▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
10月7日付の読売新聞に、十条富士の移転のことが記事になりました。 お山開きのこんな光景は、もう見られないんだな〜と思うと、やはり複雑な思いがします。 一昨年、富士講の方たちからお聞きした時の記憶が蘇ってきました。 「数年うちに、富士塚が削られるんです」 「えっ!?!?」 「目の前の岩槻街道の拡張工事が決まっていて、お富士さんの正面の石段半分までひっかかる」 「そ、そんな〜」 形あるものはいつかなくなる。なんて腹をくくってはいるつもりですが、毎年お富士さんのお祭りを楽しみにしている地域の人たちを考えると、とても残念です。移築されるとしても、その間はしばらく(約3年)祭りや神事が滞るとのこと。伝統行事が消えるのが哀しいです。 別の意味で、富士塚の取り壊しも残念です。 私も本の中で軽くふれましたが、実は、まだ調査結果の出ていないものがあったのです。 2008年のお山開きにここを訪れた時、講の方からこれを見せていただきました。 前の年に石段の修復をした際、段のひとつをひっくり返したら、「明和」の年号のある石祠の残骸だったというのです。 「もしこれが、富士塚の造られた年のものだったら、あの高田富士より古いことになるでしょう?あっちは安永だからね」 確かに、高田富士築造は明和の次の安永年間です。これがほんとならスクープです。 「だからさ、十条富士のこと本に書くならこのことも載せてほしいんですよ」 「でも、元和(げんな)って書いてある石碑もあるし、頂上の石祠にも。。。」 「そう。石祠にある明和の文字は、明治の文字も刻まれてあるから、信憑性はないってことだったけど、あっちがフェイクでこれが本物かもしれないし」 「う〜ん」 石祠の側面にある「明和」の文字と、奥宮の石祠正面です。 「元和(げんな)」とあるのは石祠の右下の小さな石碑と、塚の斜面にあるデカい石碑。後者は昭和に建てられたのがわかってますが。 結局、地元の研究者の方や学芸員の方たちともお話して、調査を待つってことにしました。 移転が決まったので、ウラ話をブログに書いたわけですが、おそらく今頃は西海賢二先生(←都内の調査は先生が担当されてます)たちが調査済みでしょう。富士講以外の石碑の可能性が大きいですけど。(よくあることだし〜) ところで、私はあまり年代や刻まれた文字にこだわらないほうなんです(フェイクがあったり文字に振り回されることだってあるかもしれないし)が、専門家にとっては大事な資料ですからね。じっくり調べていただきたいところです。 そう言えば、発見された石祠の件をある若手研究者に相談したことがありますが、「そんなの(柵の中だろうが)どんどん塚に入って調べりゃいいんです」と言われ、驚いた覚えがあります。いくら研究のためといえ、講の方たちに対して失礼なことはいけませんね。 塚は信仰している方たちのもの。彼らに敬意をはらってこそ真実に近づくというものです。 今年は、富士塚そのものにもいろいろと変化がありました。 今まで閉鎖されていた2富士が常時公開となったり、その逆も2富士。そして、取り壊し(移築含む)決定が2富士。知っているだけでこんなにあります。 時の流れには逆らえません。でも、いいんです。 天変地異で人が傷つくのではないですから。 大事なのは人のココロ。 ↓十条富士の最後のお山開きは、下の番組でも紹介されてます。 ………………………………………………………………………… ワンダーJAPAN TV「#9 東京の富士塚」 ★ 9月29日(水) 24:00 〜 24:30(まよなか) ★ 9月30日(木) 09:30 〜 10:00(あさ) ★10月 1日(金) 15:00 〜 15:30(ごご) ★10月 2日(土) 20:00 〜 20:30(よる) ★10月 3日(日) 11:30 〜 12:00(あさ) ★10月 4日(月) 18:30 〜 19:00(よる) ★10月 5日(火) 24:30 〜 25:00(まよなか) ★10月 6日(水) 24:00 〜 24:30(まよなか) ★10月 7日(木) 09:30 〜 10:00(あさ) ★10月 8日(金) 15:00 〜 15:30(ごご) ★10月 9日(土) 20:00 〜 20:30(よる) ★10月10日(日) 11:30 〜 12:00(あさ) ★10月11日(月) 18:30 〜 19:00(よる) ★10月12日(火) 24:30 〜 25:00(まよなか) …………………………………………………………………………
移築
道路のために・・・・・・
砂町富士はどうなったかな?
難しいね
砂町は、業者が出入り始めたみたい。(公園のあたり)
でも富士塚のほうはまだ大丈夫。 宮司さんから連絡入るはずなんだけど、今のところまだ。 どうなったかな〜。
消えても
その富士塚とめぐりあい、日々の生活の中でふと、その富士塚を見れた人たちは、知らずにでも、昔の人たちからの思いに触れたことと思います。
ありがとう
私もきっとそうだと思います。最近、富士塚を訪れるたび、昔の人と交信している感じが強くなりました。ありがたいと思います。
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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