▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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かつて目の前が海だったところにも、富士塚がたくさんできました。(数千年前の地図ではもちろん海の中)



砂町富士のある元八幡(富賀岡八幡宮)だって、江戸時代は水のそば。このへん一帯がよく水をかぶるので、この八幡様が深川に移って富岡八幡宮になったと言われています。そんなお話をしながら登拝しました。



「この富士塚も昭和になって30mほどずらされたそうです」
「ずらすって!? それは大変ですよね」
「建築物の移築のようにはいきませんから、いったん石造物を下ろしボク石を外して山を解体したのでしょうね」
「それは大変な作業でしょう」
「かなり改築費用もかかったそうですよ。このようにお金を出した人の名前が石碑にいろいろ刻まれていて。。。」
「ホント、たくさん書かれていますね」



私のお気に入りは、右の赤い三角の講碑。よく見ると、そばの力石や他の石も赤い。これは人為的な着色?それとも焼けて変色したのでしょうか?砂町に住んでらした方によると、このあたりは戦災にあったとか。でも、昔富士塚のあったところはまわりが農地だったはず。う〜ん。ナゾは深まります。。。

砂町富士のいいところは、こんなに大きな塚なのに裏側までぐるりと歩け、一周できること。アングルが変わると、頂上から続く深い溝や別の登山道(下山道)が見えたり、宝永山の位置を確認できたり、また、塚に生えてる植物を知ることができたり、といろいろな観察できます。

概して、リストを持って富士塚をめぐる方たちは(スタンプラリーのように)、富士塚を見つけると満足しすぐ次に移動されますが、それだけではもったいない気がします。そこから富士山がどのように見えたかとか、塚の面白さを観察すると、愛着がわき、有り難みも増してくるってもんです♪

この後、電車に乗って移動しました。つづく。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


6月3日は千駄ヶ谷富士のお山開きです。多摩川富士から皆さんと電車を乗り継いで、参りました。



鳩森八幡です。今年は何だか静かな境内。



提灯に明りが灯りました。儀式は午後5時から。



私はこちらの氏子でないのですが、
(「ご近所富士山」の執筆の際、お世話になった)宮司さんにご挨拶したら「せっかくだから、玉串奉奠(たまぐしほうてん)に参加してってくださいよ〜」と言われ、「それでは喜んで♪」とちゃっかり。(ちなみに宮司さんは平岩弓枝さんの義理のご兄弟なのです)



神官に続き、区議会議員さん、氏子さんらがぞろぞろと。。。



頂上に向かって鮮やかな提灯が飾られています。



玉串奉奠は、正面の石橋を渡って左の里宮にお供えし、すぐ下山しますが、



その後の一般登拝では、里宮の横を歩き、裏側から頂上へと登って正面に下ります。



裏の小御嶽わきから急な斜面を行くところです。
奥宮に向かって手を合わせる女性が見えます。
コントラストを効かせたのでわかりにくくなりましたが、左側にとても大きなオーブが写ってます。富士塚は、こうして大勢の方にお参りされるとメッセージを送ってくるのです。ちなみに、私の背後には樹齢400年の御神木が立ち、この塚を覆っています。



ちょうど持ち合わせていた富士講の法被を着て、神社の方とポーズを取ってみました。



私の隣のOさんも、個展を開く画家であります。



これは、2年前の私とOさん。なんと、私は同じ和風アロハを着ていたんですね〜。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ツアーに参加された方に、感謝と御縁のしるしにお土産をお渡しすることがあります。



必ず配布する各富士塚の資料とは別に、
古地図風富士塚分布図(その日登拝の富士塚に色づけしたものとか)や、
コースに合わせて町歩き情報モロモロ。



そして、お札(ふだ)とかも。



お札は浅間神社のレプリカでミニサイズ(いい和紙使ってます)。富士山の浅間神社に行けないので、私がかわりにこしらえてます。まるで先達さんがするように(笑)。

紙にあるのはイメージのみですが、【富士塚にお参りすることによって神様が降りてきてリアルなお札になる】というコンセプト。 遊び心のあるアートで始めましたが、お札のいただけない神社に行くことも多いので、喜ばれています。(そしてそれは実際、リアルなお札となるようです)

その他私にしかできないものいろいろ♪
いつも何かしらお渡ししてますが、何が出るかは私の気分次第♪

【楽しくなければ御利益ない♪】


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


多摩川浅間神社の南側車道は、東急多摩川線の踏切りを越えると、



「富士見坂」と呼ばれる坂道になります。



古い「街区案内図」や「掲示板」も建っています。



昔は、多摩川駅は多摩川園駅という名でしたし、東急の沿線名も変わっています(2000年8月6日 目黒線と多摩川線に分割され、目蒲線は消滅。多摩川園駅を多摩川駅に改称)。



坂マニア、また富士見坂マニアも多いでしょうね。数ある富士見坂のうち、いくつの坂からまだ富士山を拝めるのでしょうか。

坂を上ると左手の森がなかなかいい感じ。
この富士見坂は「大正末期頃から行なわれた耕地整理によってできた」そうです。もちろん、ここから富士山がよく見えたというからその名がつけられたのですが、現在は坂のまわりは建物が密集し、富士山はおろか多摩川も見えません。でも坂道に立てば、富士山の方角が簡単にイメージできます♪ 「ああ、あのマンションの住人はきっと見えているんだろうな〜」「い〜な〜」



上りつめたところは閑静な住宅街。
富士見坂は多摩川沿いに他にもあります。なんたって富士山がよく見える一帯ですから♪

それから、多摩川駅に入る前に10分だけの寄り道。



多摩川台公園のあじさい園から昇り、亀甲古墳の手前まで散策しました。



この地域は、その昔、多摩川の水を汲み上げて飲み水を供給していた「調布浄水場」を利用して造られました。当時の形をできるだけ残し、池には湿性植物が植えられてます。

とても気持ちいい空間で、思わぬ道草にハッピ〜になれます♪ オススメ。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


多摩川富士を下りて、休憩をとりました。この日は、5時から千駄ヶ谷富士のお山開きに出かけるため、ツアーの始まりも午後からというゆっくりしたものでした。

当初、お茶をする場所は、浅間神社の入口近くにあるレトロなつり具屋さん



の隣にあるCAFE



を予定していたのですが、あいにくお休み。同じく浅間神社の裾に構える



cafe despacioに座ることにしました。ここは、某TV局のディレクターが見つけてくれました。(実はこの日、取材を受けていたのでした)

カメラがまわっている時はちょっとキンチョーしてましたが、彼らが次の目的地である千駄ヶ谷富士に出発したので、私たちは急にリラックス。ここでプチレクチャーをいたしました。



持参した江戸切絵図を広げたり、



私の立体作品を使いながら、江戸時代の富士登山の様子をあれこれ。私ならではの展開です♪ こむずかしい話はこのツアーにはありません。そして臨機応変自由自在。もちろん参加者の構成にもよりますが、例えば現場で富士山のパワーを柔軟に感じようとすることもあります。



ここ、cafe despacioの奥は、多摩川富士の石垣をそのまま壁として使っています。ソファに腰掛けて、背中からそのパワーを感じながら楽しい時間はあっと言う間に過ぎていきました。

それにしても、参加される方から教えていただくこともたくさんあり、ツアーはとても有意義です。パワーを感じやすいT様は戸隠に行って来たばかり。聖地好きな彼女の感性は鋭くて、とてもありがたい。「ほら、石垣から背中に感じるのわかる?」私は話に夢中になってあまり気づきませんでしたが、確かにそこはちょっと違う空間でした♪ また、各地の神社に詳しい方からは、「一の宮」とはどういうことか等教えていただきました。

私にとってはボランティアに近いツアーではありますが、こうして全てが学びにつながること、そしてありがたい出会いは宝物となっています。感謝です♪

ちなみに、cafe despacioはオススメ。オープンカフェですよ。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


私が富士塚を気にし始めた頃、友人から「多摩川沿いに富士塚があるよ」と誘われ、一緒に出かけたことがあります。



通称「多摩川富士」です。「ホントだ♪ 富士塚だねっ」確かに小山に溶岩が貼りつけてあって登山道もある!



「でも、ずいぶん大きな富士塚だね」



頂上には浅間神社(多摩川浅間神社)の社殿があります。その造りは、東京都内では唯一の浅間造です。【浅間造】とは、静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」の様式で、「正面五間側面四間」の上に、「三間社流造」の本殿が載っているという、 二重構造のことです。



こちらの社紋のひとつ、桜の花はコノハナ様のシンボルでもあります。(駒込富士神社でも同じ紋の提灯が出ますよね)



頂上である境内に神楽殿があり、その足元には溶岩を配した枯山水があしらわれています。



手水鉢の向こう側に空が広がっています。



富士塚のたもとにある社務所の屋上にあたるこの場所からは、多摩川が目の前に見え、



晴れた日の夕刻にはこんなふうに富士山も拝めます。

でも、神社の方によると「これは富士塚ではないのです」。一般的にもこれは富士塚とカウントせず、私も本には紹介しませんでした。その理由。もともとこの山は古墳であり、そこに浅間神社を勧請した形態だったので、先人の富士講研究家たちが「浅間山」の範疇に入れていました。山の上に浅間神社があるってことですね。

神社の御由緒によれば、鎌倉時代にさかのぼります。源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した折、夫の身を案じた妻北条政子が後を追ってここまで来ました。わらじの傷が痛み出して多摩川畔で傷の治療をし、傍にあったこの古墳、亀甲(かめのこ)山に登ってみると富士山が素晴らしい姿を見せた。そこで、自分の守り本尊である富士吉田の浅間神社に向かって夫の武運長久を祈り、身につけていた「正(しょう)観世音像」をここに建てた。村びとはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼んだことから、ここが多摩川浅間神社の起源となったということです。

千葉県の「稲毛浅間神社」のように、こちらも富士講ができるずっとずっと昔、コノハナ様が浅間神社の祭神として登場する以前には、いくさの神だったようです。では、これはただの「浅間山」でしょうか。富士塚ではなく。



いったん、山を下りて観察してみましょう。



すると、登ってすぐのところにこんなものがありました。石板で塞がれているものの、これは胎内に見えてなりません。



そして、中腹には「小御嶽石尊大権現/大天狗/小天狗」の碑。傍に石祠もありますが、



古い石祠は頂上の一角にも。そして、「目玉」は、



頂上近くにある、勝海舟の直筆「食行身禄」の文字であります。

宮司が言うには「勝海舟が富士信仰があったのではないでしょうね。地元の富士講の誰かが、勝海舟に書いてもらってそれを碑に造ったのだと思います」

真偽はどうあれ、ここでちょっと面白い設定ができます。
富士塚になるためには、4つのパーツ「胎内」「小御嶽」「烏帽子岩」「奥宮」が必要だとすると、あらら、全部揃ってるみたい??? 先の塞がれた洞窟を胎内、勝海舟筆「食行身禄」碑を烏帽子岩にあててみると、ですけどね。

「ホントそうですね〜♪」参加者の方たちとそんな話をしながら、登拝を楽しみました。はい。楽しんでこそ、そして、有り難いという気持ちになってこそ、御利益があると思います。どれがあっててどれが違うから、と穿った見方をしていると信仰の本質を見失いますね。(以前から私は、宗教と信仰は別だと言っていますが、先日も同じことを言ってらした方にお会いしました。嬉しかったです)
文献を探したり研究に関しては、専門の方たちに任せましょう。(調査が必ずしもあっているとも限らないし)それよりも、キモチが大事♪ 神社にしろ、富士塚にしろ、庶民のためのものです。今ある姿に人々が手を合わせて「有り難い」と思うなら、それがイチバンです。

いずれにしても、こんな石碑やあんな講碑があったりするから、限りなく富士塚に近い浅間山と言ってもいいかも? 塚っぽいのは、南斜面から東斜面のあたりですけどね。

冨士仙元道!

○の中に「玉川」の文字!

やはりこのあたりに富士講があった証拠ですね。渋谷道玄坂に元講があった「山吉(ヤマキチ)講」の講碑です。金名水、弘汲元、南北講社。。。 

さらにおまけの記事もあり。。。


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浅草のお富士さんの前に出かけたのは、ここ。



一般登拝が許されるのは、6月30日/7月1日の2日間です。儀式の直前にはきれいになるでしょうが、公開少し前の塚はたいていこんな感じです。つまり、雑草がのび放題。でも、雨が降ってしっとりした山肌と鮮やかな緑は印象深く、あたりには素晴らしい「気」が漂っていました。

「草が茂っていてちょっと見づらいですね」
「いいえ。素晴らしい富士塚よ♪ 『てんぐ山(猫実富士)』は岩山だけど、こんな富士山もあるのね。とっても気持ちいい!」 



塚の前で拝む猿像も丁寧に観察しました。

「そういえば、子供の頃、てんぐ山のあたりで『ザンゲ、ザンゲ』って聞こえてきたの」
「うわぁ〜それ、富士講の方たちですね!」



古いマネキを説明してると、



え?何か通った?



「挨拶に来たのかしら♪」笑


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浅草寺(せんそうじ)の境内に、三社祭で有名な浅草神社(あさくさじんじゃ)があります。 現在そちらが管理している浅草富士浅間神社(あさくさふじせんげんじんじゃ)のことを、「浅草のお富士さん」または「浅草のお富士様」と言います。

浅間神社は、浅草寺から北に約300m離れていて、かつてそこに富士塚(といいますか、なだらかに盛り上がった小山)がありました。そこは、富士山から【裏鬼門】の位置で、昔はその小山から富士山がよく見えたそうです。

そして、お富士さんのお山開きに合わせ植木市が立ち、その賑わいは大変なものだったと言います。

現在は「お山開き」を知らなくても植木市はよく知られています。(植木市は、他の富士塚でもさかんでした)



浅草寺のことを、江戸っ子は「観音様」と呼びます。浅草寺のご本尊、観世音菩薩のことです。浅間神社に続く道、つまり「富士通り」を指す時、



こんなふうに「観音裏」とつけると、ぐっと江戸情緒が伝わってきます。



富士通りは、浅間神社の参道でもあります。
今は平坦な地形ですが、



昔はどんな感じだったのでしょうか。少しは面影がありますか?



この神社の向かいに、艶のある黒富士が、



灯のともった提灯を映していました。これは、



富士っ子の学ぶ「富士小学校」にある碑。



いつもは閉ざされている社殿の中は、こんなに綺麗。



富士通りの西側、六郷家の下屋敷跡あたりの通りに市が立ちます。かつては400店もあったけど、現在は約60店。ちょっと寂しいです。



でも、参加者は大喜び♪いろいろ購入されました。「お富士さんの植木市で買った木はよくつく」と伝えられています。

←買えばよかった!





金魚すくいの店はどこかレトロ。



これは金魚売り。まんまる金魚や



私の好きな金鯉も。



それにしても、このへんは、何でもかんでも富士さん。



近所の富士公園のトイレもです。



そうそう、浅間神社の境内にも、こんなのがあった。



喉が乾いたら、この、氷富士♪ 花やしき西側にあるひさご通りの「初音茶屋」は、氷の扱いにこだわりがあります。氷は「やわらかく」してから「かく」のです♪


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台東区のお富士さんめぐりのつづき。



まず、この大蛇。長寸は1m以上です。

麦藁蛇です。このブログでも何度も登場してきましたが、古くから富士塚のあるところでは、今でも売られています。栃木でもあります(6月1日)が、東京ではひと月遅れで十条、駒込、深川にて。(かつては白山でもあったそうです)

浅草は、5月最後の土日と6月最後の土日に頒布されるので、どこよりも早くいただけます。(江戸時代は、5月晦日と6月朔日の2日間でしたが、その後、山開きが新暦になったので、6月晦日と7月朔日も加えられ、計4日間のお祭りとなりました。現在はそれらが土日に変更)



浅草浅間神社の社務所に掲げられた大きな麦藁蛇と全く同じ形に作られた、長さ16cmの小蛇です。十条や駒込の麦藁蛇と形が違います。かつては、笹の枝にくくられていたそうです。

浅草では、この縁起物が姿を消した時期(戦後)があったそうですが、復活しました。ここの蛇は個性的でいいですね♪ 中心の棒にコイル状に巻きつけられているのが蛇の胴体。赤いのが舌です。



付属の白い紐は、蛇をくくるためのもの。この縁起物は、水まわりに置くとよいと言われます。龍(=蛇)は水のそばに置くとよいという風水からきているのでしょうか。

ところでその紐の結び方は、【偶然ですが】沖縄で昔から魔除けとして用いられる「サン」と同じです。沖縄では、ススキやワラ、芭蕉の葉が使われます。偶然と書いたのは、神社の方が「結び方に意味はない」と言っていたから。でも、現代では忘れられたことでも、古来からの形には意味がこめられているのかもしれません。



麦藁蛇の入った袋もなかなかいいです。

社務所ではこう言いながら売られていました。
「麦藁蛇は本郷とここしかないよ〜♪ 縁起物だよ〜♪」


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浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

浅草だよ♪

つづく。。。

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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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