▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
さて、大泉富士にも塚の右麓に立派な御胎内があります。 かつては↓このように、 ガッチリした鉄柵(鉄扉)で覆われていました。 地元住民にも、ここが防空壕の跡だと思われていたくらい、穴はかなり深いです。 (戦時中、確かにこの大泉富士に防空壕が作られましたが、これではなく西側斜面にありました) ところが最近、この御胎内が修復されたのでご紹介します。 右半分に側溝を使った穴を残し、左半分は講碑が埋め込まれました。 まず、冊の間から撮影してみました。 穴の中は、 こんな感じ。左奥に長く通じる先があるようです。 驚いたのは、穴の入り口左側にあった↓この石碑。 講紋は丸に藤。「丸藤講」のものです。 えっ!? 大泉富士を造ったのは丸吉講で、ここにある奉納碑も丸吉講(和光市)のものだったのに! 刻まれた文字を見てみると、「宗岡講」とある。 宗岡とは、埼玉県志木市にある宗岡の地名。 そして、宗岡富士を造ったのが「丸藤講」です。 これには驚いた! 100回も登っている大泉富士で、私はこれをかつて見たことはありません。 おそらく、御胎内を修復した際に、穴の中から見つかった奉納碑なのでしょう。 (御胎内の中には貴重なものが埋まっているのは珍しくありません) やっぱり今回も来てよかったと思いました。 新しい発見は、次なるロマンを連れてくるものですね。 (宗岡富士の歴史は追々に〜♪) Facebook あり〼
9月1日に清瀬市の火の花祭りに行ったら、翌日には大泉富士にいることが多い。
巨大な塚を見上げ、思わず深呼吸をしたりする。 正面の麓にある笹竹は、 8月1日のお山開きで御三幅(ごさんぷく)を吊り下げるために設置したもの。 →当日はこうして掲げて拝みます。 笹竹は、簡易鳥居のようでもあります。つまり、その向こう側が神域ということ。 今回は、正面から登らずに、違うトレイルを行ってみます。 塚の左側からはじまる、中腹まで一直線の白い道。近年見つけた「須走口」です。 中腹から見下ろしたところ。登りやすそうだけど、結構な勾配で、 よろけるとたちまち滑落しそう。そんなスリルも悪くない。 この大泉富士は、私が富士塚と認識する前からよく登っていたお富士さん。 おそらく100回は登っている、まさにご近所富士であります。 それでも、訪れるたびに新発見があるというもの。 前回の発見はこの須走トレイルでしたが、今回もすごかった。 つづく。。。 Facebook あり〼
「何時になった?」
「9時10分前です」 「炭坑節聞こえるよね?」 「あ、はい。予定よりちょっと早いですね」 いつも9時頃に聞こえてくる盆踊りの炭坑節は、お焚き上げスタートの目安です。 頂上のライトをはじめ、提灯の灯もすべて消された闇の中、 富士講の方たちが掛念仏しながら下山して、いよいよ儀式が始まりました。 四方固め、大松明の点火の後、O俣さんによるお伝えの転読。 そしていつものように、大幣束を振りかざして参列者をお祓いしました。 きれいに燃え上がるよう、またすぐに崩れ落ちないよう、位置を確認しながら点火したので、 火のついた小麦の富士は、火山のように燃え上がりました。 上部の燃え方が均等になり、ギザギザなカタチが美しい。 麦藁の束ね方は、こんなふうになってます。 小麦富士は、あっという間にマグマに変貌! 上の画像の3分後とは思えないほど。 今年の燃え方は、特に豪快。顔が熱くて皆悲鳴を上げてました! そして、まだ熱い燠を皆で掻き集め始めると、富士講員は帰頂し、 最後に〆の拝礼です。 大仕事を終えホッとするO俣さん。お疲れさまでした。 地口行灯の美しい絵が、疲れを癒してくれるようです。 この後は、新先達M村さん宅で直会があり、私もご挨拶で参加させていただきました。 夜道を歩きながら、 「これが小麦の畑だよ。だいたい100坪あるね」 と、大松明に使う小麦の畑(前の先達所有)を見せていただいたり、 「今度は、ここ(Mさんの土地)で小麦畑を作るんだ」と説明を受けたり。 M村さんのお宅も、驚くほど立派なお屋敷でした。 写真は撮りませんでしたが、直会の様子はほぼ前先達のお宅と同じ。 やはりたくさんのご馳走をいただきました。おいしかった〜♪ 皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました! Facebook あり〼
中里富士の頂上にて、しばらく御神酒をいただきながら談笑の時間です。
登拝される地元の方々に御神酒をふるまうのは、 奥に見えるのが、 ゴゼンサマ(御神語が書かれた掛け軸)と大日如来碑、奥宮の祠です。 最近、手品の腕を上げたO俣さんが、 「これね〜、『お伝え』なんだけど、こんなこともできる♪」 「えー!早いっすよ」 (Oさんのお兄様は、2代前の先達でした) そうこうしてうちに、富士塚の麓が騒がしくなってきました。 ふと下を覗き込むと、 「人がどんどん集まって来ましたよー。あ!ロウソクの火が消えてる!」 「風が強くて消えちゃったよ〜!」 つづく。。。 Facebook あり〼
9月1日、こんなポン酒を持参しました。
富士山がらみの儀式に参加させていたただく時には、 しばしば、オリジナルののし紙を巻いて出かけます。 向かった先は、 清瀬市中里富士の、火の花祭りでした。 今年はある意味特別でした。 今年、ご高齢のN村先達からM村先達に引き継がれ、ご挨拶を兼ねての儀式参加となりました。 ↑前先達が現先達に幣束づくり伝授の図。 ちなみに、前先達はご健在ですが、 いつもステキな笑顔で接してくださったM長老(手前の方)が、今年2月に他界され、とても寂しい想いです。 でも、長老の息子さんも講員ですし、M村先達も充分若い! 彼らが富士講(丸嘉講中里講社)を盛り上げていくのは、今後とても楽しみです。 (もうひとつの若返った富士講は、江東区砂町富士の御水講!) つづく。。。 Facebook あり〼
9月3日発売の雑誌「東京人」10月号は、
特集「山の手100名山 都心の超・低山がおもしろい!」です。 私の担当は、モチロン富士塚。【「江戸っ子の富士山信仰」p58〜65 】 17山をリストアップしました! 拙著(「ご近所富士の謎」&「富士塚ゆる散歩」)とはひと味違う、 記事をお楽しみください。 (新ネタもあり〼) ●砂町富士には、ホンモノの富士山の土が混ざっている! ●上落合富士は、かつて円墳だった! などね。 Facebook あり〼
富士吉田の火祭りは、8月26日でしたが、
その再現でもある火祭りは、関東の富士塚で催されます。 8月の2か所は、 8月21日@埼玉県狭山市の広瀬富士&8月28日@東京都文京区の駒込富士にて。 来たる9月1日にも、 東京と埼玉の2か所で、天に向かって炎が燃え上がります。 さて、どちらに行こうかな。。。まだ悩んでいます。 Facebook あり〼
その日は8月8日。末広がりで縁起がよいです! 富士山にうってつけ♪
丸の内朝大学の「富士山雑学登山クラス」第5回目は、フィールドワークでした。 千駄ヶ谷富士にやってまいりました。 千駄ヶ谷富士は、2種類の江戸切絵図にはこんな風に描かれていて、 江戸名所図会にも! 昔からこの絵と同じ場所に立ち続けている都内最古のお富士さんです。 画面ほぼ中央に富士塚があります。 色をつけて寄ってみると、 こんな感じ。橋を渡って山に入るのは江戸時代から同じ。里宮(浅間社)の位置も変わってない。 能楽殿(かぐら殿と書いてある)の位置も同じですね。 左隣のいなりは、甲賀稲荷とは違うようですが。(明治18年に合祀されたので) ありがたいことに、その能楽殿にてレクチャーをさせていただきました。本当にありがたい! 隣に富士塚を見ながらなんて最高です! 身禄像がこちらを見守ってくれてます。 加藤氏とクラス委員のおふたりが手際よく準備を。ありがとうございました。 続々と受講生の方たちが集まってきました。 30分の座学を大幅に過ぎ(私の熱がこもってつい)、富士塚登拝へと移動しました。 登山道は大渋滞。 そう言えば、今年の開山式でも同じような光景↓でした。若い方が多いですね。 受講生の皆さんは、私から資料を渡されて「あれ見ろこれ見ろ」って 言われていたからゆっくりとですが。それに皆さんは後日本当に富士登山をしますから、 今回は、登山の無事を祈願しての登拝であります。 最後尾を見守っていたら、 Mさんが素晴らしいアロハを着ていたことに気づきました! ず〜〜〜〜っと富士山柄のアロハを探していた私は、Mさんから情報をいただき、 後日ステキな一枚を購入しました(Mさんありがとう!) そして全員が無事下山を終え、 (ここからがスゴイ!)鳩森八幡神社の本殿にて、 神職によるご祈祷を受けました。 ほぼ全員が初登山です。もちろん、全員で安全登山ができますようにです。 ひとりひとり玉串奉奠をし、お神酒もいただきました。 これで大丈夫ですね♪ 富士塚登拝もしたし、強い味方に守られてますから。 皆さんありがとうございました。いい朝をシェアさせていただきました。 きっと素晴らしい登山ができますよ♪ ちなみに8月26日は1合目から5合目へ。9月1日は5合目から頂上へ登る予定。 なんと両日共、火祭りの日ではありませんか! わーわーわー。 (26日は富士吉田の火祭り、1日は清瀬市中里富士の火祭り) 行ってらっしゃ〜い! (↑朝大学で授業の後、仕事に向かう皆さんにかけるコトバでもあります) Facebook あり〼 |
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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
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▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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