▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
東国分富士の途中でしたが、間にいくつも記事を挟んでしまったので、 簡単にreviewから。 市川市国分には、下総国分寺があり、立地は高台です。 左下の★が、坂の下の国分富士。路傍にあります。右上の日枝神社に目星をつけて、 目指したけど、 境内にない。高台の東はずれでここもいい条件なんだけど。。。 っと思って立ち去ろうとしたら、たくさんの境内社の左にちょこんと三角の石碑。 窮屈そうに立っているその碑が、夕陽を受けて光はじめました。 達筆な文字ほど読みにくい。 廿二夜? そう言えば社殿の裏にも廿二夜(講?)の石祠があったから、 その一環でしょうね。 碑の上部を見てみます。 富士山のマークと、「○」に「さ」。 国分富士の仙元宮碑の土台に刻まれていた、「○さ」とおんなじだ! やっぱり富士講の碑ではないか! でも、富士塚らしき痕跡がない。どうしよ。どうしよ。境内はすでに歩きまわって調べたし。 まあ、こういうことも時にはあるから、諦めて帰るか。。。 と、立ちつくしていたら、人の気配がしました。 神社の宮司さんか管理人かはわかりませんが、境内(もしくは隣接)にある 家屋(社務所だったかも)から、年配の男性が出てらして、境内に積もった落ち葉を 掃き始めました。 ちょっと様子を見てから、その方にたずねました。富士塚はありますかと。 先刻のフィギュアだらけのおうちのおじいさんにも似て、これまた穏やかな ステキな方でした。 「ええ。あったんですよ。」 場所は日枝神社の境内入り口付近。 残念ながら、その方も知らないほど昔のことだそう。 でも、貴重な証言を得て、東国分富士と断定することに。 あ、「塚の気配」と「碑」があるだけでも条件がそろっているので、 ワタシ的には富士塚です。 Facebook あり〼
「日経おとなのOFF」という月刊誌があります。
4月6日発売の5月号は、「おとなの江戸学入門」です。 東京スカイツリーのオープンを目前にして、江戸熱も高まっていますね。 データ満載の教養雑誌。読みやすいし、品があってステキです♪ 「江戸を感じる名所」では、専門家のお薦めランキングとして、 坂道、低山、そして富士塚のベスト5が紹介されています。 僭越ですが、「富士塚ベスト5」は私による選出でした。 選びきれない富士塚の中、お江戸と言えばやはりこのランキング。 テッパン中のテッパンではありますが、やはりここをおさえとかなきゃね。 もちろん、あれも入れたかったし、それも落としたくなかった。。。 逸品だらけの富士塚ですもん。 「富士塚ゆる散歩」も紹介していただけて、ウレシイです♡ Facebook あり〼
【富士山の世界文化遺産を目指して】Mission Mt. Fuji-The Road to the World Heritage
を合言葉に、 このWEBサイトがあります。 富士塚好きは、223(fujisan)な人でもあります。てなわけで、 「223な人たち」の中に、わたくしも。 ↑画像クリックでこの記事に飛べます。 紹介していただいたことも有り難いのですが、インタヴューの中でお伝えできたこと、 私がリスペクトする北斎の、「琉球八景」のハナシです。 このブログでも何度か紹介しましたが、 沖縄に行ったことのない北斎が、沖縄の8風景を描き、 さらにそのうち3風景に、富士山を描いてしまったことです。 富士山に取り憑かれた北斎が、 見えるはずのない琉球の風景画の中に富士山を描いたという事実。 それはすなわち、 「富士山には超自然的な魅力がある」ということにほかなりません。 絵師に「見えない姿を描かせた」富士山。 富士講信徒に「富士塚という『写し』を造らせた」富士山。 芸術や信仰を超え、富士山は日本人にとってスペシャルな存在だということです。 そこに、私は着目しているのです。 琉球八景は、三井記念美術館の「北斎展」にて。 Facebook あり〼
ひいき目ではないですよ〜(笑)。とてもいい番組でしたからね!
4月2日、BS-TBSで放映された「謎解き!江戸のススメ」の第一回「富士山」です。 テーマは、江戸人と富士山ですが、 隠れた副題は「富士山をめぐる、家康の野望」とでも言っていいでしょう。 前半は、富士に魅せられた江戸の人々。 数日前のブラタモリでも出てた、 千駄ヶ谷富士に、 今回は、私が指南役としてご案内。 富士塚本も紹介していただき、 登拝をしながらのプチ解説です。 里宮をお参りした後、 登山道では、ボク石のハナシ。 ぐるっと回り込んで、 「中腹の一周を中道と言います」 「では一気に登りましょう」 「は〜い。ここが頂上でっす♪」 頂上でもの想いにふける図 家康の人生を軸として、富士山信仰に迫った面白い番組でした。 「富士山ラブな家康の想いが、江戸の町に富士山の呪縛をかけた」というのは、 おそらく多くの東京人が、うすうす勘づいていることでしょう。 それゆえ、 われわれは、東京から見える富士山が気になってしかたないのです。 Facebook あり〼
もうひとつは、TVです。
4月2日、22:00よりBS-TBSにて「謎解き!江戸のススメ」がスタート。 第一回目は「富士山」です。 「富士山信仰の裏に家康のある野望が見え隠れ!?焼失した江戸城と富士山の関係とは……」という内容。 富士塚も登場します。私もちょこっと出る予定。 Facebook あり〼
しずしずと、日枝神社の中を歩く。
拝殿でお参りをした後、境内を歩きました。富士塚探しです。 富士塚があるかもしれないと思って訪れる神社が「浅間神社」でない場合、 境内社(富士塚=浅間神社)として、社殿の裏側にあることが多いです。 社殿の裏側にあったのは、一列に並んだ石祠の群。 これは、どう見ても何かの理由があって一か所にまとめられた感じ。 ひとつに寄っていると、「○○夜」と読める。 これは、富士塚にもよくある「○○夜講」の碑っぽい。ちょっと希望が持てました。 それにしても、塚らしきものがない。 日枝神社の東側には、「龍珠院」というお寺が隣接しています。 日枝神社と龍珠院は、この数段の石段でつながっています。(台地は東のほうが低い) 龍珠院のほうに富士塚があったのかも、と思いつつ歩き回ったけど……なかった。 なかばあきらめかけて、去ろうとしたとき。 入口の鳥居近くをもう一度チェックしたら。 つづく。。。 Facebook あり〼
路傍の国分富士の上(高台)を歩くとすぐに下総国分寺がありましたが、
いきなり隣接のお宅に仰天! ウルトラマンや仮面ライダー、中にはピグモンも♪ 鮮やかな赤い実(何でしょう?)も妙にいい演出となり。 家も多くの守護神たちに囲まれていました。 「いやぁ〜、孫が持って来ちゃうんですよ」 優しそうなおじいさんに撮影許可をいただきました。あ、先を急がねば。 このあたりは、史跡めぐりのサインも充実しています。色が控えめで◎。 宝珠院のコーナーを右折すると、なだらかな下り坂が長く続いていました。 台地はさほど大きくはないようだ。 坂の途中を左折し、ほどなく日枝神社の杜。いいたたずまいです。 大正4歳8月6日とある。村社になったのは。 鳥居がやけに新しいなと思ったら、 そういうことだったのですか。古い柱と扁額が印象的でした。 私好みの社殿です。古い。どことなくお寺のようでもあり。 つづく。。。 Facebook あり〼
1267 国分富士 02
741年(天平13年)に、聖武天皇が全国に建立を命じた国分寺。 東京都は国分寺市の国分寺が有名ですが、千葉県には、安房、上総、下総の3つがあります。 市川市国分にある下総国分寺はこんな位置。 総武線の市川駅または京成本線の市川真間駅から北東に2km弱です。 北に向かってなだらかな坂を形成しています。 くねくね細い道は、わくわく感を掻き立てられます。 「この先はどんなふうになっているんだろう」 道が急に勾配を増し、右に彎曲するポイントに白い鳥居が見えました。 位置はこんな。 ひときわ盛り上がった台地の崖下と言ってもいいでしょう。 ここが富士塚。国分富士。ん〜。斜面が塚として成り立つのはよくあることですが、 元々ここにあったのかしら? 移築されてここにあるのかしら。 古い石段がしっかり設えてあるので、登拝します。 石祠には、仙元宮(=浅間宮)と刻まれていて、 土台には「○さ」。富士山のマークもあり、明らかに富士講が建てたものですね。 散策する方も多いです。鳥居越しにしばしお話しました。 「浅間様があるの? へぇ〜」 イマイチ、ピンとこない様子。 下総国分寺周辺は、歴史散歩の人気コースですが、 この枯れた(荒れた?)富士塚はどこにも紹介されていません。しかたない。 この地形がどう富士山信仰に関わっていたのか、私自身、ナゾをぬぐえないまま、 ちょっと崖の上まで歩いてみることにしました。 擁壁の新しいメッシュが鮮やか。坂道を回り込み、富士塚の真上のお家を見に行きました。 ガッコンガッコン、ショベルカーが土台を整地していた手前が、富士塚の真上のお宅でした。 富士塚の上ってことは、富士山の頂上だな。 遠くのビル群や下の住宅地が見えます。ここらへんが、高台なのだとわかりますね。 ふと見ると、こんなサインが! 「急傾斜地崩壊危険区域」なんだって! Facebook あり〼 |
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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