▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
「巫女ねっち〜」(富士塚熱中人には出てません)が、我が家に来てくれました♪
メタル富士の収まる箱の前で、記念撮影。 (私はまだ見ていないので、ドキドキなんですが) 放送を見てくださった方、本当にありがとうございました! そして番組関係者の皆々様、お世話になりました。 サイトでも、紹介ありがとうございました。 あさひさん、ありがとう ミヤケンさん、ありがとう それから、熱中時間のレギュラーで「団地」「工場」と言えばこの方、 大山 顕さん主宰「住宅都市整理公団」の 「別棟」にも♪ ありがとうございます。 大山さん、是非近いうち、富士塚めぐり御一緒しましょう〜♪
BSなんですけどね。
わたくし、出ちゃいました。 予告のかわりに→こちらをドゾ! BS2 9月12日(土) 18:00〜18:44 BS hi 9月14日(月) 12:00〜12:44 BS hi (再) 11月1日(日) 21:00〜21:44
翌朝7時。離れの御神殿へと向かいます。
渡り廊下の向こうです。 入口頭上 筒屋さんは参道の西側にあるので、奥の御神殿は朝日を浴びて美しい♪ 神道式に祝詞が読まれ、 心が落ち着いてきました。まわりの空気も変わってくる。言霊ってスゴい。 生沼先達から私たちに解説が。 「これから『お伝え』という富士講ならではの教典を読みます」 「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」「もろもろの〜」。。。 ありがたく、全員で手を合わせます。声が伝わってきて心地よい。 先達がさらに解説。 「富士山の下には水瓶があります。雪溶けの水は、長い時間をかけて地下にもぐり、我々がいただいているありがたいお水は、早くて100年、遠くて何千年かかって届くものです。。。」 「亀岩に祀られている龍神は。。。」 約30分。素晴らしい時間をありがとうございました! 前夜ともまた違った、貴重な儀式を体験でき、心から感謝です。 朝食をいただいて(右奥にもまだ大勢いらっしゃいます)、出発です。 本当にいろんな方にお世話になりました。ありがとうございました。 そうそう。これが、敷地内に流れる禊場の川です。ヤーナ川(間の川)と呼ばれます。段差を利用した滝で、富士講の方たちが、水垢離をするわけです。 火祭りというお山仕舞いが過ぎると秋のはずですが、なんだか真夏みたい。 タツミチを歩いて参道に出る。名残り惜しくて振り返る。 南を向けば富士山が♪ この方角を向いたところで、 御師町のマップをアップ。(富士山を仰ぎ、上が南です) ピンクのところが「筒屋」さん。左下の黄色のところが「外川家」住宅。 (外川家住宅レポはまた後日) 水色の線が、先に出たヤーナ川(間の川)。そして、参道わきを流れる表の川。
さあ、お宿に戻りましょう。夕食も待っています。
通りに面した筒屋さんの門を見ると、 昼間は丸伊講と丸金講のマネキだけだったのに、いつの間にか丸藤宮元講の方たち がいらしていたのがわかりました。 細長〜い「タツミチ」の脇には篝火。幻想的です。 中門に灯された御神燈は何かを語りかけるよう。 足元では、流れの早い小川が、水音を立てています。 禊(みそぎ)場として使われる川(水路)です。(画像は後で) 夕食を取りながら、あちこちで歓談となりました。 私たちの小さな島(グループ)に、奥の大きな島から来てくださったおふたり の先達。そして彼らにゆかりのある方たちも一緒に、濃い話が続きました。 奥にはこの2倍の島がふたっつも♪ ひたすら質問攻めにするAさん。 快く答えてくださる岩岡氏は、横浜の丸金講の先達。かつて、最勝寺(横浜市神奈川区の熊野堂富士を管理)の住職から、先達の写真を見せていただいたことがあります。→「こんな人がいるんですよ」と。 実は参加者の中に、先達に会いたがっていた方がいて、それはそれは喜んでらっしゃいました♪ 外の参道では、松明の火が徐々に冷えていきますが、宿の中は人々の会話が 熱を帯びてきました。お酒もすすみます。(美味しい♪) それにしてもいろいろな方にもお目にかかりました。 「金曜山梨」でお世話になったディレクターSさんに再会したり、 なんと彼が親しくしていたのは、以前からお会いしたかった若き先達Hさん だったり。その間にも縁のある方が絡んでいて、とてもフシギな巡り合わせを 感じました。Hさんについては、そのうちきっとアップすることでしょう♪ 夜も更けてまいりました。 就寝の前に覗きに行ったのは、筒屋さんの奥にある、離れの神殿です。 なんという気配。濃いながらも澄み切った空気が流れて来ました。感動。 ようやくお膳を下げ、布団を敷き始めました。正面奥にはまた別の講社。 後日、東京清瀬でお会いした方たちです。 さて、われわれは寝酒を持って(笑)2階へ移動。 まだつづく。。。
「そろそろ戻りましょう。お焚き上げが始まる〜」
塩加持は、7時頃からだと告げられていたので、移動したのが6時50分すぎ。 参道の松明はずいぶん燃えている。ドキドキしながら筒屋へと急ぎました。 到着すると、すでに松明の前では塩加持の真最中! 「遅いよっ!何度も携帯に連絡したのに〜」 「ええー?7時からじゃなかったの?」 携帯を見れば、6時38分からいくつもの着信履歴が! ショック!神楽殿にへばりついていて、全く気づかなかった。 休憩組が6時半頃来てみたら、塩に立てた線香もすでに形をくずし、 ご祈祷が進んでいたとのこと。 どうやら今年は、火のつきが早くて予定より早めに始めたようです。 わ〜ん。そんなこともあるのね! ということで、下2枚は私が撮れなかった画像です。Rさんありがとう。 先達の足元にあるのが、木綿の白布に敷かれた「塩の土台」に建てられた 線香の富士山。もう灰になっています(泣)。 いくつかの違う講(派)の方たちが炎に向かい、合同でご祈祷です。 先達も3人。 自分で撮った画像につながります。ブレブレですが。。。 そして私も塩加持を受けました。 布でくるんだ塩(線香の火で熱くなった塩)を、背中の数カ所にあて、 その後、数珠を使って同じように力を込めて祈祷してくださいました。 パワフルでした。 塩の熱とご祈祷の声で、私は一瞬違う場所にいるかのように感じました。 その時「無音」だったのを覚えています。 エネルギーが入った瞬間でしょうか。 私の後もしばらく続きましたが、間もなく終了。 (膝を痛めて正座できない人は、膝にしてもらったそうです) 最後は松明に向かって、祈祷が続きました。 さて、加持に使った塩は持ち帰りできました。この塩を自宅の四方にまくと病気や害悪が来ないとされています。 参加者の方たちに小分けしても、まだたっぷりあります。 数日間、袋に入れっぱなしでだったので、粗塩は線香の灰を吸い、グレーに変色していましたが、当日を思い出し少し舐めてみました。 すると、有り難いことに元気注入の感覚が♪ 水分を飛ばすために、しばし天日干し。盛り塩に使いたいと思います。 ところで、塩加持をやってらっしゃるのは、この方たちだけといいます。 いつ頃から始まったのか聞きそびれましたが、かつて富士講では、他にもいろんな加持祈祷がありました。 富士山頂上の金明水を加持水として使っていたことは有名(最近も市販してるとかないとか……)ですが、病気を治すために護符を配っていたこともあります。(詳しくはまた) 加持水は別としても、熱い塩や護符(に使われた墨)の効能は、決して非科学的ではありません。でも、かつては「怪し気なこと」として取り締まりの対象になった時代がありました。これもまたの機会に。 それより、松明の燃え残りつまり燠(おき)も、火除けのお守りになります。 うっかり取りそびれた私に、Kさんがたっぷり採取してくれてました♪ 感謝です〜。 つづく。。。
日本三奇祭のひとつである「吉田の火祭り」は、御影神輿(お山さん)や大松明ばかりではありません。
富士太々神楽(だいだいかぐら)の奉奏も見物です。 午後6時頃から始まるこの奉納芸能は、9時半頃まで続くのですが、最初のほうだけでも見たいと思い、御旅所わきの神楽殿に向かいました。 これは口上にあたるようです。四隅を丁寧にまわります。 面をつけた姿が、闇の向こうの舞台で印象的に浮かび上がります。皆くぎ付け。 江戸時代中期に現代のかたちになったというこの神楽は、天ノ磐戸開きを題材にした12の舞があります。 光の当たり方によって顔の表情が変化するのは、能面と同様です。でも、江戸時代は篝火の明りだったでしょう。ひとつひとつの所作や表情の変化が、闇の濃さと絡み合い、どんなに優雅だったことか。想像してたら昔にタイムスリップしそうでした(笑)。 そして、舞いと同様に素晴らしかった演奏。耳に残る独特のリズムは、まるで異国のものでした。 「ねぇ、中近東の楽曲に似てない?このストンと落ちる感じが。ちょっと違うけど、トルコの軍楽(メフテル)なんかも彷佛とさせるんだけど」 「そりゃそうね。雅楽はあっちから伝わって来たもんね」 そんな会話も楽しい宵でした。 つづく。。。
火がつけられるのは、大松明のほかに、井桁(イゲタ)に組まれたこちら。
大松明は各奉納者からのものですが、これは参道沿いの各家が門前に出します。いくつかが、早々と点火されておりました。 大松明はこうして、土の上によいしょっと。高さは約3m。 ↓昔の絵には、これよりずっとずっと大きな松明が描かれています。 少し前の記事にアップした五雲亭貞秀の「富士山真景全図」の部分です。 多少誇張されているとは思いますが、当時の印象はこのくらいあったでしょう。 現在は、火祭りは夜10時頃に終了となり、その頃に燃え尽きるように縮小されましたが、かつては夜通し燃やしていたのです。 左側にわずかに読める文字があります。「毎年七月廿一日」 現在8月26日に行なわれる火祭りは、江戸時代は7月21日だったのです。 松明が立てられると、提灯に火が入り、気合いも充分です。 そして種火の用意。 ついに大松明に点火です。 おごそかながら、火が放たれる時の高揚感は言いようがありません。 火のエネルギーが一気に倍増していくその様は、火山である富士山を想い、大地や生命の力強さを感じるものです。それを肌で受けとめながら、人々はおのずと感謝の気持ちを持つのでしょう。感動的な一瞬でした。 ひとつひとつ、点火されると、伝令が走ります。俄然盛り上がってまいりました。 でも、まだ空は明るい。時間もまだある。 神輿が納められた「御旅所」のほうへ行ってみました。 つづく。。。 |
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………………………………… 富士山に登りたくても登れな い人たちの為に、江戸時代に 関東各地に造られた「人造富 士山」のこと▲です。富士山 を信仰する▲▲▲富士講によ るもので▲▲▲▲▲したが、 地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富 士山が出来たことで、多くの 人が登山でき、大流行しまし た。民衆のパワーですね♪♪ 富士山の溶岩をのせ、一合目 から頂上まで登れるようにな っています。意外なところに ひっそりたたずんでますよ。 ………………………………… ▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼ ………………………………… 美しい作品も好きだけど、コ ンセプトありきで表現するこ とに喜びを感じるビジュツ家。 表現形態はこだわりません。 現在、富士塚のコンセプトに インスパイアされ、色々な媒 体で表現。著書の【ご近所富 士山の謎】【富士塚ゆる散歩】 も、私にとっては作品です。 なぜ富士塚か……それは、海 外生活での体験から。詳しく は本のあとがきに記してあり ます。 ★★★★★★★★★★★★★ お問い合わせ、ご連絡は↓ y♡k♡◆ris◆k◆.◆rtist★gm◆il.c♡m (♡をoに◆をaに★を@に変えて 入力して下さい) ★★★★★★★★★★★★★ 掲載の写真・イラスト・文章等の 無断使用・転載は御遠慮下さい ★★★★★★★★★★★★★
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