▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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楽しみにとっておきました♪ この日の登拝。



↑これは、春に訪れた際の富士塚ですが、



↑千住宮元富士は、7月1日にだけ登拝できます。





「本日に限り…」と記されています。



いつもは、鉄門の前に御賽銭箱が設置されていますが、この日は門が開き、御賽銭箱の脇から登拝可能です。



講碑の数はおびただしく、全部をアップすることはできませんが、



全ての合目石が設置され、五合目には小御嶽もきちんと祀られていました。



7合目5勺には、この烏帽子岩。



頂上には「頂上」と刻まれた碑もあり、奥宮は素晴らしく供物が並んでいました。



こちらの宮司さんは、とても素敵な女性です♪ 御子息でもある、もうひとりの宮司さんと一緒にこの神社と富士塚を守っていらっしゃいます。でも、いろいろお話をうかがううち、地元の富士講が存続しない現在、この飾りつけや塚のお掃除がとても大変だということがわかりました。こんなにたくさんの供物を頂上に運ぶのに、どれだけ大変だったかを考えると、こうして富士塚を訪れる者にとっては有り難いことであります。

そして、感謝の気持ちがひたひたと沸き上がってきました。
富士塚は歴史的に見ると、ひとつひとつ考察するべき点はありますが、こうして地元の方たちのご苦労を知ると、過去よりも現在の扱われ方がとても重要だと思えてなりません。保存するだけでも、どれだけ大変なことか。。。



下山道は、奥宮の背後から2本あります。これは左側を上から見たところ。右側の方からが下りやすいです。でも、富士塚の構造をあまり御存知ない方は、登って来た道を下りる方をオススメします。



右側から下りると、こんな光景です。「御胎内」がくっきり!



塚の右側ふもとにあります。石祠は、屋根と社が合っていません。これもよくあることです。

千住宮元富士は、大正12年に千住神社境内の入口近くに築造されましたが、その後地震で崩れたため、昭和11年にやや奥に移築されたそうです。

ちなみに、戦争で爆風を受け塚がゆるみました。
登山道は4本あるそうですが、私が確認できたのは3本でした。

この日、私にとっても初めての登拝でしたので、ツアー参加の方たちを放置してまで、調査に熱くなっちゃいました♪ ごめんなさ〜い!


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千住大橋駅から日光街道を北上し、左折すると



昭和な香りが漂っていました。



銭湯、電器屋、こんなプレートさえも、ひとつひとつがどこか懐かしい。





千住神社はスゴくいい。



なぜかと言うと、こんな光景に出会えたりします。地域の方は、ご年配をとても大切しています。
これは、下見に訪れた少し前(今春)の画像ですが、車椅子のお年寄りの参拝のケアをし、その後長い間、お話相手をていました。

そしてこの日、7月1日のお山開きでも、お年寄りが大勢お参りにいらっしゃいました。こういう神社はいいなあ、となんだかじ〜んときてしまったのでした♪


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今年はカラッと晴れませんが、歩いていると、蒸し暑くて汗が出ます。

駒込富士の宵宮(お山開き初日)に向かう前に休憩タイム。古い地図を使って、昔の東大赤門内側にあった富士塚(椿山という築山に富士山の神様を勧請)が、駒込の富士神社に移された話などをし、プチレクチャーを兼ねたお茶をしました。

こんな差し入れもありまして♪♪♪
(富士山めろんぱんに関しては、後日たっぷり)



駒込富士神社に移動しました。広い境内には縁日の屋台がひしめきあっています。
「わあ、にぎやかですね」
「暗くなったらこんなもんじゃありませんよ〜♪」



頂上に飾ってある、鮮やかな花万灯です。急な石段を昇ってすぐのところにあるので、じっくり見ることはできませんが、本体は富士山型になっています。宵宮の午前中に、富士講の方たちがこれを担いで、この界隈をねり歩くのです。お山開きが始まりますよという告知でもあります。

紙面の都合上、本にはたった2行でしか紹介できず残念でしたが、実はちゃんとした歴史があります。参考資料からの抜粋を。

…………………………………………………………………………………………………
 古来陰暦六月の朔日を山開と云って、此日から富士登山を始めることになって居るに倣って、此祭は行はるゝので有って、二百年前までは、芝櫻田本郷町の富士神社より、當日左右の随神を此富士神社に送ることになって居たのが、争あってこのことを中絶し、今其随神(ずいしん)は駒込富士神社に飾られた儘になって居る。之を同時に久しく行はれて居たものには富士講中からもって来る萬燈が有る。萬燈と云ふのはつまり花傘を飾った高い行燈のことで、鉄砲洲の富士講中二三十名が、揃の中形の打扮(いでたち)にチリンチリンと鈴振り鳴らして、エッサモッサと景気よく一つの大萬燈かついで来て、篝火を焚いた富士神社の境内を練り廻って、やがて之を社前に立て飾って帰るので有る。享保の頃から行なわれていたもので、今も引つゞいて盛に行はれて居る。

若月紫蘭(1879〜1962)が書いた「東京年中行事」より。
…………………………………………………………………………………………………
★中形:江戸で生まれた型染めの文様で、小紋よりわずかに大柄のものです。

昨年大変お世話になった富士講の方にお会いできました。N様、応援していただき、心より感謝しております♪

ご案内をしていると写真はなかなか撮れません。ちょっとズルして
昨年の様子はこちら。
今年が去年と違うのは、麦藁蛇の大きいのが復活したことです。(気合い入ってます!)



今、蛇の造りを研究中デス。(もしかしたら面白いものができるかも?)


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「あぁ。。。売り切れちゃいました〜」

若い神官がすまなそうに言いました。
楽しみにしていたツアー参加者は残念がります。
初日なのに、昼過ぎに完売したのは、小野照崎神社の「へび土鈴」。
かわいくて人気なのです。

「あれ? でもその絵馬は? 去年見なかったですが、今年からですか?」



「私も今年からこちらに来ましたので詳しいことは。。。」

私の記憶が正しければ、この絵馬は見たことない。いやあったかな???
どっしりした大ぶりの手描き絵馬はなかなかいいです。へび土鈴の代わりに求めました。

ちなみに神官によれば、昔はここでも麦藁蛇を配っていたが、それがなくなりその代わりに「ミニ茅の輪」になったとのことです。

さて、年2日間しか登拝できない下谷坂本富士は、やはり風格あります。古いボク石も趣きあります。ひと月前の、うっそうとした雑草も綺麗に刈られ、登りやすくなっていました。

今年は「ゆっくり登ろう」という貼り紙がなく(おそらく午前中の雨のため剥がしたのでしょう)、とても見栄えがいい。頂上付近には、儀式で撒いたお祓いの紙が散っていました。



氏子さんからいただいた明治41年2月11日の小野照崎神社の図です。
この頃はまだ「紀元節」と言っていたのでしょうね。日章旗が掲げられています。

左奥の富士塚はかなり大きく描かれています。手前には橋が架かっているし、ちょっと庭園ぽい。里宮らしき祠も見えます♪


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


富士塚で行なわれるお山開きは、新暦になってから7月1日が多いですが、今でも旧暦にあわせ、6月朔日やその前後から各地で祭事があります(詳しくは本に書きました)。

つまり、すでにお山は開きかけています。そしてその盛り上がりは、徐々に伝わってきています。

富士山にならい、富士塚のお山開きも7月1日に大盛り上がりです。いつも閉まっている富士塚にも登れるし、お祭りもあるし。また、富士講の方たちも、この日に神事をされることが多いです。

さて、有名富士塚のお山開き日程は「散歩の達人」最新号の祭事カレンダーにも記されています。ふと見ると、それに続くページに富士塚のお山開きのコラムが出ていました。「東京お祭り!大事典」(←良書です)を出版された、作家/翻訳家の井上一馬さんによる文でした。

「ご近所富士山の謎」にもふれ「これを参考に富士塚に出かけてみよう」と書かれてありました♪(ありがとうございます)

そうです。お祭りもたくさんあるし、とにかく富士塚に出かけてみましょう!
大きなところでしたら個人でも簡単に行けると思います。

てなわけで、そろそろ私のガイド任務は終了に近づきました。私の富士塚ツアーは、ちょっとユニークな富士塚案内でしたので、参加者の方たちの記憶に残ったようで嬉しいです。

努力も工夫もしましたが、すべてはご縁です。来てくださってありがとうございました。富士塚が面白い/愛おしいと思ってくださる方も増えまして、心から感謝している次第です♪

ツアーは、7月いっぱいでシリーズを終了させていただくことにしました。



めぼしい富士塚を回ったこともありますが、これからの季節、炎天下で歩き回るのは結構キツくなります(私自身、昨年、本の取材でバテた記憶があります)。参加者の中には高齢の方もいらっしゃいますし、体力のことを考慮すると、盛夏に大勢で回るのは避けたほうがよいと判断しました。

体力を消耗しないためには個々のペースで回るのが一番です。先に書きましたように、富士塚は個人で行けなくはありませんから、どうぞムリなく楽しんで〜♪(その際、私の本をお供にして下されば嬉しいです。笑)

別の季節に、もっと工夫を凝らしたイベントも考えていますので、その時はまた告知しますね♪

(ちなみに富士吉田の火祭ツアーは参ります。御師宿坊の予約も入れました。あと少数でしたら参加可能ですよ♪お問い合わせはメールでも)


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ご存知、中沢新一氏の著書「アースダイバー」にも、さらりと富士塚にふれる箇所があります。でも、信仰の遺物として富士塚が好きな方たちには、あまり参考にならないかも知れません。

私は、富士塚には信仰の対象以外のミッション(?)めいたものも密かに感じているので、というと大袈裟ですが(笑)、富士塚築造は、土地の気配(気とも言える?)と関係あるような気がしてならないです。たとえ、移築を繰り返されたとはいえ。

例外もありますが、富士塚は、神社寺社の中に造られることが多かったですから、霊性の強い場所に存在することは当然です。スピリチュアルな観点からしても、パワーの強い場所、パワーの通る場所(レイラインとか)に多く存在することもあるでしょうし、風水説もありますね。荒俣先生もかつて、「富士塚が江戸を守る為に造られたって考えると楽しいですね〜♪」と言ってましたし。

史実も大事ですが、いろいろな方面から考えるのもロマンがあって楽しいものです。

では、「アースダイバー」から。
地質学の研究によると、縄文海進期と呼ばれる時代の、東京の地形が詳しくわかります。ふたつの異なる地層があり、それらは「洪積層(こうせきそう)」という堅い地層と、「沖積層(ちゅうせきそう)」という砂地の多い地層です。洪積層は堅牢な土のため、縄文時代に海水が奥まで入り込んでいた時も陸地だったところ。一方、沖積層は海だったところ。

縄文時代の地形を見ると、東京はとても複雑に入り組んだ海岸線を形成していたことがわかります。そして、神社やお寺は、当時も陸地でありさらに海に突き出た岬だったところに建てられているのです。そこはかつて、縄文人が墓地を造ったり、聖地として崇めたところ。これはとても面白いことです。

地形が変わり、かつてどこが陸でどこが海かわからなくなってもまた、同じ場所に聖地が設けられ、そして現在も残る神社寺社の位置は変わらない。つまり、縄文人が聖地と定めた場所に、後世の人が霊的に影響を受けていることなのです。

知らず知らずに、人は土地から立ちのぼる霊性によって左右され、営みを繰り返している。(立ちのぼる霊性……これは私も琉球の聖地で体感したことです)

本は、スピリチュアルに偏らず、大変バランスよく書かれています。ある街の繁栄が、実はその地形の(霊的)特性からきていた、というのも無理なく理解できます。

そして、アースダイバー読後、私が気になったのは「江戸情報地図」。縄文地図まで溯らなくても、昔の地図を見てみたくなったのです。それも現在と重ね合わせたやつ。この類いの出版物はいくつか出ていますが、大判のものを借りて来ました。江戸時代の地図は安政の頃。下にうっすら見えるのは平成8年の情報。



これは目黒川(水色で表記)に沿った地域です。右下の赤い丸ふたつは。。。



目黒元富士と目黒新富士。



目黒元富士が氷川神社に移転するのは、明治11年のことですから、この頃はまだない。一応現在の富士塚の場所に、赤い丸を塗っておきました。

富士塚の中でもあまり霊性に左右されなかったであろう(庭園の美を追求した)近藤富士(新富士)などは、もちろん、坂の斜面を利用するという、地形的理由が大きかったと思いますが。。。
とにかく、他の富士塚もこんなふうに、記載されておりまする。

そうそう!思い出しました。十条の富士講の方たちの「縄文的コトバ」!
(私の本のp123を御覧ください♪)
フランス語で Train Vert は「緑の列車」という意味。

「トランヴェール」は、JR東日本エリアの新幹線(東北・山形・秋田・上越・長野)の座席に搭載してあるフリーマガジン(月刊)です。

昨年4月号には、富士山特集が組まれ、特に富士山信仰に関する記事が充実していました。噂には聞いていましたが、残念ながら私は手にしたことがありませんでした。

ところが、特集の部分だけカラーコピーに撮って、きれいに製本して、わざわざ私に送ってくださった方がいます。



富士塚マニアのクライマー、E様は、インターネットをされないので、私のブログも読まれていませんが、なぜか私の心を読んでらっしゃるかのように、いつも驚きのタイミングで、私が欲しい貴重な資料をくださいます。今回も、トランヴェール2008年4月号が読みたい!と私が思っていたところでした。



特集の中、特に御師に関する記事は貴重です。



中里講社の方たちが常宿にしている上文司(じょうもんじ)家や、よく知られた大国屋、保存されている外川家宅、小佐野家宅のこと。そして、



筒(づづ)屋での、お焚き上げの様子。などなど。

なぜ、トランヴェールが今読みたかったか。それは、8月26日の富士吉田の火祭で、筒屋さんにお世話になるからです。先日、現地のK様から「筒屋さんやお焚き上げのことは、トランヴェール2008年4月号に出ているんです」とお聞きしたからでした。

なので、このタイミングはとてもラッキーでした。K様とE様に心から御礼申し上げます。

さて26日は、大松明が夜空を焦がす壮大なお祭りも見物ですが、



昼間も素晴らしい行事が満載です。これは、北口本宮富士浅間神社の中の諏訪神社での御動座祭。赤いのが「お山さん」です。この後、町にくり出します。

そして、貴重な体験、先達による「塩加持」は、


こんな感じ。くわしくはまた。
8月以降はこの火祭ツアー(1泊)に専念することにしました。こちらもくわしくはまた。

これはツアー会社を介さず、ごく少数(ただの観光ではないので、基本的に私と交流のある方もしくは儀式に興味のある方に限定)で参ります♪
去年のことです。鉄砲洲稲荷神社を訪れていた時、築地の「波除(なみよけ)稲荷神社」から「○○が足りなくなったので分けてもらえませんか?」と人が来ました。○○は伏せておきますが、同じ稲荷神社/同じ中央区つながりということもあってでしょう、共通(共有)の頒布物を借りに来られていたことが、ちょっと面白かったです。でも、こんなことは案外珍しくないかもしれませんね。

さて、ツアーはご年配組と非年配組に分かれて解散。喉が乾いた非年配組は、冷たい物を求めて散策の旅に出ました。向かった先は築地。

ムシムシした気候ながら、まだ日は高く、歩くのも楽しい♪ まったり散策は、佃大橋の西を通り、一向は築地にさしかかりました。 休憩場所を探しつつ、途中、祭りに遭遇し、その発信場所が波除稲荷神社であるとわかりました。



私はかねてから、波除稲荷神社もよく参拝しています。「やはり御縁があるかも♪」と密かに思いながら、皆で縁日の屋台でつまみ食い(飲み)。

かき氷、美味でした♪

神社の境内は狭いですが、巨大な獅子頭が鎮座しています。とにかく、とにかく、デカいのなんの!

弁財天お歯黒獅子

厄除け天井大獅子

今年は陰祭りですが、この日は、夏越し(なごし)大祭『つきじ獅子祭』の初日。翌日には上の2獅子以外にも、社宝である「金獅子」も担がれるとのことでした。そんな巨大なもの、担いで歩けるの〜!?



本殿では、古式ゆかしい舞が始まりました。どんなストーリーかはわかりませんでしたが、皆、その所作の鮮やかさ、表情の豊かさにくぎづけになりました。



↑私は、この髪の束ねを真似してみたいと観察中。

次第に人が集まってきました。明神神輿も帰って来ます。



やたらカッコいい(ご高齢の)カメラマンが目につきました♪

「災難を除き、波を乗り切る」ために善男善女が参拝する波除稲荷神社です。ここの祭りに遭遇しただけでもかなりの御利益があったハズ。ありがたや♪ありがたや♪


★ 追加 ★



↑頑張っています!!!
築地の人達は、いや、多くの人が移転を反対しています。私も!

「築地市場を考える会」にも出てますが、

今週の27日(土)にデモ行進があります。
これは都議会議員の選挙に『築地のことは口にするな。無視すべきだ。』との
指令が党より候補者に出されたことに抗議するデモ行進だそうです。
中央区にあるただひとつの富士塚、鉄砲洲富士はこんなに急勾配です。



平均45°ですが、場所によっては60°くらいありそうです。



山は、登るよりも下りるほうが困難ですね。ここに何度も訪れている私でもヨタヨタであります♪



さて、頂上にある奥宮です。 今まで気づかなかったふたつのこと。



屋根のすぐ下に見えるのは丸藤講の紋。

そして祠の台座にあった富士山型の物体!

↓左





↓右





半透明の合成樹脂に白いマットな塗料を塗った感じです。
何でしょう?何でしょう?
明らかにどこかの装飾に使われていたものだとわかりますが。。。
う〜ん。う〜ん。神社に問い合わせようかと思いましたが、顔見知りの宮司さんが不在だったのであきらめました。でも、ナゾが増えると楽しみも増える♪

楽しみはとっておきましょう。



鉄砲洲稲荷神社を出ると、こんなメッセージが飛び込んで来ます。
はい。親様ご先祖様には、この命をいただきまして本当に感謝しております!
それは、富士山信仰の原点でもあるのです。

しかし、トホカミエミタメ(遠神恵賜/吐菩加美依身多女/吐普加身依身多女)は、呪詞であり祓詞であり。。。アマテラスオホミカミと並んで、復古神道のための言霊でもあるそうです。“鎮魂行法”として「鎮魂」状態に入るための言葉とも言われますし、また、森羅万象をあらわしているとも言われます。とすれば、富士講の教典にも通じるところがありますね。(調べてみます!)


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通称【モンナカ】。
地下鉄の門前仲町の駅を出て、



深川不動尊に続く「人情深川ご利益通り」を歩くと、自然と足並みはゆったりしてきます♪



お不動に入るとすぐ左手に、ダイナミックな龍の待つ手水舎があります。その傍で、御祈祷が始まりました。鮮やかなオレンジ色の袈裟を纏った僧侶が儀式を終え、法螺貝を吹きながら本堂に向かいました。(顔を紅潮させてますが)いい音色です!

深川不動尊は個人的にも好きなお寺なので、よく訪れます。不動明王が好きなこともありますが、運良く護摩焚きに遭遇すると、その迫力に全身の細胞が活性化される感じがするのです。(流行りの言葉を使うと、神社が草食系に比べ、密教系寺院は肉食系な印象です。宗教的には逆なのですけどね〜)
お護摩修行は毎日あります。(9時、11時、13時、15時、17時)

ちなみに、内仏殿の奥はオススメです。自分の干支の御真言を覚えたり、ゆったり歩くと心が落ち着きます。また、2階の「四国八十八箇所の巡拝所」は、ブラックライトを駆使した空間で幻想的です♪

お不動の南側を東に向かって歩きます。富岡八幡宮の手前あたり、

↓その昔、深川八幡富士はこんなに風流でした♪(奥の築山です)
富士塚の上に人々が登っているのが見えます。
これは広重が描いた「名所江戸百景」の一枚、「深川八まんひらき」。



富岡八幡宮の別当寺である永代寺は、当時かなり広い敷地を持っていました。現在の深川公園あたりまであったそうです。深川八幡富士は寺の持つ庭園の中にあり、春の一時期(3月21日〜4月15日)庶民にも開放されたので、庶民は季節の花を愛でながら富士塚登拝も楽しんだようです。この絵の「ひらき」というのは、お山開きのひらきでなく「庭園開放」のひらきの意味ですね。

(「門前仲町」とは「永代寺の門前町」ってことです)

そして、富岡八幡宮の中のコレ。



2002年に再築されたモダン深川八幡富士です。ちっさ〜い♪
(昔の富士塚は、昭和40年に取り壊されました)

深川八幡富士を訪れたら、今の富士塚をあれこれ語るより、深川の町全体を楽しむのがいいと感じます。この界隈は本当に魅力的なところです。
昔を覚えてらっしゃる方が言いました。「新内流しはよく見ましたよ。永代通りに沿って流れる川をゆく船に向かって、柄のついた網でご祝儀を渡すんです」


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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