▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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足利の富士山信仰レポのつづき(まだ終わってない!)に
戻る前に、正月ネタをもうひとつだけ。

練馬区では大泉富士にも登って来ましたが、
やっぱりまた発見してしまいました〜。
私が一番多く登っている富士塚なのに……お宝多すぎ!

気を取り直して。。。(有り難いことですから)



亀磐の近くにあった「龍石」です。

たぶん富士山の名所岩だと思いますが、とにかく珍しい。
過去に一度だけ、龍石に出くわしたことがありますが。



埼玉県和光市の浅久保富士にあった龍石です。

↑その時の記事にも書きましたが、漢字表記は少し違います。
大泉富士のは「龍」だけど、浅久保のほうは偏が帝。

大泉富士も浅久保富士も、同じ丸吉講だし、互いに
交流はあったのだけれど、今のところこの2富士以外で
龍石に出会ったことはない。なぜだろう。。。。。。

ま、とにかく、大泉の龍石を見てみましょう。

まず上部。原新田というのは古い地名です。
和光市の新倉地区にあった村の名で、今では本町あたり。
(和光市駅から西南方向にほど近い一帯)

今でもバス停名や屋号などに残っています。
ちなみに、浅久保はそのすぐ東隣にある。ふむふむ。

では、左右下側にある人名は?

上原鉄五郎さんは、旧・新座郡上新倉村の人で、
「明治初年に富士講碑に名を刻んだ」との記録あり。
(埼玉苗字辞典より)

鈴木彦右エ(衛)門さんも、旧・新座郡上新倉村の人で、
文政7年生まれというのもわかりました。
そして「明治3年に白子村の富士講碑に名を刻んだ」と。
(同上・埼玉苗字辞典より)

ふたりとも原新田の住人で、ほぼ間違いなく富士講ですね。

大泉富士のあるあたりは、かつては橋戸村だったから、
鈴木さんの「明治3年に白子村の富士講碑……」とは、
別の富士塚のこと(たぶん白子富士以外?)でしょうが、

上原さんの「明治初年に富士講碑……」には、村名の記述
がない。もしかしたら、この碑のことかも???

ところで、大泉富士の築造年は、明治7年(1874)という
のが通説ですが、それは、碑に刻まれた中で一番多い年号
が明治7年だったから、という理由です。

実は、数の碑の中には、
慶応4年(1868)もあれば、嘉永7年(1854)もあり、
文政5年(1822)なんてのもある!

最古の文政5年の碑が「富士仙元大神・木花開耶姫命」です。

やっぱり江戸期には大泉富士があった(少なくとも原型は
存在した)と考えるのが自然なようです!これはすごい!

ついでに、浅久保富士の龍石の文字も調べてみました。

右側にある文字は「小山岳みち」。
左には、丸吉講……と思ったが山吉講!の紋。え?
(丸吉講と山吉講は、紋は似てるが違う講)

その下が「○に清」の紋。これは……???
「清」がつく講紋は、品川にあったふたつの講だけど、
○の中に清はない。う〜〜〜〜ん。。。

それと、「○に清」の下に続く文字が「ふか川」です。
これにもええっ???ときました。深川って。。。

でも、他の講碑も調べてみたら、この講は、
かなり広範囲の交流があったことがわかりました。

近隣の講はもちろん、先の山吉講からは、番場、渋谷、
本ん所、西久保、堅川、市兵衛町、扇ばし、沼部、すな村、
奥澤、木場、目黒、年番、三軒茶屋、深川、神田の地名が
残っています。
山真講の名前もあります。(渋谷の講)

すごいぞ、丸吉講!
きっと羽振りのいい講だったんでしょう。

ちなみに、先の鈴木彦右エ(衛)門さんの名が刻まれたものも
ありました。

あ、しまった!私が知りたかったのは、
「龍石」が富士山のどこにあるかってことでした!

う〜〜〜ん。






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お正月に、江古田茅原浅間神社にお参りに行きました。
江古田富士のある、私の産土神です♪

もちろん富士塚登拝もさせていただきましたが、
とってもステキなお守りが頒布されていたので、アップします。

霊峰「富士」クリスタル御守



ピラミッド型のクリスタルの中に、
富士山の姿と神社名(練馬・江古田浅間神社)が、
上部には「願」の文字が刻まれています。(レーザー加工)

横から見ると、



こんな感じ。
四角錐なのは、富士山の御姿を「四方から拝せるように」とのことです。

今年の正月限定で100体のみでした。
火をあらわす橙色の紐と、水をあらわす水色の紐の
2バージョンありました。

これはいい!
コノハナ様は火にご縁があるけれど、水の神とされますからね。

このお守り、とてもパワフルに感じます。
今年の自分のキーワード「輝く方を見る」にふさわしい、
素晴らしいお守りに出会え、とても幸運でした!



さて、守られることに甘んじず、しっかり仕事をしたいです。







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また時間が遡ります。
実は、大晦日の1週間前にも砂町富士を訪れていました。



元旦から富士山の連載がスタートした朝日新聞(静岡版&山梨版)の取材で
ここに来ていたのですが、いつものことながら取材そっちのけで
つい新しい発見はないかと物色してしまいます(笑)。

富士塚の頂上には、「浅間嶽大日如来」の碑があるのですが、



以前から私はこの「大日如来」の文字が気になっていました。
この名があることからも、この富士塚は相当古いのですが、
この日、中道にてこの仏像を発見しました。(今頃ですけど!)



破損した部分がセメントで修復されていますが、



長い耳たぶや装束からも、大日如来像に違いありません。
現場でお会いしたY講元に聞いてみました。

「ようやく大日如来像に出会えましたよ♪」
「ふっふっふ。前からありますよ〜〜〜」

私がここに来たのはおそらく10数回は下らないでしょう。
さすがに普段からちゃんと見ておけとも思いますが、
それでも、こういうものが目に入るかどうかは御縁次第。
出会えるのはありがたいことです。

それからこれ。



中央に「氏子中」の文字が目立つこの石碑。

「砂町富士にはホンモノの富士山の土が混ざっている!」と、
東京人10月号の中でも書かせていただきましたが、
この碑を画像で記録したのは、実はこの日が初めてでした。



右側に、
「御尊山土持 土方
 世話人 植草喜左衛門 矢沢捨次郎 畑 長吉」とあり、
「御尊山」つまり富士山の土を「土持」つまりその土を運んで来た
という記録なのであります。

「土方」の文字も見えますね。名前の明記はないけど
土方をしていた誰かということでしょう。3名の世話人のもとに。



左側には、
「御山造 植木屋竹次郎」とあり、
届いた土を盛って山を造ったのは、植木屋竹次郎さん。

これらの文字を読んで、かなり興奮気味の私でした。
記者さんも驚いていた様子。



暖かい日差しが冬であることを忘れさせるほどでした。

さて、3つめの発見は富士塚から少し離れた場所にありました。



最近、御水講の方たちがとても大切にしている「元八まん道」の標。
亀戸浅間神社にあった道標を思い出させます

で、その右側に鎮座するお不動さん。



その手前の水盤を見て驚きました。
奉献の文字に挟まれたのは、まぎれもない富士山マーク。

「Yさん、これは御水講のですよね?」
「そうですよ〜〜〜。古いですよ〜〜〜」

参りました!!







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年が明ける少し前に、南砂の元八幡に滑り込みました。



「山吉丸す御水講」の提灯も煌々としています。
知った顔を探しているうちに、あっと言う間に氏子の方達が
本殿に集まりました。



宮司によるお祓いが始まりました。私も一緒になって頭を下げます。



雲間から出てきた月が気になったので、抜け出して横から撮ってみた。
右上、泳ぐように写り込んだ2012年最後の月光。



立派な神輿も一般公開。デカイです。
すでに氏子さんたちの気合いが込められている!
なぜなら今年は大祭(本祭)があるそうな。
区長も駆けつけ、檄を飛ばしていました。



火の粉にフォーカスしてしまったけど、いい光景です。冬の。



撥が早くて写らない。



友人も駆けつけ、富士講の方たちと飲んだのは、日本酒とコレ。
「富士山五合目奥庭みやげ『富士のこけもも』」のお酒です。
不老長寿ですって? 嬉しい!(やっぱり長生きしたいもの)
美味しかったです。ありがとうございました。

ちなみに私は「コケモモ」という名の響きが好き。
子供の時、ムーミンの本を読んで憧れたもんです(笑)。



奥の浅間神社も見に行きました。
夏みかん(?)がたわわに光っていて驚きました。

この光と影。色彩と闇。次元の階層。非日常な。。。

子供が立ちつくす。誰かを待っている。
去年(数分前)の自分の後ろ姿?いや、先を行く自分か。



灯籠にも明かりがついて、お宮が照らされています。
まっさらな紙垂が眩しい。



「富士塚もライトアップしたらー?」なんて言いながら、
イチョウの落ち葉を踏みしめて登拝しました。
(よい子はマネしないようにね)



参拝者はどんどん来ています。列もできました。



暖かい年明けでした。






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明けましておめでとうございます!



品川富士の頂上から、2013年の初日の出を拝みました。

昨年はいろいろとありがとうございました。
新しい年が平和で、そしてこの生まれたての日の光のように、
力強く輝きますことを心から願います。



今年もどうぞよろしくお願いいたします。


(追記 1/7)

日の出時刻ギリギリに到着したら、
富士塚の頂上は、鈴なりの人でした。(こぼれそうなほど)



↑斜面(登山道)だけでもこのくらい。頂上はすごかった〜。

↓日が高くなっても、半数の人たちが名残惜しそうにシャッターを切る。



品川神社に初詣をし、石段の上でふと西の空を振り返ったら、



消えてゆく月が印象的。
朝日は参拝者の顔を赤く照らし始めました。








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社から上は、道はありません。
右下の池の脇から登れそうな感じはありましたが、
どうやらそこにも道らしきものはなく。。。

もう一度MAPを見てみます。



一旦車道に下りて来てから、すぐ脇の登山道をチェックします。



自転車を止めて、蛇行する道に入ると。。。



え?この巨岩は???



ひとつやふたつどころではありません。
長さ1〜2mもの大きな岩が、登山道に並べられています。
これはいったい。。。

自然石ではあるけれど、どう考えても山の上から転がってきた
とは考えにくい。道を阻むような置かれ方です。

とはいえ、人為的にも運べなさそうな(かなりの勾配でもある)
このおびただしい巨岩群はいったい何?
誰がここに置いたのか??? ナゾです。

登って来た道を振り返る。



自転車が下に見えます。
まだそれほど登って来ていないのになあ。
山の上には奥宮があるらしいので、確かめたい。
先を行きたいなあ。

それにしても、これは何の意味があるのだろう。
行くなということか。

どうしよう。巨岩を間をぬって上に進むべきか?



一つ目の折り返しの手前から上を眺めました。
先の登山道が見えた。どうやら上にも巨岩はありそう。

しばらく悩んだ挙げ句、
今回は先に進むことをやめました。(またトライすればよい)

通常のスタンスは 好奇心>多少の困難 でよいのですが、
現場で少しでも何かに妨げられている感じを受けたときは、
知りたい欲求<土地と自分の縁に従う を守ること。
これができなければ、聖地を訪れないほうがいいでしょう。

今回、特別イヤな感じは受けなかったけれど、
奥宮との波長が合わなかったと判断するのは正しいです。

道を引き返すことにしました。(目的地もあとふたつ)

つづく。。。





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角行の修行したと思われる長途路川の東側には



こんな低山が、ぽっこり待ち構えていました。
魅力的なコニーデ型♪ これはいきなり期待大!
自転車で麓の道を走り、登山口に近づくと。。。



一件の廃屋。現役の農具置き場になっていますけど。
そのすぐ先。



鳥居もないので通り過ぎそうになったけど、
ツタの絡まる木の影に、ひっそり立つ御神燈が目に入り、
急ブレーキをかけました。



ああここだ!
石段なきゆるやかな参道を少し登ると、



正面左手にプレハブ小屋、それに続く石段。
その手前には。。。



石橋?



川はないけど確かに橋がかかり、右奥には池?



池?沼?昔は川だった?
こんな位置に???



まあとにかく、小屋へと続く石段を行きます。



東耕地の仙元宮と類似した(いやそれより簡素か)
プレハブのお宮。手を合わせた後、不安になりました。

「こんなに簡素でいいの?」と。
だって、この中には。。。

「木花開耶媛命神像」高さ18.5cm

「食行身禄像」高さ22.3cm

手鏡となる「神鏡」高さ41cm

などの見事な信仰物が納められているのですから。
私が訪れた時は、まだ美術館にありましたが、
できれば出展後、所蔵先を変えてほしいと思うほど。
私が不安を覚えたというのは、セキュリティー面。

どうかどうか。。。
無事でいられるよう策を講じてもらいたいと思いました。
(個人蔵であることを祈っています)

とにかく、美術館で見た「木花開耶媛命神像」は、
朽ちていたものの、コノハナの装束は立派であり、
全体から伝わる気品に見とれるほどでした。

さて、このお宮の上には奥宮があるらしい。
それはここからでは行けない。
登山道を探す前に、下の池を覗き込みました。



濁った水は、どこにも流れない。
でも、橋がかかっていたということは、
昔はここが浄めの場だったに違いない。
かなりのナゾであります。

上を仰ぐと太陽の光がやさしく射し込んでいて、



静かな空間に聖地独特の空気を感じました。

まだつづく。。。





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初富士とは、江戸時代、正月に日本橋から富士山を拝むことでした。
(当初は1月3日でしたが、のちに元旦に富士山を拝むこととなりました)

では、新年に初日の出を富士山から拝む、となると。。。
これはもう憧れですね。なかなかできないことですから。

でも、それを東京でもできるんです♪
「富士塚から初日の出拝」をやっちゃいましょう!

という企画で、私がナビゲートさせていただきました。
初日を拝める富士塚もリストアップしています。

東京ウォーカー 2013年1月4日号に掲載です。(12月11日発売)



↓ 富士塚記事はp70-71










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東耕地の仙元宮には、富士山赤御影と水盤のマークのほか、
ふたつの石碑が特徴です。



木の幹に喰われた碑と、バッタンと倒れた塔は、
墓石と言うか供養塔というか。。。戒名が彫られています。



右の石には、「中興開山ゴウクウ妙王光清」と読めます。
中興と言えば、それに続く食行身禄の名を見ることが
多いのですが、ここでは村上光清。

村上光清は、身禄とは別の流れを組んだ村上講のリーダー。
南関東の富士講とはちょっと違う講です。
(ざっくり富士講のひとつに言われがちですが)

村上光清も、富士山信仰の歴史の中で重要人物ですが、
(富士吉田では、今でも地元の人は親しげに
「光清さんが。。。」などと話しています)
くわしくはまたの機会に書くとして。。。

この仙元宮には、古い参道があって、舗装道路と平行に
民家脇から続いています。



坂を下りながら、茂み越しに西方向が見えました。



鎮守橋の向こうにセブンイレブンがまっすぐ見える!
その先にあるのが、西耕地の仙元神社。
つまり、かつてここから西耕地の仙元神社(富士塚)が
眺められたということでしょう!

坂を降りきって泰明堂整骨院の前に来ると、



(仙元宮登拝の際にはスルーしたけど)この碑があります。
鹿島神社が村社となったのはいつかわからないけれど、
その真向かいに仙元宮があるのは、なかなか気づかれないでしょうね。

ここからの行き先は、



もう一度鎮守橋を渡って、長途路川沿いに北上し、
樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮へたどり着くこと。



右に「鎮守橋」が見えます。(北側から撮ったところ)

それにしても、
「鎮守橋」が、かつて「仙元橋」という名だったとは、
オドロキでした(情報をくださったカフェオレさん感謝です!)。
「仙元橋」の仙元は、もちろん仙元宮を指しているのでしょう。

もうひとつ、



前方の橋を渡ると蜜蔵院というお寺に着くのですが、



この「寺橋」も、旧名は「行者橋」だったとのこと。
「行者橋」の行者は、長谷川角行のことです。

「鎮守」といい「寺」といい、
なぜあたりさわりのない名前に変えてしまうのでしょう。
(富士山)信仰の証が人の記憶から薄れていくきっかけのひとつは、
こんなことも原因だったりするのでは、と思ってしまいます。

さて、長途路川は水量の少ない小川ですが、重要な川。
長谷川角行がこの大月町にやって来て、このあたりに水垢離をした
行場があると伝えられています。
角行が川の堤に桜の木を植えたとの伝承から、2007年に
「長途路堤桜保存会」が発足され、しだれ桜64本が植樹されました。

角行の修行場は、足利市立美術館で催された「足利の富士山信仰」
の図録にあったマップだと、



みっつの仙元宮(神社)を結ぶ線でできる三角形のほぼ中央。
蜜蔵院近辺だと思われます。



自転車の右側がお寺です。
う~ん。この辺ぽいな~。

お寺の北東端に巨木がありましたが、この木の下に来てピン!



「間違いない♪」

図録が示す行場地点より、ほんの少し上流だけど、
巨木の下あたりは、何となく空気が違っていたから。

それに、ここから見える風景(北を向く)は、魅力的でした。



小さな円錐型の山がいくつも重なって、
何というか、安らかな空間をつくっています。

もちろん、角行が修行した当時と地形が変わっているかも
しれないし、木だってその後に生えたのかもしれない。

でも、何となくでもこの直感は、信仰の足跡をたどる私にとって、
過去の人たちの想いに触れた充実感がありました。
うん。それで充分。

ちなみに、角行が長途路川で修行をしたというのは、
伝承からして間違いないと思われますが、

足利市公式ページには、別の地点が載っています(p52)

これによると、長谷川角行の修行場が袋川で、
利保(かかぼ)になってる!?

まあ、穿ったことはここでは流すことにしましょう。
この後、行きたかったのは、



樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮です。

等高線を見ていただくとわかりますが、
この自然の山、ほぼ完璧な円錐型です。

つづく。。。





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タイムリーなので、お知らせしときましょう。



東京都清瀬市が発行する市報「きよせ」12月1日号に、
中里富士で行われる「星祭り」が掲載されました。

私が撮影した、直会(なおらい)前の祭壇の写真も添えられています。

星祭りの様子は、こちらから。

星辰信仰がルーツとなる星祭りは、東京ではここだけでしょう。
貴重です!

今年の冬至は12月21日です。
朝9時くらいに中里富士に行ったら。。。一緒に拝めるかも。





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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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