▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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人穴と胎内のことを書くつもりが、本日、多摩市永山にて富士塚についてしゃべってきたのでちょこっとアップ。(私のデジカメで撮っていただいたのに、私の設定ミスでトホホな画像)

とにかく、私ならではの展開で絵画を紹介しました。



五雲亭貞秀の「富士山胎内巡之図」を使って胎内のコトとか。



五雲亭貞秀の立て版古(たてばんこ)「富士山真景全図」とか。



二代目広重と三代目豊国による鉄砲洲富士/揚洲周延の深川八幡富士とか。



たくさんの方においでいただきました。ほとんどの方が富士塚を御存知でしたが、楽しんでいただけたかしら。「子供の頃に遊んでいたのが富士塚だったと知って嬉しい」なんてお話も聞けて、こちらが楽しかったです。スタッフの皆様、お世話になりました。ありがとうございました。

そうそう、その後八王子富士には無事に登拝できました♪(後日アップします)
ディープな山開きレポの始まる前に。

富士山柄のコートもそうですが、富士塚や富士山信仰の場所を歩きまわる私に、富士山の想いをこめて創られた品々が御縁でつながります。あなたでこそと託されることが多いです。身につけるものでなくても富士山に関する品々を贈られますが、その度に私は、富士山を想う作者(過去であっても)からの、時には富士山からのメッセージを感じます。そしてパワーをいただいております。本当にありがたいです。心から御礼申し上げます。

さて、前の記事の最後の写真で、コートの中に着ているものは、「富士山牛王宝印Tシャツ」です。ちょっとタイムリーなので、御紹介します。



Tシャツの背後は「富士山牛王宝印」。前面の左胸には「生土」と書いてうぶすなと読む文字が鮮やかです。アイボリー地と濃紺地の2枚のTシャツを重ねて写真を撮りましたが、これを制作したのが、



河口湖御師の家系の「上の坊」さんです。
↓実際に着た感じはこんな。



Tシャツに関してはこのページに。

私のブログでは、御師に関しては富士吉田の御師のことしか書いていませんでした、でも、河口湖御師の歴史も重要です。詳しくはまたの機会に書くとして、「上の坊」さんのサイトからふたつ引用します。



『図柄の中央に書かれている「富士山」を模様化した文字は富士山牛王宝印の最大の特徴といわれ、家内安全や五穀豊穣、安産祈願などのお札として、広く用いられてきました。山頂に描かれているのは、木花開耶姫を含む三神像で、富士浅間信仰の中心とされ、左右に描かれている合掌する猿は、山の神の化身と伝えられています。また、羽団扇が富士山を支えている図柄は、河口宿の御師の特徴であり、この牛王宝印は富士山浅間信仰の本流をおのずと示す模様なのです』



『胸に書かれている象形文字は、牛王を記号化して、生土(うぶすな)と読ませたものです。うぶすなは一般的には産土と記される地域の守り神ですが、生土は、河口宿の御師だけが使ったとされる符号で、富士山を日本総鎮守つまり日本全国の守神として表していると伝えられています』

このTシャツ、とてもよくて、昨日御一緒した吉田の御師宅のお母さんも「すてき〜♪」とおっしゃっていました。

そうそう、なぜ「タイムリー」かというと、ネット以外東京では購入できないこのTシャツが、明日から3日間、西荻にて出品されるからです。



「オハリコフジヲ」さんのページもご覧ください。

ちなみに「上の坊」とは御師の屋号ですが、あの「天下茶屋」もやってらっしゃいます。

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さて、富士山柄のコートは
「あひるの学校」の制作です。(現住所中央区入船3-4-5)。



素敵なお店には、ホンモノの品。世の中に着物の古布を使った服は数あれど、こちらの品は全くの別モノ。質が違います。想いもハンパない。



古い帯を使ってできたこのコートは、現在私の守り神となっています♪ 想いをこめ丁寧に織られたこの富士山が、昨日、本物の富士山に出会い、パワーアップして帰って来ました。

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それから、タイムリーと言えば、



「エバニューの島」に清瀬の中里富士のことナドナド♪



おかげさまで、「マイ KONGO」は横浜の富士塚で大変役に立ちました。マジこれがなかったら滑落してましたもん(汗)!!!
夏になりました。富士山と富士塚がお山開きの季節を迎えます。
旧暦でのお山開きを皮切りに、これからがまた忙しくなります。



私は行衣の代わりに、富士山柄のコートを着て出かけました。



ヨコハマ



シズオカ
八角なのは、御存知、金剛杖。
でもちょっと違いマス。



その名は「KONGO」。さてその正体は♪

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


アウトドアグッズのメーカーとして知られる【EVERNEW(エバニュー)】という会社があります。最近、そちらが



面白いサイト、【エバニューの島】を制作中♪

私が「ピグモン富士」と呼んで親しんでいる、江戸川区の「中割富士」も出ています。



ユニーク動画やアクセスイラストがとても楽しいです。覗いてみて下さいね。

で、その中にも紹介しているのが金剛杖バージョンのストック、「KONGO」です。



今回御縁がありまして、私もこのKONGOをマイ ストックにさせていただきました。商品には焼印は捺されていませんが、富士山に登ったら山小屋で焼印を捺してもらい、オリジナルを作る楽しみがありますね。

私は、キント雲のマイ焼印がありますから、これでマイ KONGOを作ってみたわけです。



しかしこれが難しかった〜!

マイ焼印は、
「富士塚キット」や
「富士塚はんぺん」

などで活躍していますが、角柱に捺す難しさは予想以上でした。とにかく手元が不安定。よく滑る。。。



コゲコゲなんかもできちゃって〜(笑)。
でも、案外こんなのがいい味出して、結果的には満足なものとなりました。



それにしても、富士山で捺してもらった焼印のうまいこと。

金剛杖は、【熊野牛玉に関して書いた記事】の中にも、ちょこっと写っていますが、




こんな感じ。よく見えませんが、焼印の数は20個。

さて、ひと月後はマイ KONGOを持って、某所に出没の予定です@七富士参り♪
アースダイバーの付録を拝借して、位置を確認。



思ったとおり、郷土博物館のあるところは縄文の頃からの山の頂きでした。
(後で寄った氷川神社は、南西向きの坂の上でした。恵比寿までくだってみてその急な地形がよくわかりました)
また、昔の地図を見るとこのあたりは渋谷村と麻布村が混在していて、渋谷村=渋谷区、麻布村=港区というくくりで考えないほうが、富士講/富士塚を知る上でヒントになることもわかりました。

さて、開催中の「渋谷の富士講」展は、展示スペースは小さいものの、大変濃い内容でした。

富士塚仲間のEさんから「身禄像はすごいですよ。思わず手を合わせてしまいました」と聞いていてましたが、私も全く同じでした。鳥肌が立ちました。

他にもいくつもの素晴らしい品がありましたが、私が最も心惹かれたのは、



図録の裏表紙にも出ているこの御神体です。富士山のふくよかなボリューム、退色しているけどかつては鮮やかな色をしていただろう朱と黒と白のコントラスト。そして、富士山の上部にある雲の上の仏、御幣、左右の日輪月輪が珍しい。

富士山型の御神体は、

品川区のや、
足立区西新井のや、
栃木県足利市の富士山が記憶にありますが、
講のお宅や神社にはこのような素晴らしい富士山が、た〜くさん眠っていると思うとわくわくいたします。

金箔をあしらった雲のつくりは、学芸員のMさんもおっしゃってましたが、富士吉田歴史博物館のコノハナが乗ってらっしゃる雲を彷佛とさせますね。私も、何か関連があるかも?と思いましたが、こちらは丸不二高瀬講社という千葉県市川市の行徳あたりの講ですから、繋がりはないでしょう。

ということは、「形式美」として定着した雲の3D表現。キント雲の渦の形は、神社などでもお馴染みですよね。

でも、富士山の上空にある雲に乗った仏は、「富士山牛玉(ごおう)を『具現化』したものと考えられる」という解説があり、その点に私はぐっときました♪ 平面を立体に表現したわけですからね♪

富士山牛玉(ごおう)の上部はこんなふうに仏がいらっしゃる。

さて、この展覧会には渋谷区にあった富士講のさまざまな活動が紹介されました。一番よく知られているのは、道玄坂を拠点にして隆盛をきわめた山吉(ヤマキチ)講ですが、



山吉講から分かれた山三講の様子もたっぷりありました。
白髭の先達の、お焚き上げをしている姿や、中道杖を手にしている富士山での勇姿がインパクトありましたね。その先達のことをよく覚えてらっしゃるお嬢様が、会場でとても華やかなオーラを放っていた錦子さまです♪

御高齢とは思えない若々しさ、頭の回転の早さとユーモア、少女のような純粋さも持ち合わせている方で、目がキラキラしていました。とにかくお話が楽しくて、お茶を御一緒しながら私はずっと笑いっぱなし♪

「こんな歳のとりかたをしたい」と思わせる素敵な方でした。

そんなわけで、先達や講のお話を聞くのをすっかり忘れてしまいました(笑)が、山三講にも富士塚があったことを付け加えておきます。塚のあった場所は現在の港区になりますが、先に書いたように、このあたりは土地の境界が時代によって曖昧なこと、また先達が渋谷区にも住まわれていたので、充分渋谷つながりでした。

山三講の富士塚についてはまた後で。。。



とにかくいい展示でした。
本当に御苦労があったと思いますが、図録も素晴らしい! 展示に間に合わなかった方も、ぜひ一冊お求めになることをおすすめします。

Mさま、お話をたくさんありがとうございました。お世話になりました♪
へぇ、國學院大学ってこんなところにあるんだ〜!
と、卒業式で華やかな様子をながめながら、春の光の中を歩きました。



大学の一隅にこんな石積みの山を発見。ちっさな遺跡みたい。
でも、ガラスに映った虚像のほうが好きです。(自分の姿を写さずに撮りました♪)



東の方角 ⇔ 西の方角

このあたりは、渋谷ではいちばんの高地かしら。分水嶺のような。。。
そこにあるのが、



白根記念 渋谷区郷土博物館・文学館です。

入口で素敵な方に出会い、閉館までとても楽しい時間をすごすことができました♪

つづく。。。
千葉県市原市五井の若宮八幡神社にある「北五井富士」。
去年5月まで、五井富士と呼んでいた富士塚です。
でも、五井には他にも複数の富士塚があるので、とりあえず「北五井富士」と呼ぶことにしました

さらに本日、友人からもうひとつの富士塚情報を得て、東五井富士もあることがわかりました♪(それはまたの機会に)

さて、北五井富士にある、ひとつのナゾがようやく解明しました。
(といっても、私が知らなかっただけでしょうが)



ピンクの印のところに「主杖流」という石碑があります。
お中道のところにあるので、富士山にもそのあたりだろうと思っていましたが、これがいくら調べてもわからなかった〜。一昨年、さる研究者に尋ねても御存知なかった。



まあ、北五井富士は「ご近所富士の『謎』」に紹介しなかったし、主杖流は今のところ北五井富士にしか確認していないからと、そのまま保留にしておりました。

ところが、「富士信仰研究」の第二号をパラパラ読んでいたら、オオッというくだりがあったのです。
竹谷氏がフレデリック・スタールの著書「富士山」(1924)を引用した文中に、「抂(手ヘンに主)杖流し」が出ていたのでした。

美術家にとってスタールといえば、ド・スタールですが(笑)、富士山ではフレデリック・スタール。この米国人が、「富士山」(原題はFUJIYAMA The Sacred Mountain of Japan)の中で、富士登山した体験を記しています。

中道付近の様子には
「表面は滑らかでその幅はそれほど大きくないが、不定形に上下する。これを抂(手ヘンに主)杖流し(手杖流し)というが、それはここで杖をひとたび見失うと、果てしなく滑り落ちるので、再び手にする望みが絶たれることを意味する」

へ〜。知らなかったけど、そんなところのことだったか!

【しゅじょうながし】という言葉について、竹谷氏も解説する。
「吉田付近の手杖流しは現在の不浄流しのことであろう。スタールの中道巡りでは再度手杖流しが出てくる。当時手杖流しは固有名詞ではなかったようで、赤沢に続いて現れる手杖流しは現在の執杖流し(手条流し)のことであろう」

え〜。「主杖流し」「抂(手ヘンに主)杖流し」「不浄流し」「執杖流し」「手条流し」だって!
漢字はよく変わるとはいえ、こんなにイロイロあるなんて!

国土交通省の富士砂防事務所のURLにはこう。
「富士山 『お中道』を横切る沢名の変遷」です。
その中には、上記以外に「修杖流し」まである。これで6コだ!

富士山には、『八百八沢』といわれるほど多くの沢があるわけです。
登山にくわしくないと、わかんないわけだな、と思いました。

では、現代の地図ではどんなか。



富士登山の本は買ったことないのですが、16回の登山経験を持つ私の母からもらった「富士登山ハンドブック」の初版(1987)が家にあったので、見たところ、「執杖流し」とそのルート(剣ガ峰の下に出る登山ルートにもなってる!!!)がちゃんと出てました。

それにしても、杖を手放すとタイヘンなことになるという、その沢。どんなんかな〜と思ってググッてみたところ、こちらのサイトに画像がありました。ご覧あれ。(このルート、登ってみたい!)
確かに、この冷え固まった溶岩流。落とした杖はツルツルと滑っていきそうです〜。

とにかく、
北五井富士を造った富士講員(山水講)が、中道めぐりの偉業をたたえて「主杖流」と刻んだ碑を置いたことは明らかですね。

富士塚にある地名をもとに、富士山の地形に興味を持ったり、好奇心がふくらむことは多々あります。【現象】として面白がっているのは私だけでしょうか。
昨年、目を患っていた方が快方に向かわれ、私が贈ったお守りのお礼を兼ねて、竹谷靱負著 岩田書院「富士塚考 江戸高田富士 築造の謎を解く」を送ってくださいました。



表紙のデザインに使われた、高田富士のミニ金剛杖(昨年のお山開きで頒布された登頂記念)の実物を乗せて撮りました。

昨年9月に刊行されたこの本は、すでに目(手ではなく)にしてました。同氏の過去の著書「富士山の精神史」「富士山の祭神論」は持っていますが、最近は高価な本(今回は手頃な3000円ですが)は手が出なかったので、図書館にリクエストして購入してもらったものを借りて読んでいました。でも、娯楽本と違ってこういう類いの本は持っていたいもの。大変有り難かったです〜♪

竹谷靱負氏は、今年元旦の日本経済新聞の文化欄にも、富士山の研究者かつ吉田御師の末裔として、記事を寄せていました。文中でふれていましたが、「富士山文化研究会」(前身は富士信仰研究会)の現会長でもあります。会は、故岩科小一郎氏の門下生の方々が中心となっています。

私も富士山文化研究会の発行する会誌の存在は知っていましたが、昨年2月、竹谷先生にお目にかかれた折に知り合えた、メンバーの方たちから原物をいただきました。現在10号ほど出ていて、どれも興味深い研究内容です。岩田書院から購入可

実は、ほぼ全刊いただいたのに、あまりに忙しくてしばらく本棚のこやしになっていました。【町歩き系富士塚PR隊員】の私ですが、ひそかに勉強は続けるつもりだったのに(すみませ〜ん!)。

でも、時折目を通すことがあり、先日は、ずっとナゾになっていたことが解決しました。

つづく。
先日、久しぶりに浦安の中央図書館に行きました。
近くの分館にはよく立ち寄りますが、やはりメインのほうは別格です。蔵書の数がすごい上、静かに読めるスペースや雰囲気も申し分ない。ここを訪れたら、奥の書架をチェックして下さい。他に置いていない本で出会えることもしばしばです。(日本一の公立図書館と言われるだけあります)

自分の本があるか、ちょっと棚をのぞきたくなりました。。。にしては、場所を把握していない(笑)。わからなくなったので、検索しました。すると、拝架区分が「中展」、資料状況は「特別状況」と出ました。

何だろう?どこにあるのだろう?と思ってメイン通路を歩きだしたら、



こんな感じに、その時期のテーマにまとめられる一角に、見覚えのある黄色い本が♪ 嬉しかったです。
その後、貸出中になっていました。(読んでくださってる方に感謝!)
有り難いことに、また最近、買ってくださる方も増えています。
心から御礼申し上げます。きっと、富士山のご利益がありますよ!


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【NHK 美の壷】
富士山特集 1月15日(金)3ch 22:00〜22:25です。


(本放送)教育 金曜日 22:00〜
(再放送)教育 月曜日(日曜日深夜)0:15〜
(再放送)BS2 火曜日 16:00〜
(再放送)BShi 金曜日 7:00〜
(再放送)総合 土曜日 5:15〜
浦安で初詣。地元で「神明(しんめい)様」と呼ばれる豊受神社に出かけました。
私は、年あけ直後に暗闇を歩いて神社に行くことが多いのですが、到着するといつも長蛇の列です。時には1時間も並ぶことがあります。でも、まわりの会話を聞きながら、ジリジリと前進するのも悪くありません。去年はこんなでした。

「やっぱベビーだよな♪」「な♪ 昔からコレでなきゃ」

高校生たち数人が話してました。何のことかと思えば、神社入口で売られる、屋台のベビーカステラの話でした。パシリ役の子が、25個入り500円の袋を抱えて戻って来ました。
後日、私も初めてベビーカステラをほおばりましたが、これが旨い!予想を遥かに上回る美味しさでした。

さて、今年は予定変更して、3日にお参りしました。

昼間だというのに、元旦のようにこれまたすごい参詣者の列でした。今年は特別かもしれません。このご時世、いつもより神頼みが熱心なのでしょうか。



本殿にお参りした後に、猫実富士に手を合わせる方も多いです。私は富士塚をお参りする人を見るのが好き。顎を上げ、頂上を見上げる時に、ふとピュアな表情になるからです。



浦安三社(清瀧神社、豊受神社、稲荷神社)が「ご利益散歩」のスタンプを始めました。三社すべてに富士塚が祀られているのは珍しいです。この日、私も3か所にまわろうとしました。

でも、清瀧神社に着いた時、ここでも長い列を見て、続きは後日にしようと思いました。スタンプの期限はないですし。

そのかわり、隣接のお寺に寄ることにしました。



訪れるたび、深い言葉にうなります。



池には、私のお気に入りの金鯉、ゴールディが大人の姿になって悠々泳いでいました。


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HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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