▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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「琉球八景」は、「富嶽三十六景」と同時期に制作された
錦絵(多色摺りの木版画)のシリーズです。
でも、その姿を見る機会はあまりに少ない。

現在、東京の三井記念美術館で開催されている「北斎展」の中で、
ホノルル美術館からやって来た「琉球八景」を見ることができますが、
(前期4月14日〜5月13日には、粂村竹籬、龍洞松濤、筍崖夕照、中島蕉園、
 後期5月15日〜6月17日には、泉崎夜月、臨海湖声、長虹秋霽、城嶽霊泉
 が入れ替えで展示)

日本に所蔵されている琉球八景は、沖縄県浦添市の浦添市美術館のほか、
東京国立博物館や、神奈川県立歴史博物館、川崎・砂子の里資料館くらい?
(他にもあればご連絡くださいmm)

最も知られている「浦添市美術館」でも常設ではなく、数年に一度くらいに
しか公開されません。

前回の公開は、昨年でした

今春まで、今年の公開の予定はなかったのですが、
急遽6月に公開されることとなりました。

理由は、さる日本画家から琉球八景の校合摺り(きょうごうずり)を
浦添市美術館に寄贈されたことで、版画と校合摺りの同時公開が
企画されたのでした。

「校合摺り」とは、版画制作作業の工程の名称で、
単色(スミ)を使って試し摺りをすることです。

彫り師は、絵師の描いた下絵に合わせて輪郭線のみで彫ります。
そして、それを摺った校合摺りを絵師が見て、
色分けの指示を出したり校正を行うのです。

通常このテの版下類は、版画を摺った時点で破棄されるので、
(版画界では、現代でも版木や原版を破棄することがよくあります)
こうした貴重なものが残っていること自体希有であり、
特別企画として、版画と校合摺りの競演が実現されるは嬉しいことです。
(特別公開「葛飾北斎・琉球八景とまぼろしの校合摺り」6月6日〜17日)

私が航空チケットを取った2月末時点では、6月の特別展の告知はなく、
だいぶたってから学芸員から聞いたので、はじめは随分口惜しい気持ちで
いっぱいでした。(6月に見られるのだったら時期を合わせたのにと)

でも、4月に東京で8景のうち前半の4景に会えてインスパイアもされたし、
今回は旅の目的(沖縄に富士山を描いた北斎の意図を知る!)に専念して
訪沖することにしよう!と心に決めました。

いきなりですが、
北斎の「琉球八景」には、" 種本 " がありました。

左側の単色版画が「球陽八景」です。クリックして大画面でご覧ください。

 泉崎夜月 いずみざきやげつ

 臨海湖声 りんかいこせい

 粂村竹籬 くめむらちくり

 龍洞松濤 りゅうどうしょうとう

 筍崖夕照 じゅんがいせきしょう

 長虹秋霽 ちょうこうしゅうせい

 城嶽霊泉 じょうがくれいせん

 中島蕉園 なかしましょうえん

つづく。。。





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先週、旅から戻りましたが、バタついていて記事を書けませんでした。
これから少しずつでもアップしていきます。あれこれ検証したことを。。。

「富士山を世界遺産に」の中でも紹介させていただいたように
北斎が描いた「琉球八景」の3景には富士山が描かれてあります。

●北斎は沖縄に行ったことがない。
●でも見えるはずのない富士山を、沖縄の風景の中に描いてしまった。
●それは、類いまれなるHOKUSAIのクリエイティビティによるのだ。

とはいえ、実は私は密かに疑問に思っていました。

「果たしてそれらは富士山かー?」

那覇に地理感のある私はじっとしていられませんでした。
はい。検証しに出かけた先は那覇でした。

まず、「琉球八景」の8枚の画像から。



泉崎夜月 いずみざきやげつ
臨海湖声 りんかいこせい
粂村竹籬 くめむらちくり
龍洞松濤 りゅうどうしょうとう
筍崖夕照 じゅんがいせきしょう
長虹秋霽 ちょうこうしゅうせい
城嶽霊泉 じょうがくれいせん
中島蕉園 なかしましょうえん

富士山が描かれているのは、下の3枚です。

つづく。。。





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濃〜い旅のレポの前に。

久しぶりの展覧会告知でっす♪
おついでがありましたら是非。















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世の中には、曖昧でいいことも多々ありますが、
【絵師のキモチは絵師にしかわからないときがある】ので、



ひとり調査に飛びます〜〜〜。自分の仮説を確かめに。

行き先とその内容は、帰ってからのお楽しみ♪
天女ふたりも応援団になってくれますね♡







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移民の経験のある人には、こみ上げるものがあるかもしれません。



Una vez mas mi corazon vuelve al Japon, buscando la pasion de un amor oriental, vuelve a buscar tierna amistad, dulce ilusion...a ver al Fujiyama, el simbolo de amor.....Se llama Fujiyama, la montana Nipon que todo el pueblo ama...Se llama Fujiyama, el simbolo de amor hecho montana!!

アントニオ古賀さんでなく、Trio Los Panchosとスリーグレイセス(?)です。

私も最近、この歌の良さがわかってきました。夜中に聴くと泣けちゃいます。
歌詞は、みナみかズみ(安井かずみの初期の名)さん。ご存知でしたかー?

ちなみに、知人の日系チリ人と、郷土富士について話したことがあります。
「ああ、確かチリにも皆がフジサンて呼んでる山があったわ!」



後日、彼女が送ってくれた写真('70s撮影)には、家族と一緒の彼女(中央)と
チリ富士(オソルノ山)が写っていました。冠雪のオソルノは、まるで富士山。

火山なんですね。






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巨大錫杖があったのは、下総国分寺(跡地)です。
奈良時代、全国に建立された国分寺ですが、下総国分寺はその跡地しかありません。
国府台(こうのだい)という台地に建っています。
東京と千葉を分断する江戸川から見ると、かなりの高さがあります。



江戸名所図会にも、下総国分寺が描かれています。
画面の右下、赤い矢印をつけてみました。



(位置は違いますが)巨大錫杖は江戸時代からあったのですね。
杖の部分に「明暦」と刻まれてあったので納得。実際はこの倍くらいありますが。



そして、左下には、「二王門」つまり「仁王門」が描かれています。



私は子供の頃、思い切り仁王像に睨みつけられた記憶があります。
そのせいか今も何だかビビリます。だのになぜか信頼感を覚える仁王さん。



本堂を背にして仁王門を振り返ると、空が晴れていました。
向かって右側が西。富士山の方から西日が少しずつ空の色を変え始めます。
私はここでゆっくり夕暮れを迎えたかったのでした。

「浄土」。。。

私は思わずそうつぶやいていました。

仏が住まう西方浄土。。。
仏教が日本に入って来て以来、西という方角には特別な印象があったでしょう。
そして、関東人が西を向くと、富士山が目に入った。仏の住む富士山が。
そんな状況を鑑みると、この国府台の南端と東端に富士塚が造られたのも
不思議なこととは思えないのです。







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錫杖(しゃくじょう)が妙に好きです。
密教法具の錫杖は、修験者や僧侶が持ち、地面を突きながら歩きます。
突くたび、シャクシャク鳴るので錫杖とも言われています。

鳴るのは、杖の先端にある輪っかの中に通された6つの遊環(ゆかん)です。
輪っかの中央には塔がかたどられています。

「富士塚ゆる散歩」の烏天狗の手にも。

小さいイラストだったので、塔のディテールは省略しましたが。
あ、役行者も持っています。



魔除けの意味があるので、私もミニ錫杖を携帯してます。長さ7cm。





国分富士と東国分富士を訪れた日、こんな巨大な錫杖に出会いました。



場所はここ。山門がなんと鮮やかだろう。

つづく。。。






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朝日新聞出版社から「日本の世界遺産」の分冊が出ています。
4月12日発売の3号は、「富士山」です!(暫定ではありますが)



15ページには、私が富士塚を紹介させていただきました。(文&写真&イラスト)








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東国分富士の途中でしたが、間にいくつも記事を挟んでしまったので、
簡単にreviewから。



市川市国分には、下総国分寺があり、立地は高台です。
左下の★が、坂の下の国分富士。路傍にあります。右上の日枝神社に目星をつけて、



目指したけど、



境内にない。高台の東はずれでここもいい条件なんだけど。。。



っと思って立ち去ろうとしたら、たくさんの境内社の左にちょこんと三角の石碑。



窮屈そうに立っているその碑が、夕陽を受けて光はじめました。
達筆な文字ほど読みにくい。
廿二夜? そう言えば社殿の裏にも廿二夜(講?)の石祠があったから、
その一環でしょうね。



碑の上部を見てみます。
富士山のマークと、「○」に「さ」。
国分富士の仙元宮碑の土台に刻まれていた、「○さ」とおんなじだ!
やっぱり富士講の碑ではないか!

でも、富士塚らしき痕跡がない。どうしよ。どうしよ。境内はすでに歩きまわって調べたし。
まあ、こういうことも時にはあるから、諦めて帰るか。。。

と、立ちつくしていたら、人の気配がしました。

神社の宮司さんか管理人かはわかりませんが、境内(もしくは隣接)にある
家屋(社務所だったかも)から、年配の男性が出てらして、境内に積もった落ち葉を
掃き始めました。

ちょっと様子を見てから、その方にたずねました。富士塚はありますかと。
先刻のフィギュアだらけのおうちのおじいさんにも似て、これまた穏やかな
ステキな方でした。

「ええ。あったんですよ。」
場所は日枝神社の境内入り口付近。
残念ながら、その方も知らないほど昔のことだそう。
でも、貴重な証言を得て、東国分富士と断定することに。
あ、「塚の気配」と「碑」があるだけでも条件がそろっているので、
ワタシ的には富士塚です。








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「日経おとなのOFF」という月刊誌があります。



4月6日発売の5月号は、「おとなの江戸学入門」です。

東京スカイツリーのオープンを目前にして、江戸熱も高まっていますね。
データ満載の教養雑誌。読みやすいし、品があってステキです♪

「江戸を感じる名所」では、専門家のお薦めランキングとして、
坂道、低山、そして富士塚のベスト5が紹介されています。



僭越ですが、「富士塚ベスト5」は私による選出でした。



選びきれない富士塚の中、お江戸と言えばやはりこのランキング。
テッパン中のテッパンではありますが、やはりここをおさえとかなきゃね。
もちろん、あれも入れたかったし、それも落としたくなかった。。。
逸品だらけの富士塚ですもん。

「富士塚ゆる散歩」も紹介していただけて、ウレシイです♡







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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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