▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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タテカワ講による富士塚は、川崎市と横浜市にいくつか残っていますが、移築や再築されていないのは「岡津富士」。横浜市泉区にあります。



向導(こうどう)寺の裏山は、竹林で覆われています。その一角にぽっかり空のあいた空間があり、地上には緑鮮やかな富士塚が横たわっています。



東京や千葉、埼玉周辺のボク石たっぷりの富士塚と違い、土まんじゅうといった滑らかな造りです。形もいいです。



山頂にあるのが富士山のレリーフにタテカワ講の紋が刻まれた講碑で、富士講の経典である「御身抜(おみぬき)」が刻まれています。



「満翁正行」とあるのが西川満翁徳行のことと、同行してくださったご子孫の説明はありがたい。







頂上から下を見る





中腹には、食行身禄の文字も読める「ゑぼし岩」。他にこの「ゑ」を使っているのは流山富士くらいでしょうか。



ほかに2基の碑があります。山道は下方に少しだけ。中腹には琴平神社、塚の正面に建つのは不動堂です。大山詣の参詣者も立ち寄ったようです。



戸塚駅からバスで10分ほどの位置(バス停名は「岡津橋 おかづばし」)にある富士塚ですが、ちょっとした山合いの雰囲気。神奈川県によくあるお寺の富士塚です。近くを流れる阿久和川は、なんと江ノ島へ注いでいます!



















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ここに江戸名所図会の一枚があります。



「河崎山王社」とありますが、「河崎」は「川崎」、現在の川崎稲毛神社のことです。本文には、別名「堀内山王権現宮」で書かれています。堀ノ内という村にあったからです。

絵図には、本殿以外に「いなり」や「天神」や「弁天」など、数々の境内社が描かれています。残念ながら、この中に浅間神社は見当たらないですが、川崎浅間神社のHP には「境内には小高い築山があり、浅間神社が祀られていた」とあります。富士塚があった証拠ですね。





現在、稲毛神社の西側の境内に浅間神社があり、6月1日には例祭が催されています。(旧暦の6月朔日は富士山の山開きです)







ここには西川満翁徳行(西川伊右衛門)によって結成されたタテカワ講の富士講碑があり、この日、西川満翁のご子孫のご案内で例祭に参加させていただきました。

富士講碑は大変貴重で、西川満翁の33回忌の年(慶応元年)に建てられた、赤色鮮やかな碑(三本川が目立つタテカワ講の紋と満翁徳行神霊の文字が刻まれている)、同年に建てられた「雲霧不動明王」の三角碑。そして、西川満翁の50回忌に建てられた角柱のような碑がありました。







これらは、富士塚に建っていたものと考えられます。どんな姿をした富士塚だったのでしょうね。










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登戸へ行ったついでに、川崎宿の富士山信仰ゆかりの地に少しだけ寄ってみました。
川崎と言えば、タテカワ講を起こした西川満翁徳行(西川伊右衛門)が有名で、川崎宿の一行寺には彼の墓があります。



大変立派で、川崎宿を訪れる人は必ずといっていいほど拝んで行くようです。





摩滅しているけど三本川の講紋が!

また、教安寺には富士講信者が建てた石灯龍があります。
「富士仙元燈」と読めますが、工事中の囲いの隙間から撮ったので、少し苦しい画像です。



足をのばして、川崎大師を訪れてみると、





「浅間大神」と彫られた大きな碑や、



タテカワ講の碑もありました。












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千葉県の「登戸(のぶと)富士」の次は、神奈川県の登戸(のぼりと)も気になります。

行ってみました。小田急小田原線の向ヶ丘遊園駅から徒歩5分、川崎の登戸にも富士塚がありました。「登戸(のぼりと)富士」と言えるでしょう。



今昔マップの左側、明治30年頃の地図に字名の「富士塚」が書かれています。「塚」の文字の下あたり、路傍に浅間神社(浅間社)があり、登戸富士が鎮座しています。(現在の地図ではピンクの★)



ここが、同じく登戸にある「丸山教」(現在は向ヶ丘遊園駅の北側)を立ち上げた教祖伊藤六郎兵衛(本名は清宮)の実家の近くとのことです。

川崎の登戸富士は、低いけれど底辺が大きい。古墳の転用らしい(この付近はおびただしい数の古墳があります)です。





石段を登ると広い頂上。軽く100人乗れますね。正面に新旧の奥宮の社、左右にもひとつずつ石祠と御手洗石があります。







祠の土台や御手洗石に、「山」の文字の入った紋が彫られています。丸山教は、清宮家が信仰していた富士講「丸山講」を元に結成された団体ですが、のちに「富士一山講」と合併した時代があるので、そこから取った「山」なのです。縦に「一山」と書かれることもあります。

















また、「清宮伝左衛門」の文字が見えます。これは、丸山教の教祖、伊藤(清宮)六郎兵衛の先祖で、丸山講の先達をしていた人物だと考えられます。富士塚の登り口にある青面金剛像の土台にも、清宮姓の奉納者の名がありました。
















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葛飾北斎が描いた冨嶽三十六景の一枚「登戸浦」。
内房の千葉湊から眺めた富士山を描いたものです。



富士山をまたぐ鳥居は、海岸沿いの「登渡神社」のもの。神社名は「とわたりじんじゃ」ですが、登戸(のぶと)という地名から、地元の人には「のぶとじんじゃ」で呼ばれています。



千葉市中央区は、埋め立てが進み、現在の海岸線は遥か沖にありますが、明治時代はまだこんなでした(白黒マップ参照)。高低差から、神社が崖の上にあるのがわかりますね。



もうひとつ、松井天山の描いた「千葉市街鳥瞰図」(昭和2年)にも、「登渡神社」が描かれています。



ということで、「登渡神社」に行く。







境内社として浅間神社はあるものの、富士塚は見当たらない。



やっと見つけた石碑2基。富士山の方角に向かって立っています。





ひとつは「浅間大神」、



もうひとつは、「登渡富士講」と刻まれていました。





でも、あると思っていた山水講の文字はなく、三峰に九曜紋(千葉氏の信仰は妙見大菩薩です)があしらわれていました。

富士塚を探しながら社殿裏の山を観察。よく見ると、社殿と裏山の境目に多数の石碑があり、「富士嶽大神」の文字が目に入りました!



富士塚に建っていたものに違いない!!



神社の方にたずねると、2年前の改修時まで裏山は開放していたとのこと。山の上から浅間神社の社を境内に降ろし、その際に、講碑をコンクリートで埋め固めたらしい。

許可をいただいて撮影しました。小御嶽神社や烏帽子岩もあります。





裏山にも入らせていただきました。石段を登りきると、遥拝を目的とするような頂きがありました。山頂に山水講の文字が刻まれた碑があるはずですが、急いでいたので撮り忘れました。残念!



「登戸富士」と呼べると思います。北斎がもう少し広範囲に描いていれば、この作品「登戸浦」にも富士塚が入っていたのです。

ちなみに、現在山水講はありませんが、「登渡神社富士登拝の会」が毎年富士登山をしています。現在の富士講(=登渡富士講)と言ってもいいでしょう。富士塚は彼らが受けついだわけですね。

★北口本宮冨士浅間神社のサイトには、千葉市の「登渡富士講」が「現在も活動している富士講」として載っています。









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「平井富士」のある江戸川区平井には、もうひとつ富士塚があります。



旧中川の北側に位置する平井浅間神社(江戸川区平井3-1-18)一帯は、かつて逆井村と言われていたので、その名を取って地元では「逆井富士」と呼ばれています。「逆井」の読みは「さかさい」です。









江戸川区に富士塚は数多くありますが、この塚は最大です。講碑の数とその大きさもすごい。お金がかかっています。彫りものが読み応えあります。















小御嶽神社の碑!











裏の「石工 若松鶴年」がいい!!


修復は過去に何度もされました↓



が、講碑はなぜか塚前面だけに集められ、背面はコンクリート斜面に丸石が埋まっただけ。駐車場にぐるり囲まれてしまったのでそうしたのでしょうが、公園の遊具のようで、ちょっと違和感があったものです。でも、「これも塚の個性」と思えば愛嬌(?)がありますね。
























スカイツリーがあんなところに。。。














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江戸川区の「平井諏訪神社」は、こじんまりとしてとても温かみのある存在感。地元に愛されているのが伝わってきます。



年初独特の清々しさの中、境内に入ると、富士塚も正月の飾り付けがありました。







この富士塚は「平井富士」。小さいですが、奥宮と小御嶽神社がふたつの山を成しているかのようで面白い構造です。















絵馬堂があります。昔の絵馬(奉納する大型絵馬)には、参拝・参詣する群衆が描かれたものが多いですね。











丸富講(と在郷軍人團)が奉納した絵馬が掲げられています。向かって右側、縞柄の着物を着た人たちが富士講です。

拝む先には富士山の姿はありませんが、雲に乗った御幣が見えます。富士山を拝むとか富士登山の安全祈願ではなく、大正天皇の病の快復を願う絵馬だったからだと思われます。



丸星講による築造とされますが、丸富講の関与がどうだったのかはよくわかりません。奥宮の石祠には「大正9年」築造、小御嶽神社の石碑には「大正7年」と刻まれ、絵馬は「大正2年」の奉納です。

塚を築いた丸星講と、塚を持たなかった丸富講が合同でこの富士塚を管理するようになったのでしょうか。少なくとも、この富士塚ができる前から富士講(丸富講)の活動は活発だったわけですね。(丸星講は多くの塚を江戸川区に造っています)










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「勝手にニュース2017」第1位は、「シン・松原富士」と決まりました!

1393【 東京の富士塚がひとつ増えます!】の記事でも予告しましたが、扶桑教(世田谷区松原)境内に松原富士が70年ぶりに再築され、竣工式は7月9日でした。



浅草富士や鉄砲洲富士や飯塚富士など近年再築される富士塚は多いですが、この松原富士はちょっと違う。

私が嬉しかったのは、アーティスティックな仕上りだったことです。



胎内に入ると、素晴らしい空間に包まれます。

まずは手水鉢。

そして粘度の違う溶岩



そしてそして、頭上からは真紅の光が注がれます。



胎内は富士山麓にできた洞窟なので富士塚の胎内も通常小さいですが、この富士塚は大人が何人も入って立つことができます。なぜなら山頂まで到達しているからです。



非常にユニークでアーティスティック! このシン・松原富士に関わった建築家やクリエイターと一緒に、私の知人のキュレーター(現代アート)も交えて胎内空間を味わいました。個人的には、「やられた」感があるほど感動しました。私もモダン富士塚を創るなら、このくらいの大胆さがいいと思っていたからです。(メタル富士のように)

もちろん、アーティスティックとはいえ、これはアート作品ではありません。むしろ、信仰物であるからこそアートにとどまらない大きなスケールとなったのです。それは、その場にいた全員が同じように感じたことでした。



さて、このシン・松原富士は、山頂に立つことはできませんが、そこには奥宮があり、胎内に光を落とす琉球ガラスの天窓が設置されています。(可動式)





奥宮の祠も両側からオープン可。扉越しに空を取り込むなんて、なんというアイディアでしょう。

ちなみにラフコンテはこんなでした。



竣工式の儀式は炎天下、とどこおりなく催されました。









このシン・松原富士は、セメントは一滴も使われていません。組み石だけで造られています。

そして儀式の最後に、ひとりずつ、

ボク石を積む!

頂上にどうやって立てたのか。野口 健さんと管長。

その後、

田代 博先生も

アーティストの友人たちも登拝しました。

知人のキュレーターやフォトグラファー。

アートがらみの方たちの感想を聞きたくて、来ていただきました。皆、このユニークな富士塚を評価していたようでした。
私も次の作品を早く形にしたいです!

おまけ。

砂紋つけにチャレンジしました。

まずは教えてもらって。









このすばらしい富士塚に感謝の気持ちを捧げ、2017年を送りたいと思います。
2018年もいい年でありますように!









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アートや市民活動も積極的に取り上げる「スパイスアップ」。



横浜市青葉区、都筑区、緑区の興味深い情報がたっぷりです。

➡︎ 2017年秋号/vol.11 の特集は富士山。
私は都筑区にある3つの富士塚のひとつ、山田富士をご紹介しました。



かつて、現存する3富士のほかに4か所(荏田、茅ヶ崎、新羽、篠原)を入れた富士塚を「港北7富士」と言っていたそうです。









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気づいたのが最近でしたが、今年の春にアップされていたようです。



忍野八海近くにある天台宗のお寺「東円寺」のサイトに、
「講左衛門通信」という学習ページがあり、PDFファイルで見られます。

第81号は富士塚のお話の中で、「富士塚ゆる散歩」にもふれてありました。
ありがとうございます。

富士講と関わりが深く、由緒あるお寺です!
ぜひ、お詣りさせていただきたいと思います。

➡︎ 「天台宗 忍草山 大日院 東円寺」のトップページ

➡︎ 「講左衛門通信」








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性別:
女性
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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