▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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東耕地の仙元宮には、富士山赤御影と水盤のマークのほか、
ふたつの石碑が特徴です。



木の幹に喰われた碑と、バッタンと倒れた塔は、
墓石と言うか供養塔というか。。。戒名が彫られています。



右の石には、「中興開山ゴウクウ妙王光清」と読めます。
中興と言えば、それに続く食行身禄の名を見ることが
多いのですが、ここでは村上光清。

村上光清は、身禄とは別の流れを組んだ村上講のリーダー。
南関東の富士講とはちょっと違う講です。
(ざっくり富士講のひとつに言われがちですが)

村上光清も、富士山信仰の歴史の中で重要人物ですが、
(富士吉田では、今でも地元の人は親しげに
「光清さんが。。。」などと話しています)
くわしくはまたの機会に書くとして。。。

この仙元宮には、古い参道があって、舗装道路と平行に
民家脇から続いています。



坂を下りながら、茂み越しに西方向が見えました。



鎮守橋の向こうにセブンイレブンがまっすぐ見える!
その先にあるのが、西耕地の仙元神社。
つまり、かつてここから西耕地の仙元神社(富士塚)が
眺められたということでしょう!

坂を降りきって泰明堂整骨院の前に来ると、



(仙元宮登拝の際にはスルーしたけど)この碑があります。
鹿島神社が村社となったのはいつかわからないけれど、
その真向かいに仙元宮があるのは、なかなか気づかれないでしょうね。

ここからの行き先は、



もう一度鎮守橋を渡って、長途路川沿いに北上し、
樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮へたどり着くこと。



右に「鎮守橋」が見えます。(北側から撮ったところ)

それにしても、
「鎮守橋」が、かつて「仙元橋」という名だったとは、
オドロキでした(情報をくださったカフェオレさん感謝です!)。
「仙元橋」の仙元は、もちろん仙元宮を指しているのでしょう。

もうひとつ、



前方の橋を渡ると蜜蔵院というお寺に着くのですが、



この「寺橋」も、旧名は「行者橋」だったとのこと。
「行者橋」の行者は、長谷川角行のことです。

「鎮守」といい「寺」といい、
なぜあたりさわりのない名前に変えてしまうのでしょう。
(富士山)信仰の証が人の記憶から薄れていくきっかけのひとつは、
こんなことも原因だったりするのでは、と思ってしまいます。

さて、長途路川は水量の少ない小川ですが、重要な川。
長谷川角行がこの大月町にやって来て、このあたりに水垢離をした
行場があると伝えられています。
角行が川の堤に桜の木を植えたとの伝承から、2007年に
「長途路堤桜保存会」が発足され、しだれ桜64本が植樹されました。

角行の修行場は、足利市立美術館で催された「足利の富士山信仰」
の図録にあったマップだと、



みっつの仙元宮(神社)を結ぶ線でできる三角形のほぼ中央。
蜜蔵院近辺だと思われます。



自転車の右側がお寺です。
う~ん。この辺ぽいな~。

お寺の北東端に巨木がありましたが、この木の下に来てピン!



「間違いない♪」

図録が示す行場地点より、ほんの少し上流だけど、
巨木の下あたりは、何となく空気が違っていたから。

それに、ここから見える風景(北を向く)は、魅力的でした。



小さな円錐型の山がいくつも重なって、
何というか、安らかな空間をつくっています。

もちろん、角行が修行した当時と地形が変わっているかも
しれないし、木だってその後に生えたのかもしれない。

でも、何となくでもこの直感は、信仰の足跡をたどる私にとって、
過去の人たちの想いに触れた充実感がありました。
うん。それで充分。

ちなみに、角行が長途路川で修行をしたというのは、
伝承からして間違いないと思われますが、

足利市公式ページには、別の地点が載っています(p52)

これによると、長谷川角行の修行場が袋川で、
利保(かかぼ)になってる!?

まあ、穿ったことはここでは流すことにしましょう。
この後、行きたかったのは、



樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮です。

等高線を見ていただくとわかりますが、
この自然の山、ほぼ完璧な円錐型です。

つづく。。。





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っています。意外なところに
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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