▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
道案内してくださった氏子さんたちが去った後、私はしばらく富士塚に残ってその場の雰囲気を味わっていました。やはり富士塚は、お浄めや拝みをした後は独特の清涼感が伝わってきます。登拝するには、こういう時がいちばんオススメです♪ 森の中の一本道を歩いて、谷津公会堂まで戻って来ると、数人の氏子の方たちがまだいらっしゃいました。呼びとめられて、ビールをつがれたり供物のバナナをいただいたりしているうち、 「富士塚に興味があるの?え?この本書いたの?」(ちょうど「ご近所富士山の謎」を持っていたので、自己紹介のついでにお見せしました) 「へぇ〜。富士塚ってたくさんあるんだ!このへんで富士塚って言えば『どろっぷじ』だよな」 近くの荒幡富士のことを指しているのがフシギでした。だって地元には立派は「センゲンノヤマ」があるのに。もしかして、谷津富士は富士塚とは違う認識なのかしら??? などと考えているうち、ひとりが 「ちょっと待ってて。先達を呼んで来てあげる」 間もなくして、谷津講社の先達、内野氏がいらっしゃいました。恐縮です〜。 「あなた、TVに出てたでしょ。本も読みましたよ」 ひぇ〜、益々恐縮です〜。 「うちはすぐそこです。お見せするものがたくさんあるからいらっしゃい」 さらに恐縮です〜。でももちろん、喜んで! 先達のお宅に行くと、祭礼で着た行衣が3枚干してありました。 「ああ、こちらですね。今朝着てらしたのは」 そして、御座敷には「横須賀丸伊講」と「横浜丸金講」のマネキがありました。 え?どういうこと? なんと、内野先達は横須賀丸伊講の斎藤先達と横浜丸金講の岩岡先達と交流があったのでした。 そして、惜しみなく谷津講社の活動をお話になり、貴重な資料もたくさんくださいました。 ええー!いいんですか? 「いいんですよ♪ 『仲間』ですから」 これにはじ〜んときました。なんと有り難い言葉でしょう。講の方が、私に対してそう思ってくださることは、私にとってギフトです。そう言えばこの言葉、「仲間だから」は、他の先達からも言われたことがあります。 本当に嬉しく思います。これからも、謙虚に勉強させていただきます。そう思うのでした。 「先達、おいとまする前にお写真を一枚撮らせていただけませんか?」 ちょっとしたスナップを撮るつもりだったのですが、先達は干してあった行衣をさっと羽織り、カメラの前に立ってくださいました。さすが、これが正装ですね! 本当にありがとうございました。 以下、先達の親の代の頃の古い写真です。 大正13年の富士塚増築(高さを増した)の際の講の人々。前列中央が先達の父上。皆でクワを持っているのがわかります。土は、北側の残土(多摩湖付近)を使ったそうです。 これは、休憩タイム。富士塚の大きさ高さが見てとれます。
頂上を北側から仰ぐとこんなシルエットが見えます。
小祠と呼べる姿です。 頂上は、なんとも言えない穏やかな空気に包まれていました。 「浅間神社」と刻まれたこれは、大正6年5月5日、寄附によって建てられました。 本祭が5月5日と定められたのは、おそらくこの時からでしょう。 頂上に立つと意識が変わる。登山途中は「登る」という行為に集中し、山に対峙する自分がいるけど、いったん頂上に立つと、途端に意識は空間を滑り出す。 まわりをぐるりと見渡して、下界と自分、空と地面、今いる場所と遠方の富士山、宇宙と小さな塚、などなど、ポテンシャルな関係性をあれこれ思うのです。 これはひとつの富士塚トリック♪ 意識の変化。 私のリスペクトするアーティストの言葉に「アートとは、物事を違う角度から見るという行為」があり、私の座右の銘になっていますが、それをふまえればやはり、私にとって富士塚はアーティスティックな存在であります。 話が横道にそれました。とにかく、意識が変わるほどここは高い場所なのでした。 標高およそ160m。木々の間から富士山が見えます。(天候がもっとよければ) 何度深呼吸をしたでしょう。生まれ変わった気持ちになって下山を始めます。降り口は南側。 そうだった、そうだった。谷津のセンゲンノヤマは、少し高いところに、さらに盛り土をしてできているのだった。横浜の山田富士や西谷富士のように。でもそれって、やはりフシギな感覚です。(屋上に設置した「メタル富士」もある意味そうだけど)高いところの富士塚は、空に近いぶん、一層宇宙的(?)な感じがするのです。 富士塚をめぐる「宇宙感」は、折りをみて、たっぷりと考察してみよう。とにかく下山。 南斜面をたどり、西に下りる。するとそこには「金明水」「銀明水」がっ!!! なんということでしょう〜!「金明水」「銀明水」を表わすものはいろんな富士塚にありますが、いずれも石碑か小さな水鉢。でもここはホントの湧水! 人の手が加えられたとはいえ、これ以上の再現はないでしょう。 つづく。。。
大日如来が鎮座していました。古い富士講ですね。
市ヶ谷とか麹町とかの地名が読めますが、この地に富士講を伝えたという、星行(本名:鮎屋猪兵衛)の住む土地でした。人物に関しては、別の機会に書くことにします。 とにかく、神社社殿の右側から富士塚に登ることにします。看板には、 こんなふうに書かれています。道案内をしてくださった氏子のふたりのうち、おひとりが星行から教えを受けた藤七の末裔の方でした。 では、登拝いたします。見取り図はこんな。 登山道に足をかけ。 しばらく行くと たくさんの花に迎えられました。「すてき〜♪」 頂上付近になり、正面から登るのかと思いきや、左に進路を取り、お中道を時計まわりに歩きました。 小御嶽に拝み、 塚の北側(裏側)から頂上を目指します。木漏れ日が美しい。 ご案内くださったのは氏子の方々(富士講員ではない)ですが、祭礼のときと同じように歩いています。この道順は、渋谷区の千駄ヶ谷富士の開山式のルートに似ています。 つづく。。。 |
カレンダー
リンク
カテゴリー
最新CM
[03/20 芙蓉庵]
[03/08 masapi21]
[02/22 芙蓉庵]
[09/15 芙蓉庵]
[09/09 吉田 千秋]
[01/28 芙蓉庵]
[01/28 芙蓉庵]
[01/24 MASA]
[01/22 MASA]
[10/15 芙蓉庵]
[10/12 吉田 千秋]
[10/12 吉田 千秋]
[07/16 芙蓉庵]
[07/10 吉田 千秋]
[12/10 芙蓉庵]
[12/05 槇田きこり但人]
[06/22 nobuting]
[06/22 芙蓉庵]
[06/21 nobuting]
[03/14 芙蓉庵]
[03/11 武本Timothy]
[02/23 芙蓉庵]
[02/22 エバポリタン]
[09/06 芙蓉庵]
[09/04 ひさ]
最新記事
(11/28)
(02/12)
(01/23)
(05/02)
(09/06)
(10/13)
(04/09)
(02/03)
(01/27)
(01/23)
(08/19)
(07/22)
(07/18)
(05/13)
(05/05)
(03/06)
(01/24)
(12/30)
(10/15)
(09/30)
(08/26)
(08/19)
(08/12)
(08/06)
(07/30)
最新TB
プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(04/04)
(04/04)
(04/05)
(04/05)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/06)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/07)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/09)
(04/09)
(04/09)
mountains
|