▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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足利の富士塚めぐりレポは終わりましたが、ふたつばかり追記します。

まずひとつ。
大月町東耕地の仙元宮の「赤富士御影」にある人穴について。



↓私もメモっていますが、人穴の凹部分には黒く塗られた痕がありました。



材料は、墨かもしれませんし黒漆かもしれませんが、
いずれにしても、これは単に暗闇を現したとは思えませんでした。
それだけくっきりと黒くしてあるのです。
私は、何かを燃やした痕の表現ではないかと推測していましたところ、

今回、女浅間を訪れたことで、以前訪れた男浅間を思い出しました。



男浅間の中腹には洞窟がありました。

看板によれば、修験者がこの入り口で加持祈祷をしたため、
その炎によって天井の岩が焦げたとされています。



ということは、赤御影の人穴に塗られた黒い部分は、
この男浅間の洞窟の「コゲの表現」ではないでしょうか。

赤御影の制作年は明らかにされていませんが、江戸時代です。
ということは、男浅間の洞窟内のお焚き上げも、新しくて江戸時代、
もしくはかなり古くから行われていたと思われます。

現在この洞窟は「胎内」と名づけられているので、
船津胎内(富士塚にも再現されている)を彷彿とさせなくもないですが、

赤富士御影に創られた洞穴が「人穴」だとすれば、
男浅間の洞窟も、胎内ではなく人穴の再現ではないかと。
(本物の人穴にはこのようなお焚き上げの痕はありませんが)

樺崎町堤谷に食行身禄像が祀られていたように、
足利でも身禄は、尊師として丁寧に拝まれていたとは思いますが、

加持祈祷を施す修験者がいたり、赤富士御影に人穴が現されていたり、
何より角行が行をした川があることから、
足利には南関東とは違う信仰があったことは間違いありません。

あと1回つづく。。。






Facebook あり〼

コメント
Yeah!!
この富士山の木型について、同じように
考えていたのでうれしいです!
さらに言い切ってしまえば、木型の下の彫刻は
足利富士と浅間山ではないかと…
(明治の絵図では、「二城山」とも書かれる)

富士吉田方面からの赤富士に、足利富士と
人穴を取り入れたならば、最高のご当地御影
ですよね。

じつは、足利富士の胎内洞穴は富士山信仰に
詳しい方には評判が良くないようです。

「現存する胎内洞穴の中で、富士吉田胎内洞穴と河口湖船津胎内洞穴に次ぐ天然記念物。」
地区の観光協会散策マップ、この紹介文はちょっと…
せめて、「そう伝わっています。」くらいに…

富士山の溶岩樹型である、吉田・船津のような
胎内洞穴が、小さな山にあるはずもなく
女陰窟を焼くなどは、木花咲耶姫ならではと
感じますが(イザナミだったら大変です)

はじめて角行が足利に来訪したと伝わる年の
十数年前まで、ここは「富士山城」と呼ばれる
砦でしたので、もとは岩牢のようなものかと
思いますが、この地域で百日の水行をしたと
伝わる角行が、古くより富士山と呼ばれ
富士の遥拝も出来るこの低い山に登らない
理由はないでしょうし、そこに岩穴があったら
布教に利用するのは自然なことと思います。
【2013/03/18 06:02】 NAME[カフェオレ] WEBLINK[] EDIT[]
WOW!!
カフェオレさん、コメントと情報をありがとうございます!

やはり赤富士御影の穴は、足利富士の洞窟の「ご当地投影」ですよねー!

(富士山信仰と無縁だったかもしれない)行者たちが、お焚き上げをした洞穴を、
後世(角行の来訪後)の人たちが、

「人穴」と呼んだならば、富士山信仰者による角行へのリスペクトの証でしょうし、
「胎内」とするならば、(南関東の)富士塚に当てはめたとも考えられますし、

あるいは、修験道や仏教による「胎内巡り」の痕跡もなくはないかもですね。。。
(たしか、洞穴内には文殊菩薩を祀っていますし)

いずれにしろ、食行身禄ゆかりの船津胎内(溶岩樹型)とは無関係ながら、
看板や観光協会の紹介に「胎内」と書かれるのには、やはり違和感を感じますね。

後世の人間は、とかく、都合のよい捉え方をすることがありますから、
この場合もいろんな経路をたどったのでしょう。

角行当人はこの穴を見て、どう思ったのか面白いですね!
カフェオレさんが推測されるように、彼が布教に利用したかもしれませんね!

それにしても、赤富士御影の下部の表現(ふたつの山)が、
足利浅間山と浅間山(二城山)かもしれない、というのは興味深いです。
私も右の山はどこだろうと思っていましたので。。。
【2013/03/24 21:40】 NAME[芙蓉庵] WEBLINK[] EDIT[]
三つのピークにある城
足利にある浅間山は、切通しや鉄道敷設によって現在 相生山・女浅間などが切り離されていますが、元はひとつの山塊です。

この山塊の三つのピーク足利富士山・浅間山・坊主山にはそれぞれ城跡の遺構があり、戦国時代 小田原の北条氏に足利が攻められた際に富士山城は放棄されました。のちに北条氏が秀吉に敗れ(1590年)富士山城は廃城になったそうです。

足利の大月で見られる「北口開山」の文字は、女浅間神社から男浅間神社までの北口参道の開山のことだと思います。
線路のために北口参道が寸断され、参道を失った男浅間神社は荒廃したそうです。

渡良瀬川の河道の変化によって、生活圏が変化していた足利郡の田中村が梁田郡に編入したいと申し立てた村内絵図には、(足利富士山・浅間山)を「二城山」と記載しています。足利郡側からでは富士山城と浅間山城しか見えなかったことからくる名称でしょう。

距離のある「神社仏閣が(ほぼ)直線上に並んでる!」などと言う方を見聞きしますが… 足利にある動かない山と赤富士御影の関係を、同じ感覚で言えば(足利富士と岩穴)が左にあれば、右の山は足利の浅間山となります。
グーグルアースやカシミールを使って「直線上に並んでる~ ♡」的に見れば、足利富士山(岩穴)&浅間山~富士吉田方面から見た裏富士ということで、ご当地赤富士御影のデザインを(ほぼ)感じることができました。





【2013/03/25 05:09】 NAME[カフェオレ] WEBLINK[] EDIT[]
ふたつとない逸品ですね!
カフェオレさん、こんばんは。

浅間山(城)と富士山(城)の位置関係が把握しづらかったのですが、
男浅間つまり足利富士が浅間山(城)で、
その南東に続いているのが上浅間山(富士山城)で、
洞穴は、上浅間山(富士山城)のあるほうですね。

私が男浅間を訪れた時は、東参道から登って山頂へ行ったのですが、
上浅間山(富士山城)の頂上へは行かず、洞穴だけ寄って下山したので、
上浅間山(富士山城)の認識が曖昧でした。

Google Earthでも確認し、位置関係がわかりました。
富士山の方角を見ると、手前には、右に男浅間、左に上浅間山となり、
赤富士御影の通りですね。

立体の富士御影は各地にありますが、
足利赤富士御影のような、ご当地富士を組み合わせたものは、
他にはないと思います。

コンセプト性といい、造形美といい、本当に素晴らしいです♪
【2013/03/31 23:57】 NAME[芙蓉庵] WEBLINK[] EDIT[]


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富士山の溶岩をのせ、一合目
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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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