▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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もちろん、この方はコノハナ様ではありません。

旅先で訪れた、カトリック教会にて。

聖堂の中で、西日が射し込むステンドグラスを眺めながら心を落ち着かせ、出てきたところ、建物の外側にもいらした聖母子像です。

聖母マリアと目が合った瞬間、コノハナ様がよぎりました。
「まあ、コノハナはある意味聖母でもあるわけだし♪ ね〜」

なんて呑気なことを言っていたけど、この後、北陸でコノハナ様に会うことになっていたとは。

先週、新潟の旅に出ていました。
昨年の今日は「感謝の旅」というタイトルで、日記を書いてありました。

旅の目的は今年も同じで、お墓参り。
ご先祖様への感謝&これからも頑張るゾ〜という決意表明ナドナド。

去年は「新潟」という地名は出さなかったのですが、今回はちょっと面白いことが重なったので、あえて出しました。

新潟カトリック教会を出て数時間後、上古町という商店街を歩いていました。
すると、



「おっ大山祇。。。てことは娘の。。。おっコノハナ様♪」
暗がりのコインパーキングの片隅に、社だけの「大山祇神社」に遭遇しました。
通りを進めば白山神社に突き当たる商店街の途中です。
「しかしなんで〜?なんでこんなところにおわします〜???」



新潟には驚くほど多くのお寺がありますが、それに比べると神社はさほどない。
白山神社(加賀の霊峰、白山を信仰)が市の中心地にあって有名だけど、それ以外は小さな神社で、多くは無人の稲荷神社。

だからか、浅間神社もない(市内の西遠方に一か所のみ)。
「海に近い町では海上安全や五穀豊穣が祈願の中心だから、稲荷神社は多いね。山岳信仰はあってもせいぜい白山かな」
と納得なのですが、このミニミニ大山祇神社でコノハナ様に出会えたのは、とてもフシギな気がしました。昼間、新潟カトリック教会で、マリア様にダブらせてコノハナ様を感じたから、引き合わせてくれたのでしょうか♪

さて、新潟の旅から帰宅したら、もっとビックリなことがありました。

山梨県河口湖町の「上の坊」さんから、面白いメールが届いていました。「禊の滝」(母の白滝)近くで見つけましたと、画像を送ってくれたのです。



どれどれ。ああ富士講の講碑ですね。ふむふむ、三十三度大願成就ですか。

この地「母の白滝」にて角行が、のちに食行が禊の大行をしたと。ふむふむ。
そして諸国の信徒が、ここに修行に訪れるようになったと。ふむふむ。

ところが、その先が驚きでした。

越後國刈羽郡柏崎の、渡邊幸行誠直も明治6年に大行を修めたと。えっ?
寄附人が、新潟市の小出喜七郎ですと? 明治35年8月のこと。

へえ〜!っと驚きました。柏崎に富士講があったようです。
講紋の柏は、千葉県柏市でも、埼玉県東松山市柏崎でもなく、新潟県の柏崎〜!

詳しいことは郷土史をひも解かないとわかりません。
現時点で、渡邊幸行という人および新潟の富士講に関しては、何ひとつ資料がない。
では、この石碑を建てた小出喜七郎 (1860-1939)という人物は?

実はこの人、明治時代、新潟市では有名な財界人だったとわかりました。たぶん油田のある新潟で石油関連の企業で財をなした人ではないかと。でもこの人が富士山の信仰を持っていたのかどうか、また柏崎の渡邊幸行という人物とどういうつながりがあったのか。。。

さすがにそこまではわかりませんが、少し調べてみたら、新潟市内に彼の名前が記された神社の鳥居があったことが判明。

豊照稲荷神社という神社の鳥居のことですが、
「石の鳥居には明治24年(1891)11月に、当時の新潟財界の有力者小出喜七郎が奉納したと刻まれている」
そうです。

まあ土地のお金持ちだったら、奉納なんて気前良くするかもしれませんが、その神社の位置を確かめてまたまた驚きました。素通りしたとはいえ、そこは私たちがお参りしたお寺の近くであり、かつ大山祇神社との中間地点だったのです。

タイムリーな画像をいただいて、何だかまた因縁めいたものを感じました。
富士塚を下りた行者12人衆は、氷川神社の参道を歩き、



境内に設置された浅間神社の仮宮にて



もう一度拝みをします。昨年までは、全員正座をしていたとのこと。膝の痛みを訴える行者が増えたからだそうです。



先達が、お焚き上げのための種火を用意しました。いよいよです。



玉串の向こう側に置かれているのは、竹の箸。60cmほどの長さです。これでお札を挟んで、お焚き上げの火中に放つのです。



焚き上げていただく祈願札は、誰でも納めることができます。
私も願いをこめ、1枚書いてもらいました。

「行者が名前と願い事を読み上げるからね」
「ちょっと恥ずかしいな〜(笑)」



中央の松明に点火すると、乾いた杉の葉はメラメラと火を這わせあっという間に燃え上がりました。



「御願い上げ頼み奉る〜」

まず先達が、ヤマキチ講のお札を竹箸で挟み、読み上げてから火に投じます。



燃えたお札は、火の玉となって上空に舞い上がります。



先達につづき、全員がそれぞれ手に持つお札を焚き上げます。

「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」「おんねがいあげ たのみたてまつる〜。ナニガシダレソレ〜」

燃えた祈願札が高く昇れば昇るほど、願いが叶うと言われます。行者は心をこめ、力いっぱいお札の願主と願い事を読み上げます。















盛り塩は、火力を調整するためのもの。火に投げると少し弱まります。

それにしても、壮絶な火の力。容赦しませんというくらい、火はすべてを焼きつくす。見る者の、心の中の迷いすらも。

滝のような汗を流しながら、12名の行者は力強く願いを言霊に変えてゆく。その声は鈴の音と混じり、すごいパワーを生む。圧巻でした。お寺で護摩焚きを見たことがありますが、その時の何万倍もの感動を受けました。

顔を焼かれ、胸中の暗闇を焼かれ、気づくと私は放心状態になっていました。目から汗も出ていました。



全ての願いを焚き上げて、行者は火のまわりを一周し退場します。



戻って来られた行者のMさんが、
「ほら、こんなに熱くなってる!」
鈴(レイ)を私の手に触れさせてくれました。ずしりと分厚い金剛鈴は、熱と一緒に念を吸ったかのよう。

とにかく金属類はハンパでない熱伝導。同行のカメラマンさんも、カメラが熱くなっちゃって大変だったようです。(そちらの写真は次の本にて♪)

「それからこのお箸!!」
竹箸は、高熱によって彎曲していました。無理はありません。お札を燃やすため、箸ごと火の中に入れるのですから。

お疲れさまでした。離れていてもすごい熱でしたから、火の中に飛びこむほどの位置で読み上げをしていた行者の皆さんは、熱の痛みを体で受けていたのでしょう。それこそ行(ぎょう)として。

それにしても、見事にすべての祈願札を焚き上げられましたね。皆、天に向かって願いが届いたことでしょう。

「お札を書いた人は、自分の札が高く昇ったかどうかとても気にします。ですから、われわれも真剣になるのです」
35年間、このお焚き上げを司ってこられたS先達は、明治18年からつづくこの行事について、いろいろと語ってくれました。ありがとうございました。



人々が去り、静けさが戻った富士塚。
私の感動は、なかなかおさまりませんでしたけど。
行者は総勢12名。
通常、14〜15名が揃うのですが、今年はふたりの方がブク(忌服)といって身内に御不幸があって不参加でした。



まず、彼らが向かったのは手水舎。



全員が順番にお浄めした後、



富士塚に登拝します。



小さい塚なのに、まるで山道に見えるのはなぜでしょうか。



まだ明るいうち、風が強くて木々にかかっていた幟は、



きれいに降ろされて、闇の中で光を浴びていました。



行者たちは、狭い頂上の奥宮に向かって場をとる。



先達を先頭に、しゃがみ込むと



拝みが始まりました。



幻想的な時間です。

全員で読むお伝えは、高き山の頂きから流れ聞こえるものと変わりない。
お焚き上げをするためにすること。
禊をし、富士塚に神を降ろし、その神気を体に蓄える。
私はそう感じました。

つづく。。。
なごり惜しかったのですが、「火の花祭り」の始まる前に中里を後にしました。

9月1日は、知っているだけでも4か所の富士塚で火祭りがあるのです。
残り3つのうち、今回向かったのは川越の雀ノ森氷川神社。

「えっ? ダメですかい?」

手についた土を、舐めようとした子供に注意したらこの表情。思わず吹きました♪
傍にはお焚き上げの松明があります。



木片を積み上げた松明の上には、着火用の杉の葉と細木の束。それに御幣。
広瀬富士のお焚き上げのように、松明を中心に神域が作られていました。



境内の東北に位置する富士塚の頂上から見たところです。





富士塚はとてもシンプル。登るというより、儀式のための構造のよう。
とはいえ、斜面には古い石碑の数々。

大日如来

小御嶽神

参明藤開山+書行+食行



松明の近くに浅間神社の仮宮も設えて。



お囃子も盛り上がってまいりました。新宿と書いて「あらじゅく」と読みます。
富士塚のある地域には、お山開きといい火祭り(お山仕舞い)といい、お囃子連が活躍します。それは、単なる町内の祭りでないことのあかし。お囃子は、神様に奉納する意味があるからです。

さて、夜の帳がおりました。



盆踊りも始まりましたね。



氷川神社も浅間神社仮宮も、闇の中で映える時刻。

 

冨士浅間神社の文字の裏側は、「御水講」。
渋谷の山吉(ヤマキチ)講の枝講で、砂町のオミズコウともファミリーですね。
でもここでは「おんみずこう」と呼ばれます。

お焚き上げの始まる8時にはまだちょっと時間がある。もう一度、富士塚に登ってみよう。



目の前を、数人の子供達が駆け登って行きました。



「写真、撮って。撮って〜!」
彼らは、慣れたように奥宮によじ登り、はしゃいでいました。

しょうがないなぁ。
「ここには富士山の神様がいるんでしょ?」
「うん!」
「普段は乗っていないよね?」
「うん!」
「じゃ、いっか。今日はお祭りだからね〜」

考えてみたら、彼らはこの地で「安産祈願」をもって生まれ、「初山参り」で祝福された子供たちなのです。富士山の御加護をいただいている彼らは、こうして富士山と戯れて育つのでしょう。







いい子たちでした。

別れ際、
「ありがとうございました。盛り上がりました!」
なんて、お礼を言われた時には笑ってしまいました〜♪

あ、気づくともう8時。



行者たちは出番待ちです。

つづく。。。
夏に強いはずの私が、さすがに今年はバテてます。
電気代がもったいないのと、室外機から熱を放出することがどうもイヤなので、先月はトータルで1時間しかクーラーをつけずに頑張りました。しかし、無駄な努力はしちゃぁいけませんね。ムリして体調崩し、結局、ケチッた電気代以上の医療費がかかってしまいました。節約したハズの電気代もあまり抑えられず、とほほです(笑)。

とにかく9月になってもこう暑いとは〜。
昨年の9月1日は、長袖シャツを着て出かけたことを思い出して驚きました。

「午後2時くらい? だったら富士山にいるよ。準備してるからおいで」
Mさんからの電話で、いそいそと出かけました。

富士山神社を目指し、太陽がギラギラ照りつける道を行くと、



ええ〜!? もう麦藁富士が燃えている???

そう錯覚するくらい頭クラクラ。喉カラカラ。
あわててペットボトルの水を飲みました。
中里富士のある富士山神社に着くと、富士講の方達が汗だくで作業していました。

「おう。祭りの裏側見ていきな♪」
「今作っているのは?」
「点火棒よ」







麦藁を束ねて〜。
そんで、縄で巻く。
このへん弱いな。もっと足すか。
太くするには、少しずつ藁を中に刺してって〜。



ほれ。こんくらい長くしないと、てっぺんに届かない。



麦藁富士はもう仕上がっていました。



なるほどね〜。夜しか見たことなかったから、構造がよくわからなかったけど、麦藁の束をいくつも作ってからそれを円錐状に積み上げて、最後に縄を巻いて整えるんですね!

麦の穂はついたまま。

「ホントはね、穂は全部取ってからのほうがいいんだけど」
「たしか、『ぼうち』で?」
「そうそう。棒で打って穂を落とすから『ぼうち』」
「大変な作業ですよね」
「これ(祭り)やるのに畑が必要だからね。そろそろ蒔きどきだよ」
「そうか〜。この麦の粒を蒔くわけですね」
「うん。ここらに落ちた麦も全部拾っておかないと芽が出てくるよ」

木陰に腰掛けて、先達の御子息がいろいろと教えてくださいました。

この辺は麦がとれたから、昔は藁葺き屋根の家ばっかりだったそうです。
「茅(かや)がとれるところは茅葺き屋根だね。茅もいいんだよなぁ〜」

「棒ができたよ〜」



長さを確認しながらリハーサル。
向こう側には、寄附を貼り出す札場(ふだば)も設置されてました。



「お〜い。次はこっち。注連縄だ」





点火棒と同じ要領で作ります。ギシギシ。マキマキ。



古い注連縄を降ろして、長さを確認。それを鳥居に取りつければもうおしまい。



心地よい涼風が吹いてきました。「ひゃ〜気持ちいい♪」
手水場の水道から水を撒き始めたら、一気に涼しくなりました。
地面が冷えるとやっぱり違うのね。レインボウが目に嬉しい。



富士塚を照らす電球も、点灯テストが終わり、富士山はしばらくひっそりと夜を待ちます。



一方、先達のお宅では、他のメンバーが他の品々を点検中でした。
手前の竹は蝋燭を刺すためのもの。計108本。

「賽銭箱がどうしたって?」
「寄せ木の一部が突っかかって」
「棟梁に直してもらいなよ〜」

宮大工の棟梁(こだわりの角刈りが◎)が登場し、即解決しました♪



傍には、お焚き上げの際に振る大御幣が準備されていました。

先達宅の中庭には「正しい夏の心地よさ」があります。
風が通り抜ける。木々は守ってくれる。汗がひく。
ここでは夏を嫌いにならないな。

この日、卒論に富士講(富士塚)を書くという学生さんに会いました。
先日も、そんな人に出会いました。それぞれ、専門分野もフォーカスする点も違いますが、何だか嬉しくなりますね〜♪
小さい松明が燃えつきると、しばらくして大きい松明での神事です。

「どうして2つの松明を焚くのでしょうか?」
「長くお焚き上げを続けるということでしょう」

円柱状の松明は、吉田の火祭りの松明に似ています。
吉田のほうは松が材料ですが、こちらは桑の木。この地区では、昔から養蚕業が盛んだったので、桑の木も豊富でした。

「でも今はこの松明を作るために、桑の木を確保するのが大変なんです」
清瀬の火の花祭りで見られる麦藁と同じ運命ですね。
「昔は、養蚕やってる家が200軒もありましたよ。各家から少しずつ集めてもあっという間に松明ができたけど、今はもう農家も少ないから。。。」

清瀬でも広瀬でも、祭りを存続するために材料を育てる畑が欠かせません。いずれも市の無形民俗文化財になったことで、材料確保のミッションも課せられたわけです。考えると複雑な思いがしました。祭礼の継承だけでなく、物理的な御苦労もあるのです。





大松明は、四角に仕切られた神域の中で点火されます。講の方たちは、注連縄すれすれの外側に位置し、拝みを上げます。



かつては、この細い注連縄に各家から持ち寄った富士山(浅間神社)の掛軸を掛け、お焚き上げの炎にかざしたそうです。

「お浄めですね?」
「虫干しみたいなもんだ(笑)」



四方を塩で浄める。火の中へも。
祭りは、昔に比べたらかなり簡略化されているとのこと。かつて、火にかざす掛軸は注連縄に隙間のないほど集められたといいます。拝みの時間もおそらく短縮化されているでしょう。行衣にしても昔は正式な出で立ちだった。

それでも祈願の要素は不変です。「豊作」「安産」「鎮火」のみっつ。



富士塚の下では、広瀬囃子で盛り上がる。そして盆踊り。ミニコンサート。

一方、頂上は。。。







老若男女で賑わっていました。
お腹の大きな女性もいれば、家族でいたわりながら登拝する人々、知り合いのために蝋燭をいただく人、また、安産のお礼にとベイビーを抱いて登る人々。登山道には列ができていました。その光景は、初山みたいで微笑ましかったです。



こちらの講は、広瀬のろを取って「丸ろ講」。
「ろという文字が万に見えますね」



講元のTさんが、庚申堂に掲げられてある板札を並べてくれました。
「○の中にいっぱい『ろ』と書く人とそうでない人がいます。自分はいっぱいに書きますが」

そうそう、この火祭りのことを「スイカマチ」と呼ぶ人がいました。
戦後、屋台ではスイカ売りがたくさん出ていたからだそうです。
今年、私はスイカ食べたっけかな?
「逢魔が時」が訪れると、人は静かな興奮を覚える。
それは、闇の一歩手前。「何か」が始まる予感。「あこうくろう」とも言うね。

ちょっとこわい? そうだよ。現世と過去が交じり合うときだもの。
でも、引き返すにはもう遅い。闇はそこまで忍び寄る。ヒタヒタヒタヒタ。。。

流れて行こう。山の上まで。



水富地区一帯、拡声器によって遠くまで拝みの声が語り響いた。
人々はそれを合図に、富士塚へと登拝を続ける。まるで天空に吸い込まれるかのように。

これはただの祭りじゃあない。過去から、もしくはあの世からやって来る何かとの出会い。
皆、そう心の中で呟いただろう。



声の主は、長老のYさんでした。齢89歳。
富士塚の頂上には、講員が10名。一心に拝みを読誦する。
まるで、呪文を唱えるかのように。



拝みの後、富士講は養蚕神社へ下りました。小さな松明に火が放たれ、ここでも拝みをします。

つづく。。。
地名は上広瀬と言いますが、このあたりは昔から「水富」と言われています。



襷坂の横に、富士塚の登山口があります。



河岸段丘は、長い帯になって続いています。富士塚はこの高台の上に土を盛られて造られました。
「その昔、じいさんのじいさんたちが土を運んで造ったんです」
と、富士講の方。結構古いです。



地形を見るために歩きまわっていたら、交通規制を担っていたガードマンが、ストレッチしていた(笑)。



以前から気になっていたこの広瀬富士は、こんな感じ。



左の中腹にある、養蚕神社の前に小さい松明。



右側には庚申堂があり、その隣に大きい松明が出番を待っていました。

いずれの松明も、桑の枝をくくってできています。吉田の火祭りの松明によく似たカタチですね。大きい松明は、注連縄で張られた神域の中央に。



空の色が変わり、無数の蝙蝠が飛び始めました。



塚の南側を流れる堀(水路)に沿って、色鮮やかなぼんぼりが回っていました。
と、拝みの声が聞こえてきました。

つづく。。。
ここは埼玉県狭山市。
入間川によって形成された、河岸段丘の上に造られた富士塚です。
富士塚の様子は後にして、まず頂上から。。。




頂上に立てられた幟が、沈みゆく西日を受けていました。都心の富士塚では見ることがなくなりましたが、昔はこうして幟は大切なアイテムだったのです。横浜の富士塚では、今でもお山開きで幟が立ちますけど。



「安産ローソクさし上げます」



奥宮では、長老が蝋燭の灯っているガラスケースの中の蝋燭をチェックしていました。燭台の見事なこと。上のほうが富士山型なのわかりますか?

つづく。。。
「胎内くぐり」は、生まれ変わるという儀礼です。新しい生を受け、リスタートするってわけです。と同時に、女でも男でも出産する概念があります。面白いですね〜。

「父の胎内」があったり、「邇邇芸命 ニニギノミコト」が祀られていることも興味深い。(ニニギノミコトはコノハナの夫です)

狭い溶岩の隙間を産道に見立て、「産まれようとする意志」と「産もうとする尊厳」を味わう。この両義牲が胎内くぐりの特徴かと思います。人間は、常に何かを作り生み出しています。生きていく上で起こりうる、たくさんの困難をうまく回避できるよう、ここを通ることは全ての人に対して御利益となるのではないか。

木花咲耶姫が「火中出産」した伝説から発生した「安産の御利益」ですが、それを広義に解釈することが富士山信仰のよきところ。私はそんなふうに思っています。

北斎の『木花咲耶姫』



胎内は「無戸室浅間神社」でもあります。木花咲耶姫が、出産のために石室を閉ざして火を放ったことに由来します。安産祈願のお守りに売られていました。

かつては、胎内くぐりをする行者相手に、膝わらじや白いタスキを売る者がいたり、胎内くぐりを終えた行者に産(うぶ)湯と称して足を洗う水や、祝いの酒をふるまう人がいたそうです。

タスキは、後で妊婦の腹帯にもなるとして、安産土産になりました。また、洞窟内で使われて短くなった蝋燭もお守りになったそうです。こちらは、妊婦が産気づいた時に灯されるもので、残りの蝋燭が消えるまでにお産が容易にできる、という願かけです。

なんと、この蝋燭の安産御守、今でも伝統として頒布するところあり。



数日前、私もある富士塚のお祭りでいただいてまいりました。
それは、次の日記にて。


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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