちのような、元気な子供達が。 では皆さん、富士山と御三幅(ござんぷく)に向かって、 アリガトウゴザイマス。 ささ、冷たいの持ってきて〜。 さあ皆さん、今年もよく集まってくださった。お疲れさまです。かんぱ〜い。 いつもいつも、回覧板も回さずとも必ず8月朔日(ついたち)の1時にはちゃあんと集まってくれて、富士山をお掃除してくれて、ご苦労様でございます。どうぞ喉を潤してください。 と、一族のMKさんが御挨拶。 ちょっくら直会の様子を富士山はどんな風に見ているのか、富士山目線になってみるために、登ってみましょう。なるほどなるほど。「皆さん今年もありがとう」と言っていそうですね。笑 御三幅はまた来年。ふろしきには、丸吉講M田と書かれてありました。御三幅をしまいながらMHさんは「自分は富士山には1回しか登ってないんだけどね、代々これを預かっているんですよ。一応先達(講元)の家って言われてね。私のおじいさんがすごかった。ほら、あそこに名前があるだろう?」 確かに石碑には、すごい回数の登山歴が刻まれていました。 皆様、いろいろ見させていただいて本当にありがとうございました。有り難いひとときをすごせました。私が子供の頃からよく登っていた富士山の、知らなかった一面を見ることができ、本当に嬉しいかぎりです。また遊びに来ますね〜。 石神井氷川神社の神主O様もありがとうございました!
いつか富士塚の上空にもUFOが出現すると思っていますけど(笑)、この日はdocomo号がお山開きのお祝いに駆け付けてくれました。。。なんてね。でも、富士塚にブリンプなんてとてもお似合いです♪
さて、 空の物体がお山の向こうに消えた頃、 八坂神社の境内に 集まっていた人たちが、 大泉富士の掃除に集結。 見事な植木の刈り込みや、 細かい草刈り、 塚の裏まで綺麗に整えて、 お山はみるみるうちにさっぱりしてきました。 「このへんに、笹竹を立ててっと。。。」 「今度はこうして横に渡して。。。」 「縄を結わいて。。。」 もうちょっとしたら 始めるね。 「御三幅」を日の下にてお披露目です。 講元のおうちに代々伝わるこれ。お馴染みのお姿です。 つづく。 たいていひとつの富士塚について、20件近くの記事が書けるのですが、ついマニアックになってしまうので、これでも的をしぼって書いているつもりです。大泉富士に関しては、思い出中心。でも、古い画像を見てみたら……やはり発見もありました。 「経ケ嶽」の石碑です。 経ケ嶽は、この夏に行った「千葉の五井富士で初めて見た!」と思っていたけれど、大泉富士にもあったんだ〜と密かに喜んでしまいました。 教訓!!!富士塚を味わうには、3度は通え! (大泉富士は限りなく行ってるんですけどね〜) 中里富士とも、八坂富士とも呼ばれています。 中里富士は同名の富士塚が清瀬市にあるので、区別するため一般的にはそう呼ばれませんが、なじみがあるのは「八坂のふじさん」。八坂神社にあるからですね。(その一帯も八坂の名前が使われています。確かに坂だらけ!) 大泉とは言っても、広うござんす。大泉学園、東大泉、西大泉、南大泉、北大泉、名前も変わって北大泉が大泉町になったりと……。他にもあったかな?私が幼い頃に住んでいたのは南大泉。西武池袋線の大泉学園の近くでしたが、八坂富士に親しんだ頃住んでいたのは北大泉で、現在は大泉町と改名。こちらはどこの駅からも遠く、バスに乗って行きます。 さて、 昔、富士塚へのアプローチは現在使われていない坂です。この「富士浅間神社」と書かれた額のある鳥居の前はガケっぷちの草むらです。住宅がたくさん建てられた現在、一帯は入り組んだ地形になっています。 それにしても、頂上に目をやるとアンテナらしきものがジャマですね〜。 私が初めて自分で富士山を「つくった」のは、幼い頃ですが(笑)、もうちょっと大きくなって「富士塚」に出会ったのは、当時住んでいた練馬区大泉のこの富士塚です。家から歩いてすぐ。気分転換によくふらっと出かけました。 その頃この塚を、ぼんやりと「イミテーション富士」と思っていた。でも富士塚マニアになって訪れてみると、石碑は多いわ歴史はあるわで、つくづく縁があったのねと思う次第です。 季節はずれの画像です。今年の正月のだから植木が茶色い。夏に行くと鮮やかな緑がうっそうとしていて、草いきれの中の登山が楽しかったりします。 ボク石ゴツゴツの東京東部の塚と違って、西部のそれは、植木で覆われていたり丘陵を利用したものが多いですね。これは約8mの大型。子供も大人も登って楽しんでます。 |
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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