▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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多摩川富士を下りて、休憩をとりました。この日は、5時から千駄ヶ谷富士のお山開きに出かけるため、ツアーの始まりも午後からというゆっくりしたものでした。

当初、お茶をする場所は、浅間神社の入口近くにあるレトロなつり具屋さん



の隣にあるCAFE



を予定していたのですが、あいにくお休み。同じく浅間神社の裾に構える



cafe despacioに座ることにしました。ここは、某TV局のディレクターが見つけてくれました。(実はこの日、取材を受けていたのでした)

カメラがまわっている時はちょっとキンチョーしてましたが、彼らが次の目的地である千駄ヶ谷富士に出発したので、私たちは急にリラックス。ここでプチレクチャーをいたしました。



持参した江戸切絵図を広げたり、



私の立体作品を使いながら、江戸時代の富士登山の様子をあれこれ。私ならではの展開です♪ こむずかしい話はこのツアーにはありません。そして臨機応変自由自在。もちろん参加者の構成にもよりますが、例えば現場で富士山のパワーを柔軟に感じようとすることもあります。



ここ、cafe despacioの奥は、多摩川富士の石垣をそのまま壁として使っています。ソファに腰掛けて、背中からそのパワーを感じながら楽しい時間はあっと言う間に過ぎていきました。

それにしても、参加される方から教えていただくこともたくさんあり、ツアーはとても有意義です。パワーを感じやすいT様は戸隠に行って来たばかり。聖地好きな彼女の感性は鋭くて、とてもありがたい。「ほら、石垣から背中に感じるのわかる?」私は話に夢中になってあまり気づきませんでしたが、確かにそこはちょっと違う空間でした♪ また、各地の神社に詳しい方からは、「一の宮」とはどういうことか等教えていただきました。

私にとってはボランティアに近いツアーではありますが、こうして全てが学びにつながること、そしてありがたい出会いは宝物となっています。感謝です♪

ちなみに、cafe despacioはオススメ。オープンカフェですよ。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


私が富士塚を気にし始めた頃、友人から「多摩川沿いに富士塚があるよ」と誘われ、一緒に出かけたことがあります。



通称「多摩川富士」です。「ホントだ♪ 富士塚だねっ」確かに小山に溶岩が貼りつけてあって登山道もある!



「でも、ずいぶん大きな富士塚だね」



頂上には浅間神社(多摩川浅間神社)の社殿があります。その造りは、東京都内では唯一の浅間造です。【浅間造】とは、静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」の様式で、「正面五間側面四間」の上に、「三間社流造」の本殿が載っているという、 二重構造のことです。



こちらの社紋のひとつ、桜の花はコノハナ様のシンボルでもあります。(駒込富士神社でも同じ紋の提灯が出ますよね)



頂上である境内に神楽殿があり、その足元には溶岩を配した枯山水があしらわれています。



手水鉢の向こう側に空が広がっています。



富士塚のたもとにある社務所の屋上にあたるこの場所からは、多摩川が目の前に見え、



晴れた日の夕刻にはこんなふうに富士山も拝めます。

でも、神社の方によると「これは富士塚ではないのです」。一般的にもこれは富士塚とカウントせず、私も本には紹介しませんでした。その理由。もともとこの山は古墳であり、そこに浅間神社を勧請した形態だったので、先人の富士講研究家たちが「浅間山」の範疇に入れていました。山の上に浅間神社があるってことですね。

神社の御由緒によれば、鎌倉時代にさかのぼります。源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した折、夫の身を案じた妻北条政子が後を追ってここまで来ました。わらじの傷が痛み出して多摩川畔で傷の治療をし、傍にあったこの古墳、亀甲(かめのこ)山に登ってみると富士山が素晴らしい姿を見せた。そこで、自分の守り本尊である富士吉田の浅間神社に向かって夫の武運長久を祈り、身につけていた「正(しょう)観世音像」をここに建てた。村びとはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼んだことから、ここが多摩川浅間神社の起源となったということです。

千葉県の「稲毛浅間神社」のように、こちらも富士講ができるずっとずっと昔、コノハナ様が浅間神社の祭神として登場する以前には、いくさの神だったようです。では、これはただの「浅間山」でしょうか。富士塚ではなく。



いったん、山を下りて観察してみましょう。



すると、登ってすぐのところにこんなものがありました。石板で塞がれているものの、これは胎内に見えてなりません。



そして、中腹には「小御嶽石尊大権現/大天狗/小天狗」の碑。傍に石祠もありますが、



古い石祠は頂上の一角にも。そして、「目玉」は、



頂上近くにある、勝海舟の直筆「食行身禄」の文字であります。

宮司が言うには「勝海舟が富士信仰があったのではないでしょうね。地元の富士講の誰かが、勝海舟に書いてもらってそれを碑に造ったのだと思います」

真偽はどうあれ、ここでちょっと面白い設定ができます。
富士塚になるためには、4つのパーツ「胎内」「小御嶽」「烏帽子岩」「奥宮」が必要だとすると、あらら、全部揃ってるみたい??? 先の塞がれた洞窟を胎内、勝海舟筆「食行身禄」碑を烏帽子岩にあててみると、ですけどね。

「ホントそうですね〜♪」参加者の方たちとそんな話をしながら、登拝を楽しみました。はい。楽しんでこそ、そして、有り難いという気持ちになってこそ、御利益があると思います。どれがあっててどれが違うから、と穿った見方をしていると信仰の本質を見失いますね。(以前から私は、宗教と信仰は別だと言っていますが、先日も同じことを言ってらした方にお会いしました。嬉しかったです)
文献を探したり研究に関しては、専門の方たちに任せましょう。(調査が必ずしもあっているとも限らないし)それよりも、キモチが大事♪ 神社にしろ、富士塚にしろ、庶民のためのものです。今ある姿に人々が手を合わせて「有り難い」と思うなら、それがイチバンです。

いずれにしても、こんな石碑やあんな講碑があったりするから、限りなく富士塚に近い浅間山と言ってもいいかも? 塚っぽいのは、南斜面から東斜面のあたりですけどね。

冨士仙元道!

○の中に「玉川」の文字!

やはりこのあたりに富士講があった証拠ですね。渋谷道玄坂に元講があった「山吉(ヤマキチ)講」の講碑です。金名水、弘汲元、南北講社。。。 

さらにおまけの記事もあり。。。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


記事に書くことはた〜くさんあるのですが、全部書くには時間がかかるので、ま、追々に。

最近疲れが出ていたので、ほんの数時間でしたが、自分の時間を取り戻すために、お気に入りの写真集を取り出しました。アメリカのニューメキシコ州、サンタフェ近く、ゴーストランチとアビキューに住まいを構え、静かに自然と対話しながら過ごしていた画家ジョージア・オキーフの家を撮った写真集です。



私はオキーフの作品も好きですが、彼女のたたずまいにも憧れます。それは彼女の哲学のあらわれです。
そして、私は疲れるとこの本のページをめくります。



富士山同様、私にとってインディアンの土地には、意味があるのです。私の中では、富士山、ネイティブの土地、そして琉球につながる糸がバランスよく保てていないと、どうも疲れが解消されません。

でも、それらはもともとつながっているので、意識を向けるだけで疲れは引いていきます。ありがたいです。



アビキューにはほら、富士山みたいな小山もあります♪(実は今日気づいた)



場所は、ICHIROのピックが指しているあたり。

ページをめくっているうちに、疲れは消えていました。写真集を閉じて、ホワイトセージを焚き、そしてある本を開きました。

落ち着いたら、手紙を書きたくなりました。
↓今日、親友に宛てた手紙の一部です。


ときどき、富士山のことから離れたくなります。でもそれは、わたしがあまりにもずっと富士山のことばかり考えていて、迷宮に入ってしまうから、だれか神様がこれこれちょっと深呼吸しなさい、と言ってくれていることだと思います。あんまり考えすぎて疲れちゃうと、富士山を嫌いになっちゃうかもしれないものね。いや、そんなことはないにしても、ちょっと流れを変えようと、オキーフの住んでたニューメキシコの写真集を眺めたり、時折手にするナンシー・ウッドの本「今日という日は贈りもの」をパラパラとめくってみました。すると、去年の6月にもこれを開いていたことがわかった。そのページというのは。。。




六月  トウモロコシの穂が出る月  Kapnakoyapana
…………………………………………………………………………………………………

    瞑 想

【六月に月が通るのは耳を澄まして聞くという道】

 すべてのものの内には物語がある。風にも雨にも火にも。畑のトウモロコシが伸びるときに立てる音にさえ。川には偉大な物語がたくさん。木の上でさやさやと揺れる木の葉にも物語がある。年老いた石に生き抜く術を聞こう。耳に小石を当ててその話を聞こう。貝殻はびっくりするような話を聞かせてくれる。風に書かれた文字もまた。
 一番難しいのは沈黙を聞くことだ。私たちは会話や雑音で沈黙を埋める。それから気をそらす。そうした衝動に耐えること。沈黙の中では、自分の心臓の鼓動が聞こえる。連続性の脈搏が感じられる。沈黙の中では、大きな夢を見ることができる。自分自身の音楽を見つけることができる。
 手を放すほうがなぜしがみついているよりも難しいのか?ものごとが終わったように見えるときも、影は残る。自分に聞いてみる。わたしは正しかったか?相違を埋める方法はなかったか?何も言わないことによって、すべてを言い尽くしたか?
 他の人たちがそこそこで済ませているとき、自分の人生をよいものにするには努力が要る。変わる勇気を持とう。優柔不断は行動の障害になる。記憶は理性を曇らせる。恐れは人を身動きできなくする。決まりきったことばかりしていると腐敗する。
 じっと耳を傾ければ自分の内なる声が聞こえる。それは聞くものに必ず真実を告げる、たとえ聞きたくないと言っても。

…………………………………………………………………………………………………

なんだか無意識に、毎年わたしはこの時期にこのページを開いてるみたいです。
ちなみに今日は満月だ〜♪


と、ここまで書いた時、ふと、デスクわきの小さなプラントに目が行きました。



トラノオに若葉が出てきた!!!嬉しいです。ありがたいです。
今夜は満月です。月が見えなくてもいいからエネルギーを感じましょう♪
浅草のお富士さんの前に出かけたのは、ここ。



一般登拝が許されるのは、6月30日/7月1日の2日間です。儀式の直前にはきれいになるでしょうが、公開少し前の塚はたいていこんな感じです。つまり、雑草がのび放題。でも、雨が降ってしっとりした山肌と鮮やかな緑は印象深く、あたりには素晴らしい「気」が漂っていました。

「草が茂っていてちょっと見づらいですね」
「いいえ。素晴らしい富士塚よ♪ 『てんぐ山(猫実富士)』は岩山だけど、こんな富士山もあるのね。とっても気持ちいい!」 



塚の前で拝む猿像も丁寧に観察しました。

「そういえば、子供の頃、てんぐ山のあたりで『ザンゲ、ザンゲ』って聞こえてきたの」
「うわぁ〜それ、富士講の方たちですね!」



古いマネキを説明してると、



え?何か通った?



「挨拶に来たのかしら♪」笑


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


浅草寺(せんそうじ)の境内に、三社祭で有名な浅草神社(あさくさじんじゃ)があります。 現在そちらが管理している浅草富士浅間神社(あさくさふじせんげんじんじゃ)のことを、「浅草のお富士さん」または「浅草のお富士様」と言います。

浅間神社は、浅草寺から北に約300m離れていて、かつてそこに富士塚(といいますか、なだらかに盛り上がった小山)がありました。そこは、富士山から【裏鬼門】の位置で、昔はその小山から富士山がよく見えたそうです。

そして、お富士さんのお山開きに合わせ植木市が立ち、その賑わいは大変なものだったと言います。

現在は「お山開き」を知らなくても植木市はよく知られています。(植木市は、他の富士塚でもさかんでした)



浅草寺のことを、江戸っ子は「観音様」と呼びます。浅草寺のご本尊、観世音菩薩のことです。浅間神社に続く道、つまり「富士通り」を指す時、



こんなふうに「観音裏」とつけると、ぐっと江戸情緒が伝わってきます。



富士通りは、浅間神社の参道でもあります。
今は平坦な地形ですが、



昔はどんな感じだったのでしょうか。少しは面影がありますか?



この神社の向かいに、艶のある黒富士が、



灯のともった提灯を映していました。これは、



富士っ子の学ぶ「富士小学校」にある碑。



いつもは閉ざされている社殿の中は、こんなに綺麗。



富士通りの西側、六郷家の下屋敷跡あたりの通りに市が立ちます。かつては400店もあったけど、現在は約60店。ちょっと寂しいです。



でも、参加者は大喜び♪いろいろ購入されました。「お富士さんの植木市で買った木はよくつく」と伝えられています。

←買えばよかった!





金魚すくいの店はどこかレトロ。



これは金魚売り。まんまる金魚や



私の好きな金鯉も。



それにしても、このへんは、何でもかんでも富士さん。



近所の富士公園のトイレもです。



そうそう、浅間神社の境内にも、こんなのがあった。



喉が乾いたら、この、氷富士♪ 花やしき西側にあるひさご通りの「初音茶屋」は、氷の扱いにこだわりがあります。氷は「やわらかく」してから「かく」のです♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


台東区のお富士さんめぐりのつづき。



まず、この大蛇。長寸は1m以上です。

麦藁蛇です。このブログでも何度も登場してきましたが、古くから富士塚のあるところでは、今でも売られています。栃木でもあります(6月1日)が、東京ではひと月遅れで十条、駒込、深川にて。(かつては白山でもあったそうです)

浅草は、5月最後の土日と6月最後の土日に頒布されるので、どこよりも早くいただけます。(江戸時代は、5月晦日と6月朔日の2日間でしたが、その後、山開きが新暦になったので、6月晦日と7月朔日も加えられ、計4日間のお祭りとなりました。現在はそれらが土日に変更)



浅草浅間神社の社務所に掲げられた大きな麦藁蛇と全く同じ形に作られた、長さ16cmの小蛇です。十条や駒込の麦藁蛇と形が違います。かつては、笹の枝にくくられていたそうです。

浅草では、この縁起物が姿を消した時期(戦後)があったそうですが、復活しました。ここの蛇は個性的でいいですね♪ 中心の棒にコイル状に巻きつけられているのが蛇の胴体。赤いのが舌です。



付属の白い紐は、蛇をくくるためのもの。この縁起物は、水まわりに置くとよいと言われます。龍(=蛇)は水のそばに置くとよいという風水からきているのでしょうか。

ところでその紐の結び方は、【偶然ですが】沖縄で昔から魔除けとして用いられる「サン」と同じです。沖縄では、ススキやワラ、芭蕉の葉が使われます。偶然と書いたのは、神社の方が「結び方に意味はない」と言っていたから。でも、現代では忘れられたことでも、古来からの形には意味がこめられているのかもしれません。



麦藁蛇の入った袋もなかなかいいです。

社務所ではこう言いながら売られていました。
「麦藁蛇は本郷とここしかないよ〜♪ 縁起物だよ〜♪」


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

つづく。。。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


本日は、旧暦で富士山の山開きの日です。今年はどこにも行けなかったけれど、この日に嬉しいことがありました。



練馬区観光協会のサイトで「ねりま大好き!」というのがあります。
【ねりま大好き!】

その中の「ねりま人」コーナーで、本日更新の記事に私がアップされました♪
【ねりま人】

旧川越街道沿いの「下練馬富士」で、

猿たちに迎えられ、

あちこち観察しながら、

お話しました。

取材はとても楽しかったです。おかげさまでこんなにニコニコ(ヘラヘラ?)してる。ありがとうございました♪

私は現在練馬区に住んでないけど、生まれは江古田(町名は桜台)ですから、私の産土(うぶすな)神は、「江古田富士」のある「茅原浅間神社」! 遊び場は「八坂神社」の「大泉富士」でした。今でもご縁があり、なにかと「ねりま人」してます。
富士塚は「名所江戸百景」などの浮世絵や、「江戸名所図会」「江戸切絵図」「絵本江戸土産」の中に登場しますが、「江戸切絵図」の中で富士塚を見つけた時の喜びは格別ですね。 男性でもつい「カワイイ♪」ともらすほど。

それにもうひとつの楽しみ、江戸ではないですが、富士塚が描かれているものに「鳥瞰図」があったんです!

下の記事の

最初の絵

を引いてみます。。。
「サムネイルが(画像が大きすぎて)出ません」と出るので(笑)

★クリックしてね★

こんな場所。

ふたつめの絵

を引いてみると。。。

★クリックしてね★

こんな場所。

文字はつぶれますが、全体図は



こうなっています。「千葉県浦安町鳥瞰」の元町。
昭和6年当時の、海の方を向いた眺めです。東西線も走っておらず、田畑が広く続いています。もちろん、海もすぐそこ。新浦安なんてナシ。
赤い囲みの部分、右側は「堀江富士」の描かれた清瀧神社。左が「猫実富士」が確認できる豊受神社(表記は豊受天神宮)です。

この鳥瞰図は、大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師、松井天山(本名 松井哲太郎)によって作成されました。天山は、昭和初期、千葉県各地の鳥瞰図を残しています。市川、津田沼、船橋、八幡町、検見川などなど。浦安もそのひとつです。鳥瞰図(復刻)は高価で購入可能ですが、JR船橋駅には、南口の壁に船橋の様子を描いた鳥瞰図が銅板のレリーフになって設置されています。

以前から浦安の鳥瞰図は知っていましたが、小さなサイズしか見たことがなかったので、全体の把握しかしていませんでした。ところが先日、これに富士塚が描かれているのを発見し、小躍りしました♪
そうだ!地元の方に見せてみよう!と大きく引き伸ばしA2サイズに作り直し、いつもお世話になっている方にプレゼントしました。

「え〜?こんなのがあったの♪ 面白いねぇ」
「どれどれ。昭和6年の? いやぁ自分が生まれた年だよ(笑)」
「てんぐ山(猫実富士)が絵になってるね! あ、こっち(堀江富士)もだ!」
「この銭湯の位置はおかしいね。 でも確か区画整理でこのへんは移動されたんだ」
「今は広い道路ができたけど、昔はこっちに小学校があって中心地だった」
「ああ、この川は塞がれて今は暗渠になってる」
「山本周五郎の下宿してた船宿はこれだよ」
「こっちが東京へ渡る船の船着き場。橋はまだできてないからね」
「日本橋のほうへ荷を運んだ蒸気船が出るのはこのへん」
「や、○○商店はこの頃からあったんだ!!!○○医院もだ!!!」
「子供の頃に遊んだのはこのへんかな。そのあと、キティ台風で水びたしだ」
「ほら、弁財天は海のほう。田んぼの真ん中だね♪ このあたりは低い土地だから、昔はしょっちゅう水をかぶった。だから、弁天様の松の木の根っこから水が越してこないように願かけさ。『根を越さねぇ』→『根越さね』。それが『猫実』に転じたんだね♪」

ルーペを覗き込みながら、あっと言う間に楽しい時間が過ぎました。
そんなご年配のお連れ合いと出かけたのは。。。

つづく。
最近こんなものにもぐっときています♪





さあ、これらはどこでしょうか?

ヒント:ふたつとも鳥瞰図の(ほんの)部分です。

つづく。



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HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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富士山に登りたくても登れな
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関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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