▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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いろんなことに追われて余裕のない時でも、いや、そんな時こそ、時間を作ってでも散歩に出るのがいいですね。人間て、ついつい自分に課してばかりでつらくなるもの。先に進むため、それから一瞬でも解放されることが必要です。



歩くペースはゆっくりと。行き詰まった気持ちが和らぎます。行き先はやはりこの富士塚、猫実富士。あ、今日は人が多い♪



思いきりオシャレをした(された)子供がいる。七五三だ!



豊受神社の本殿から、御祈祷の太鼓の音が聞こえてきたと思ったら、出て来た人たちも七五三のお参りでした。家族で楽しそう。そう言えば、自分が8歳になった時「これでもう七五三のお祝いもしてもらえることがないのだな〜。もう子供じゃないんだ!」なんて思った記憶があります(笑)。



巫女さんも玉串を抱え、富士塚の前を足早に社務所へと戻ります。お疲れ様でした。

ステキな情景を垣間見ることができて、私も和むことができました。解放済み♪



あっちでも解放された子供が、走り回ります〜。
時間は溯りますが、西谷富士を求めて歩いていた時です。
相模本線西谷駅北口を出て、八王子街道(国道16号線)を東に向かいました。



すると目に飛び込んできたのは、



ふじづかせいさくしょ???
どう読んでもそうですよね。

平日ですが、シャッターが降りているので詳しいことはわかりません。
でも、ガラス戸の奥に人の気配があり、休業でもなさそう。

アートとはいえ「富士塚つくってます♪」と豪語する私としては、気になるわけです(笑)。なあんだ、富士塚をつくる会社がすでにあったのか?それとも西谷富士が近いから、それから取った屋号か?名前にするくらいだから、主人は富士山信仰をしていた人か???

数歩進むうちに、頭の中でいろんな疑問がよぎります。
あれ?確か横浜に富士塚と名のつく土地や屋号が多いけど、ここだっけ?
地名の由来は富士塚があるからだけど。。。いやいや、それは港北区のはず。
ここは保土ヶ谷区の西谷町だし。
(保土ヶ谷区にもここから東南の位置に藤塚というところがありますが)

よほど店の人にお聞きしようと思いましたが、とにかく急いでいたのであきらめました。でも、横浜には富士塚とそれにちなんだ名前がとにかく多い。いろいろ調べてみると面白いことがわかると思います。

土地カンがないのと交通費がかさむので、私の調査は手薄です。でも富士塚に関して調べたいことはつきません。縁あって訪れる時は何かに導かれてのことでしょう。それも楽しみにし、ムリして歩きまわらないスタンスで♪

ところで、こちらの業務は何でしょうか。



階段、ガレージ、ベランダ、シャッターなどと書いてありますが、金属を使っていることは確かです。まさか、これは表向きの仕事で、実は富士塚づくりが裏稼業? やはりメタル富士を作ってる(笑)? 金属加工を生業としつつ、富士塚作ってるとは言えない、でも西谷富士にあやかって屋号だけ富士塚制作を臭わせるものにした?

実は密かにメタル富士信仰者が大勢いて、発注は常にある?

な〜んてね(笑)。楽しい妄想でした〜♪
案外私が「固定式メタル富士」をこちらに発注したりして。あ、でも溶接は自分でもできることが最近わかりました!
西谷富士の全景をちゃんと撮ろうと思って、少しずつ正面を見ていました。



浅間神社の碑に並んで、いくつかの神社があります。これは山神社だったかな?
もっと寄ろうと思いつつ、西の空が気になって見てみました。
残念ながら西日は拝めず、富士山も雲の中。大山だけが形を見せていました。



すると、背後に人の気配を感じました。
坂を登って来た御年配の女性が、少し息をはずませながら近寄って来ました。
どうやら散歩の様子。手に巾着袋を持ち、にこにこ立っています。
私もつられてにこにこ。

「やっぱりダメ?見えない?」
「雲がかかっちゃいましたね」
「あ〜。午前中よく見えたって聞いたから来たんだけど。。。」
「あそこ、雲が分厚いですね」
「う〜ん。残念」

まるで知り合いのような会話からスタートしました。なんだか可笑しい♪

女性が見たかったのは、もちろん富士山です。
彼女はいきなりおしゃべりを始めました。とても気さくに。
この土地のこと。家族のこと。自分が生まれた北関東のこと。。。
それはたわいないことばかりだけど、聞いている私は、とても楽しくて幸せな気分になりました。実はこういうの、富士塚をめぐっていて時々あるのです。嬉しいです。

「この富士山ね、昔からここにあってね。子供達はいつもこれに登って遊んでたものよ」
「道がぐるっとついてますね。私も登ってみたら楽しかった♪」
「そうそう。そこをかけ登って〜。うちの息子も、小さい時はここが遊び場だった」

このくだり、富士塚のそばでよく耳にします。浦安でも聞く話でした。

「でも今は、ここで遊ぶ子もいなくなった」
「子供は外で遊ばなくなりましたね」
「大人がいけないんだよ。危ないからダメってすぐ言う」
「塾もあったりして忙しい」
「そうそう。今の子はかわいそうだよ」
「小さい時に外で遊ぶのって、大事だと思いますけどね〜」
「どうせ大人になれば落ち着くんだから暴れてればいいのよ。うちの子なんか…」



そんな話が延々と続きました(笑)。
富士塚の前で、何十分立ち話をしたでしょう。だいぶ暗くなってきました。
話をしながら、私は内心「もっと明るいうちに富士塚を撮影しておけばよかった」などと思いました。



でも、富士塚はまた来れば見られるけど、この人とまた会うことはたぶんないだろう。そう思うと、この時間が有り難くなりました。夕暮れがくれたギフトみたい。

そして、女性が説明してくれる富士塚の裏側を見たりしながら、登って来た道と違う道を、ふたりで一緒に下山しました。今でこそ山の斜面には住宅がびっしり建っていて迷路のようですが、昔はだいぶ違ったようです。

楽しい散策でした。とっぷりと日が暮れてしまいました。
女性は私の帰路を気づかい、わざわざ国道まで見送ってくれたのでした。そして別れ際、私の手を取って言いました。
「すごく楽しかったわ〜♪」

私もです♪ ありがとうございました。
富士塚の頂上に到着しました。



西を望むと、右寄りの木々の間にとんがった大山が見えます。
頂上は、平らでかなり広い。転落防止のためか、ブロックをつなぎ合わせてエッジに沿って、丸いカコミが作られていました。



少し後ずさりします。頂上の中央にあるのは、



間違いなくコノハナサクヤヒメの姿でした。多少カケてはいましたが、素朴で味があります。ちなみに、コノハナが祀られている富士塚は意外と少ないです。音羽富士の御胎内、あとは、ええ〜っと、ええ〜っと。。。千葉の富士塚にあったかな。今は思い出せません。



東を向くとこんな感じです。右下は神社の社殿。遠くには、となりの丘の住宅街です。やはりここはこの近辺で一番高いようでした。

塚のパーツをゆっくり見ようと思いつつ、とりあえず下山しました。後でまたチェックしようと。しかし、すぐに見ておかなかったことに、この後少し後悔することとなりました。

つづく。。。
用事が長引き、焦りながら駆けつけたのは、相模鉄道西谷駅の近く。

横浜はホントに坂が多い!坂と富士塚の関係を考えるにもうってつけの土地です♪



山(丘)のてっぺんにはこんな富士塚。カタチがよく、かわいらしい。



唐突ですが、この神社は「富士山神社」。あれ?東京清瀬市の中里富士のところも「富士山神社」でしたね。でも、清瀬は「ふじさんじんじゃ」と呼ぶのに対して、西谷のほうは、「ふじやまじんじゃ」と言います。間違えないようにしなきゃ。



塚の正面に数段の石段があり、丸金講の石碑が建っていました。比較的新しいものでしょう。掛軸のデザインが個性的です。赤い石もきれいです。



これは古い碑ですね。



裏斜面にはコミタケの碑も。



登山口は、富士山神社の本殿との間にあります。石段がつけられてます。その左には、ボク石が土留めのようにつけられていました。おそらく昔は、もっと他の場所にも配置されていたでしょう。



下から見上げると、螺旋の道が印象的。これは、横浜の富士塚の特徴です。池辺富士川和富士を思い出しました。
そうか!メタル富士の下山道を螺旋にしたのは、長津田で建てたから横浜バージョンになったわけですね(笑)♪ やはり富士山に操られた感があります。



では、登ってみましょう。くるくるくるくる。。。斜面はきれいに芝生の手入れがされてます。



くるくるくるくる。。。あ、頂上だ。

つづく。。。
ああ、日が落ちる。急がなきゃ!

この角度に好奇心アップ♪

あれ?住宅街?

鳥居をくぐり

ずんずん。ずんずん。

着いた〜!!!

つづく。。。
横浜に用事があって、メトロ日比谷線で向かいました。
車中、寝てしまいましたが、乗り換え駅の中目黒手前で、目が覚めました。地上に出たからだけでなく、何かに呼びとめられた感覚が確かにありました。目をあけると、ちょうど元富士のあった高台が目の前すぐそば、ほぼ同じ高さに飛び込んで来ました♪

あっそうだ!電車に乗れば最短距離で見られるわけか!
「気づかせてくれてありがとう♪」そんな言葉がついて出ました。
ふたつ前の記事の追記が書けるかな、と中目黒で下車しプラットフォームの端まで写真を撮りに行きました。



正面のこんもりした茂みあたりが、元富士のあったところです。
今は塚の形はないけれど、氷川神社に移された富士塚を「元富士」と言うならば、ここは「元富士跡」。でも最近「姿はなくてもその場所を富士と呼びたい」気持ちになることがあります。その場所からひしひしと伝わる「何か」がそうさせるのでしょう。私は密かにここを「元々富士」と呼んだりします。



またまた、江戸情報地図を使い、現在の地図と江戸時代の古地図を重ねたものに、いくつか着色しました。

左下の中目黒駅プラットフォーム(緑色)の端にピンクの★マークをつけました。ここから撮ったものが上の画像となります。目切坂の途中にあった元富士(赤色)をよく見ると、かつて塚のあったところが削られて線路がかかっています。私が目を覚ました地点が、まぎれもなくそこだったんです!

ちなみに、かつて蛇行していた目黒川は現在形が変わっています(濃い水色)。



別の日に坂の途中から見上げた図です。線路の向こうに高台とマンション。



鎗ケ崎の交差点からまわり込むとこうなります。



高台はマンションの敷地内なので、目黒区が立てた看板も入口にあり。

ここに登拝する富士塚はないけれど、この近辺を歩くだけでも面白いハズ。歩いているうちに、その地形を体で感じ、坂と富士塚との関係がだんだんわかってくるからです。

目黒に造られた富士塚は、すべて坂の上つまり高台のエッジにあります。目黒区は坂の多いことで知られていますが、富士塚を造りやすい好条件……富士山のよく見える場所であること、坂を利用して塚を造りやすいことがあったと思われますが、

富士塚が坂の上にあるのは、目黒に限ったことではありません。東京や神奈川の起伏のある土地には、特に多い!
(アースダイバーを読んだ方はわかりやすいでしょうが)もともと台地(洪積台地)の端っこに神社が多くありますね。東京では、南西側の斜面(神奈川では西側多し)が富士山に面しているため、その条件を有する神社には富士塚が多いのです。神社があったから塚を造ったのか、地形が適していたからそこに造ったのか、それとも土地の霊性がそうさせたのか。そのへんはよくわかりませんが(たぶん全部ね)。

熱中倶楽部ブログの大山編集長も、カシミール3Dを使って予測してましたね♪
そう言えば、大山さんにお会いした時、「白子川と大泉富士の地形の関係」に話が及びました。はい。大泉富士も、(和光市側に続く)台地の南斜面に造られた富士塚。斜面があるということは、近くに川がある。川のある谷に向かった地形ですからね。このセットを頭に置いておくと、地図から富士塚を見つける楽しみも出てきます♪

あ、もともと海だった土地(沖積低地)にはあてはまりませんよ。
このモダン富士塚。



いや、かつて富士急ハイランドにそびえていた、ミニ富士山です。
内部は富士大科学館。

実によくできていました。(気がする)
かなり大きかった。(気がする)
私はちっちゃな頃に一度だけ登ったことがあります。

この記憶が強烈で、大人になったらもう一度行こうと思っていたのに。
80年代終わりまではあったらしいけど。

でも、これを知っている人がイナイ。なぜでしょう?

これを覚えている方、情報をお寄せください〜。
「復元・江戸情報地図」の渋谷を出したので、目黒に移動しましょう。



みっつの場所に赤い●をつけました。

まず真ん中から。上目黒村にあるのが、元富士。「富士」の文字あり。



現在はこの高台が目印。この上にありました。

地図の右下へと辿ってみると、三田村にも赤い●。「新富士」とあり。



現在、頂上はマンションの横から入ります。

さて、この古地図は江戸時代のものですから、元富士はまだ上目黒にありました。
明治11年に移築された先は、左上の氷川神社です。当然「富士」とは出てないので、赤い●だけ記しておきました。



山の形が見えにくいけど、これが現在。

地図を見ると、氷川神社の南側に、大山道が曲がりながら通っています。ライムグリーンで着色したところです。これが、道玄坂(=大山道)から続く道。現在は、246が真直ぐに走っているので、当時の大山道の道標は、氷川神社側に移動され、鳥居の足元にあります。
ちょっと前のことですが、思うところがあったのでアップします♪

まずは、「熱中時間」のスタジオ収録前夜の図。



照明とエアコンが消えた暗い中、汗だくになりながらメタル富士を建てました。
(ちなみに真夏です)
画像は、思いのほか早く設置でき、安堵した私とディレクターさんの2ショット。
作業後の私が髪ふり乱しお見苦しいため、モザイクかけました(笑)。
背景は、別コーナーの江戸時代下町の書き割り。偶然ですが、妙に合ってます。

当初、メタル富士をスタジオに建てることは、私にとってしんどいことでした。
材料の運搬はとどこおりなく済みましたが、問題は自ら行なう設置です。
スタートは夜。日付けが変わらぬうちに終了するかどうか自信がなかったのです。

昨年長津田でメタル富士を建てた時、器用な友人が手伝ってくれたにも関わらず、
4時間も費やしました。時間がかかったのは、パーツが複雑なためでした。

ところがこの日、その半分以下の時間と労力で作業が済んだのでした。
これはミラクルでした。こんなにスムースにいくなんて!
スタッフの物理的アドバイスもありましたが、その方の言ったひとことに
「ハッ」としました。

「富士山パワーじゃないですかね〜」

「そうだっ!渋谷はそのパワーの通る道ですよぉ〜♪」

こんなサイトにも出てきますが、渋谷と言えば「百軒店:ひゃっけんだな(江戸時代富士講の講元で有名であった吉田家のあったところ)」のある道玄坂があり、NHKはそこから数百メートルしか離れていません。



ちょっと古いけど、1994年に朝日新聞社から出た「復元・江戸情報地図」には、安政3年(1856)と現代(1994年ですが)の地図が重ね合わせてあります。画像は見やすいように色を変えました。



今では想像できないくらい、かつてこの界隈は道玄坂町あたりにしか人は住んでいませんでした。(109のあたりですよ〜)

でも、道玄坂に吉田家(吉田平左衛門が講祖のヤマキチ講の元講)があったから渋谷に富士山パワーがある、と言いたいのではありません。むしろ逆。パワーがあったからこそ信仰が根づいたでは?と思えることがいくつかあります。

ここから北東に向かうと千駄ヶ谷富士のある鳩森八幡神社がありますが、そのあたりで「富士山からの龍脈がここまで来ている」と聞いたことがあります。風水を取り入れて江戸の町を作ったというのもわかるような気がしますね。

また、知人のヒーリングセラピスト、空鈴さんのサイトでも、面白いことが書いてあります。道玄坂のすぐ南側にかつて富士神社があり、この近辺がエネルギーラインつまり「レイライン」が通っているという解説があります。その中では、「江戸明治東京重ね地図」を使って。

ラインは多少幅があると考え、古くからの富士塚の位置を見てみると、多くがこのライン上にありました。

その他、地形を考察しても(参考:「アースダイバー」)興味深いし、いろいろ総合して考えてみると、やはり何かあると思わざるをえません。

富士山信仰の歴史だけでなく、こうした側面からも富士山パワーを知ると面白いでしょう?

ちなみに、レイラインに関しては詳しいサイトをご参考に。実は、スタッフの方とレイラインの話で密かに盛り上がってしまいました。

さて、もともと長津田(横浜市緑区)で初めて建てたメタル富士。



長津田は、江戸時代、世田谷から富士詣でをするルートにも出ています。
(2008年トランヴェールから)

江戸からだと復路になっていますが、長津田あたりの方たちは、そこから富士山を目指したことでしょう。また、その道は大山道でもあるので、大山詣ででにぎわっていたところ。

大山街道は江戸城の赤坂御門を基点とし、先に出た、道玄坂(画像の下方に大山道の文字を読むことができます)を通り、この道に続くのです。



屋上にメタル富士を建てた長津田のビルは、大山街道(富士山への道)のすぐ脇にありました。
当初、私に長津田メタル富士の依頼をした人も、また私自身も、そんなことに気づきませんでしたし、渋谷のスタジオにメタル富士を再現しようと言った方も、このつながりを知りませんでした。

終わって初めて、あれ?あれ?あれ〜?と思い当たることの多いこと。
私を含め、み〜んな富士山に操られていたのかもしれませんね〜♪


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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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