▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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部屋の片隅に富士塚が。



いえ、富士山ですが、このシェイプはまるで富士塚!



実はこれは富士山の形をした徳利(底辺直径18cm/標高14cm)で、中身は富士山の湧水を使った茶焼酎なのです。

最初の画像は、徳利の上にかぶせる御猪口を取った姿。御猪口の底が富士山の頂上にあたります。これだけでも富士山の相似形でミニミニミニ富士です。

静岡県裾野市の酒造会社が、季節ごと4回にわたり予約限定生産した「三七七六」。
春夏秋冬のそれぞれの姿が楽しめて、とても楽しい♪ 中身も味わい深くて◎。茶焼酎なんて初めてです。

HPはこちらです。

富士山好きのN様が、私のぶんまで予約してくれ、毎回いただいております。
本当にありがとうございます♪♪♪♪

そして、「冬バーションですよ」と知らせてくれたのが



これ。夏バージョンや秋バージョンが富士塚っぽいと思っていたけれど、この真っ白な姿を見て、またインスパイアされました。白い富士塚があってもいいじゃないか!と(笑)。
なんか急に茶色い。そう感じました。葉っぱの色が変わったからかな〜。

いや、塚も茶色い。



近寄ってみると、茶色いものがあった。いや、いた。



猫でした。頂上の近くに座ってくつろいでいました。

背後で「こんにちは〜」と声がしました。
若い神官でした。
「あ、こんにちは」私は思わず「ほらあそこに猫が♪」
「あぁ(笑)」彼はちょっと見ただけで、本殿に足早に歩いて行ってしまいました。珍しいくないのかな。私はここで猫を見たのは初めてでした。

しばらくすると、塚のそばにいた小さな女の子が気づきました。
「猫がいる!」

私も近寄ってみました。



貫禄あるフシギな猫でした。柄のせいでまるで人の顔をしている。思慮深い表情に見えました。

今夜は満月です。富士塚で月と戯れる猫が見られるでしょうか。
この日は、TVのロケで千駄ヶ谷富士に登拝しました。
近年、冬になると顔がむくむので、帽子をかぶったままで映りたかったのですが、カメラさんから顔が影になって見えないと言われ、泣く泣く帽子をとりました。まあ、大事なのは私でなくて富士塚ですからいいんですけど〜(笑)。

撮影が終了してちょっと自由な時間が持てました。以前から気になっていた、千駄ヶ谷富士の「亀岩」をカメラにおさめようと思いました。実は、亀岩の存在は知っていたけど、撮っていなかったのです。いつも熊笹が繁りすぎていて、よく見えないからです。



でもこの日はよく見えました。位置は、正面から見て少し左。富士山の亀岩同様に8合目あたりです。画像の右上に写っているのが釈迦の割れ石です。



頂上付近から見下ろした図。左に見えるのは、里宮です。



8合目あたりの登山道から撮りましたが、これ以上接近できません。頭など、特に細部は作られていないようです。でも、甲羅のような盛り上がりはやはり亀っぽい。これはボク石(溶岩)でしょう。

ちなみに、この富士塚ではボク石は「頂上付近にのみ配されている」と言われます。神奈川大学日本常民文化研究所編の「富士講と富士塚」にそう記されていて、また、今年9月出版された竹谷靱負著「富士塚考」にも同じ記述になっています。でも、私が見た限り、斜面やふもとにもたくさんボク石がありました。

ボク石は多孔質なので、区別はつきます。風化し丸くなったものでも質感でわかります。それを証明するべく、次回はマグネットを持って行こうっと。
早朝は曇っていましたが、あっという間に晴れてきました。
日本晴れ、富士山晴れ、富士塚晴れ。



境内が清々しい。



社務所の工事のため、長いことプレハブが建っていたところがすっきりしたからです。日射しもたっぷり注いできました。



立派な神楽殿では、舞いの稽古をする人々がいました。
その神楽殿の屋根に次々と舞い降りる鳩たち。



一列になった鳩は、エサをねだるかのようでした。きっと餌づけをする人がいるのでしょう。時計を見れば、ランチどき(笑)。

神楽殿の向こうで千駄ヶ谷富士が光を浴びていました。

つづく。。。
ここは荒川沿い。鹿浜橋近くの、足立区都市農業公園です。



土手はいい感じに夕陽を浴びています。4時17分から始まるダイアモンド富士を求めて人が集まってきました。



土手の向こう、ビューポイントを予告されたところでは黒山の人だかり。手前でカメラを手にするのは、御存知、田代 博先生です。メディアにもよく登場されるし、HPを御覧になった方も多いでしょう

「先生、今日の富士山はどうですか〜?」



晴れてはいますが、ちょっとモヤッてきました。ダイヤモンドの光彩は希望どおりに輝かないけれど、これもダイヤモンド富士です。

富士山のシルエットが見えてきました。頂上の幅と太陽の幅がほぼ同じに重なります。



でも、私のカメラではとてもムリ。



ダイヤモンド田代だ〜!なんて言いながら遊んでました。先生ごめんなさい(笑)。

本当はこんなに素晴らしかったです。→田代先生のサイトで画像をたっぷり♪

もっと晴れている場合、太陽が富士山にかかるにはどのような経過でどう見えるのか、教えてくださいました。富士山に沈んだ後も余韻が素晴らしく、左上の空に富士山の影が出る、大きくまわりにドーム型の光りが見える、などなど。。。先生、ありがとうございました。



先生はとてもピュアな方でした。富士山が好きで好きでたまらない、その様子はまわりの人をも幸せにします。そしてやっぱり。。。富士山を愛する人は富士山に愛される♡
私は、他の人ほど自分の過去の作品に興味がなく、すぐ忘れてしまいます(笑)。作ったものも大事だけど、これから作るもののほうが大事だから。

ところが、たまたま昔のコンタクトシート(密着紙焼き)が出てきたので、ルーペで見てみたら。。。驚きました。



90年代半ば、NYの私のスタジオにて友人が撮ってくれたものです。

手前の白い八角形の絵は、油絵具とエンコスティック(蜜蝋)に銀箔あしらい。月向台にインスパイアされて描いた築山です。ふたつ奥は、油絵に金箔。これは岩山です。

この頃はまだ富士塚を知らないのに、なんと小山を描き始めていました。理由はわかりませんが、山が気になっていたのでした。それもただの山でなく、儀式的な築山。

そうだった。そうだった。魂が山もしくは巨岩に入るという信仰がアジアにある、と知り、気になってしかたがなかったのでした。この頃はまだやみくもに、手が動くに任せて描いていました。オートマティズムに近い。でも、これが後の富士塚との出会いの下敷きになっていたとすれば、興味深い。

そう言えば、今年の春にある人から言われました。
「あなたはずっと昔から富士塚を知っていたはずです」
いえいえ、私は知りませんでしたよ。でも。。。知っていたような気もする。正確に言えば、富士塚というものは知らなかったけれど、それに出会う伏線としていくつか思い当たる感覚はある。聖なる山のイメージ、築山をつくるイメージ。。。そういうことですか。

たまには冷静に、自分の辿ったものを見つめるのも大切な行為かもしれません。ちょっとひも解いてみようと思いました。
富士塚に無関係のことですが。
花園神社のそばに2つの富士そばがありました。
以前友人の写メで知ったメニューをようやく発見。こんなテンコ盛りとは!



チェーン店のお蕎麦屋さんだけど、こんなものもあるのね。近くに富士塚があることとは関係ないと思いつつ、なんか御縁を感じました。

店内は、和に片寄りすぎず明るい雰囲気です。入らなかったけど。



ちなみに、これも気になった。



BARのメニュー。
昨年、千葉県市原市の八幡宿富士の近くで発見!
今でもやっているのでしょうか。
花園神社境内の、芸能浅間神社の新宿富士の記事が続きましたが、最後にひとつ。
新宿富士って、知らないと見過ごすほどのちっちゃな富士塚ですが、かつては。。。



ド〜ン! こんなに大きかったのでした。立派ですね〜。

花園神社の町名は新宿5丁目。西側に隣接するゴールデン街が歌舞伎町なので、ついここも歌舞伎町にあると思ってしまいますが、この一角は新宿5丁目なのです。(ゴールデン街との境の道が町名の分かれ目)

かつてはこのあたり、三光町と言ったので新宿富士も三光町富士と呼ばれることがあります。すでに新宿富士の名で定着していたので、私も新宿富士と呼んでいますが、一般的に富士塚の名は、古い町名をつけたものが多いので(もちろん混在していますが)本当ならこれは三光町富士。いや、町はつけないから正確には「三光富士」ですよね。だって、近くの鬼王稲荷神社の西大久保富士だって歌舞伎町にあるのですから〜。

まあ、通称は柔軟に受け入れています。

さて、昔の姿はこんなに立派ですが、今と同じ場所にあったわけではないそうです。かつては、花園神社拝殿の南側にそびえていたとのこと。おそらく現在の常陽銀行の裏あたりではと思われます。

とすると、写真の右奥の大きな建物は何でしょうね。ビルの上には看板の骨組みらしきものもついていて。
富士塚の位置が拝殿の南側だったとすれば、そのビルは境内越しに見えると思ったのですが、どうも不自然。現在の地図を見ると、位置的に第二分庁舎ですが、かつては新宿区立四谷第五小学校だったわけだし。それに、その手前の家屋は何?

もしかしたら、靖国通りすれすれに富士塚があった?
う〜ん。町史を見たらわかるのでしょうね。時間があったら調べてみたいところです。こうしてついハマってしまうのでキリがありません(笑)。

ちなみに三光町の名前のなごりは商店街にあり。ゴールデン街の北側が新宿三光商店街です。(ゴールデン街の中かと思いきや、一角だけ違う組合なのですと)
「酉の市フレンド」がいて、10月末には「そろそろだね。今年はどこ行く〜?」と連絡が入ります。今まであちこちの酉に市に出かけたけど、見世物小屋も目当てにするので、花園神社が一番多い。今年は行けなくて残念だったけど、見世物小屋はどうだったでしょうか。美しい小雪太夫は出てたでしょうか?

それにしてもさすが芸能の神様、花園神社は独特です。

宿場町としての新宿が栄えた江戸時代、大火で焼失した社殿を再建するため、境内に劇場を設け、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博した、それが芸能の神様のルーツ。だからこの境内にはありとあらゆる興行が似合うのです。

今年の7月、ふらりとここを通った時のこと。暗い境内で、大きな声が聞こえてきました。それも複数。でも言い合っている様子でもなく、発声練習か歌の練習か。とにかく張りのある声。



すぐに「芝居の練習だ!」と気づきました。近づくと小屋が建ってる。



これはラッキー!この日は、椿組の公演前夜の通し稽古だったのです。芝居の内容はわからないけれど、隙間から役者たちが見えたしセリフもよく聞こえ、野外劇の雰囲気にひたることができました。

私は野外劇が好き。数年前にここで観たのは、唐組の「泥人魚」♪(テント小屋は雑司ヶ谷鬼子母神でも観ました「ジャガーの眼」)。



公演前の中を撮るわけにいかないから、ちょっとだけ奥の幕など入れて。
山田まりやちゃんもいたな。



さて、こんな時の新宿富士はというと。。。



やはり違う。まるで芝居のセット。芝居に参加しているかのような雰囲気です。ケバく妖しく花園神社ならでは。たまりませんね。



鳥居の内側から見た図もぐっときます。向こうの小屋は楽屋です。
いくら忙しくても、ゆっくりでもブログは継続していきます。書くことが尽きないだけでなく、私は富士塚の「広報担当」ですからね(笑)♪ これはどうやら富士山にやらされている、つまり富士山からのミッションのようなので、有り難くつとめさせていただいております。だって私の名前は「芙蓉峰(富士山の別名)の子供」、ズバリ、富士塚なんですから〜。

さて、今日は酉の市。
今年は二の酉までと少ないこともあり、残念ながら私は行けないので、昨年の三の酉の花園神社の画像をアップ。



熊手もいいですが、



この雰囲気がたまらず、仲間と遅くまで飲んでました♪

実はこの日、写真家の中里和人さんの個展で、中里さんとトークショーをした文筆家中野 純さんにお会いした後でした。中野さんとは富士塚つながりでもあり、積もる話もあったのですが、花園神社の酉の市が気になり、挨拶もそこそこに神社へと急いだのでした。そう言えば昨晩、偶然にも地上波のNHKで熱中時間に出ていた中野さんを拝見しました。彼はナイトツアーもやる「暗闇熱中人」なのです。

さて、もちろん記事のメインは富士塚です。花園神社境内にある「新宿富士」。



「三國第一山」とは、富士山のこと。富士吉田の北口本宮浅間神社の鳥居にも掲げられていますね。もちろん富士塚でもよく目にします。みっつの国は、中国、インド、そして日本。昔はこの三国で世界ができていると思われていたのだそうです。ですから、富士山は世界一の山ってことですね。



暗くても拝んでください。



酉の市で賑わっている日は、影の存在ではありますが、



私はこの日こそいいチャンスだと思っています。夜に登拝できるのはめったにないことですから。また、酉の市と富士塚は無関係ではありますが、この日に市の建つ神社に富士塚は結構ありますよ。

花園神社境内の「新宿富士」の他に、江東区富岡八幡宮奥の大鳥神社境内「深川八幡富士」。足立区鷲(わし)神社境内の「島根富士」、足立区花畑大鷲(はなはたおおとり)神社が管理する(そこから少し歩きますが)花畑浅間神社の「花又富士」。

他にもあるはず。ちなみに、花畑大鷲神社が酉の市の起源です。浅草でなく。
今夜酉の市に行かれる方は、熊手を買った後、ぜひ境内を歩いてみて下さい。




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芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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