▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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猫実富士を少し離れてみます。
さすが底辺の直径が14mもある塚は、遠くからでもいい眺め。

ところで、

狛犬の台座にも溶岩(黒ボク)がふんだんに使われています。
これは土地柄といえるでしょう。水運に頼れる点です。

つづく。

御師、菊谷坊の前の松明では、富士講の人たちが集まっていました。
この後、地面に座り込んでの拝みが始まりました。
(画像は鮮明でないのでパス)

富士吉田でお会いした「強力」さん。
まだ引退はしていなかったと思います。

しかしその細い足で!

はおっている法被の染め抜きは、
江戸川区の講で、私がいただいた法被の山玉講とは違いますが、
同じ御師に世話になり、講同士の行き来もありました。
(江戸東京博物館で確認済です)

私はお神酒をいただいてほろ酔いの頃(笑)。

この法被、富士吉田の方からいただいたものです。

何年か前、「山玉講」のことを知った直後に火祭りを
見に出かけ、この法被をはおった方に出会いました。

この講は解散したと聞いていたので、なぜこの法被が?
と思いながらお話を伺いました。

これを着ていた方は講員ではなかったですが、お友達
に御師(おし)の方がいらしたので、わざわざ御師宅の
菊谷坊さんへ連れて行ってくれました。

★御師(おし)についてはまた書きますが、簡単な説明を。。。

 富士登山の為に富士吉田に来る富士講信者の、世話や
 指導をしたのが「御師」と呼ばれる人たちです。
 宿坊を営み、富士講を広める為に江戸に出て営業もして
 いたそうです。御師と信者は師弟関係にありました。

ある御師によって江戸時代の登山の様子の絵が残っている
んですが、シロウト絵ながら味のあるいい絵なんですよ〜。

ちなみに、この法被を着ていて最後に私にくださった方は
割と若い大工さんでした(お父様か家族の誰かが宮大工で、
北口浅間神社の大鳥居の袖柱を造られたとか……たぶん)。

はい。これは私の持ち物であります♪

しっかりした木綿の法被です。

下の「堀江富士」の石碑にも赤い文字で「山に玉」が
見えると思います。

数ある富士講の中のひとつ【山玉講】です。

講祖の清山玉行の名前からとった講名です。
清山玉行は天保7年には「六十六度大願成就」の碑を
建てた大先達でもあります。本名は田中屋清六。深川の出。
「三十三度」はよく見かけますから、これはすごいですね!

この講の分布は、江戸川をはさんで現在の東京都東南部から
千葉県西北部にわたる広範囲です。
ざっと深川〜葛西〜浦安〜船橋あたりと思っていたら、
深川、猿江、西町、浅草、神田、本所、本所横川町、
市川、船橋、堀江、猫実の名前が記録にあるそうです。

講紋の上に「舩橋」とあります。



庭園の築山と言ってしまえばそれまでです。が。。。

このようにちゃんと富士山のイメージを重ねてアプローチ
しています。ニューヨーク州のとあるジャパニーズ・ガーデン。

富士講はないですが、日系人だけでなく富士山を遥拝できます。

はい。

円錐よりも、これでしょう。銀閣寺の「向月台」。

このカタチがなんとも言えず「山」のイメージですよね♪


富士塚においては
富士講の開祖、【長谷川角行】よりも、
六代目の講祖、【食行身禄】のほうが重要な人物です。

身禄さんの弟子が師匠の意志を広めるべく「富士のうつし」を
つくったからです。

ところで、この食行身禄の生まれ育ったところが(画像参照)、
三重県一志郡美杉村という山奥です。雨が多く杉の育つ渓谷です。
(なんと私は昔、ここに1か月もステイしたことがあるのです!
 縁があるなあああ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪)

それはさておき、三重は三重でも、海のほうの話です。



鳥羽のとある離島に富士講がありました。富士参りに参加する
者は、前日にミソギを行い、浜辺に「盛り砂」をしたそうです。
そして講が出発した後、残った者が、道中の無事を祈って毎晩
太鼓を叩いて、念仏踊りのような踊りをしていたらしいのです。

この、浜辺に盛った砂が、おそらくある種の富士塚ではなかったか
ということです。高さが背の丈もあれば富士の形になります。
ちょうど立砂みたいにね。(下の画像は京都の上賀茂神社のです)

山型の土に浅間大神を迎えて祈願するというのは、江戸の講も
やっていたことですから、三重の浜辺で同じようにやってても
不思議はありません。

食行身禄がそれを知っていたかはわかりませんが。

仮説の域を脱していませんが。

この画像は「立砂」です。

つづく。。。


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関東各地に造られた「人造富
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士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

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美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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