▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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社から上は、道はありません。
右下の池の脇から登れそうな感じはありましたが、
どうやらそこにも道らしきものはなく。。。

もう一度MAPを見てみます。



一旦車道に下りて来てから、すぐ脇の登山道をチェックします。



自転車を止めて、蛇行する道に入ると。。。



え?この巨岩は???



ひとつやふたつどころではありません。
長さ1〜2mもの大きな岩が、登山道に並べられています。
これはいったい。。。

自然石ではあるけれど、どう考えても山の上から転がってきた
とは考えにくい。道を阻むような置かれ方です。

とはいえ、人為的にも運べなさそうな(かなりの勾配でもある)
このおびただしい巨岩群はいったい何?
誰がここに置いたのか??? ナゾです。

登って来た道を振り返る。



自転車が下に見えます。
まだそれほど登って来ていないのになあ。
山の上には奥宮があるらしいので、確かめたい。
先を行きたいなあ。

それにしても、これは何の意味があるのだろう。
行くなということか。

どうしよう。巨岩を間をぬって上に進むべきか?



一つ目の折り返しの手前から上を眺めました。
先の登山道が見えた。どうやら上にも巨岩はありそう。

しばらく悩んだ挙げ句、
今回は先に進むことをやめました。(またトライすればよい)

通常のスタンスは 好奇心>多少の困難 でよいのですが、
現場で少しでも何かに妨げられている感じを受けたときは、
知りたい欲求<土地と自分の縁に従う を守ること。
これができなければ、聖地を訪れないほうがいいでしょう。

今回、特別イヤな感じは受けなかったけれど、
奥宮との波長が合わなかったと判断するのは正しいです。

道を引き返すことにしました。(目的地もあとふたつ)

つづく。。。





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角行の修行したと思われる長途路川の東側には



こんな低山が、ぽっこり待ち構えていました。
魅力的なコニーデ型♪ これはいきなり期待大!
自転車で麓の道を走り、登山口に近づくと。。。



一件の廃屋。現役の農具置き場になっていますけど。
そのすぐ先。



鳥居もないので通り過ぎそうになったけど、
ツタの絡まる木の影に、ひっそり立つ御神燈が目に入り、
急ブレーキをかけました。



ああここだ!
石段なきゆるやかな参道を少し登ると、



正面左手にプレハブ小屋、それに続く石段。
その手前には。。。



石橋?



川はないけど確かに橋がかかり、右奥には池?



池?沼?昔は川だった?
こんな位置に???



まあとにかく、小屋へと続く石段を行きます。



東耕地の仙元宮と類似した(いやそれより簡素か)
プレハブのお宮。手を合わせた後、不安になりました。

「こんなに簡素でいいの?」と。
だって、この中には。。。

「木花開耶媛命神像」高さ18.5cm

「食行身禄像」高さ22.3cm

手鏡となる「神鏡」高さ41cm

などの見事な信仰物が納められているのですから。
私が訪れた時は、まだ美術館にありましたが、
できれば出展後、所蔵先を変えてほしいと思うほど。
私が不安を覚えたというのは、セキュリティー面。

どうかどうか。。。
無事でいられるよう策を講じてもらいたいと思いました。
(個人蔵であることを祈っています)

とにかく、美術館で見た「木花開耶媛命神像」は、
朽ちていたものの、コノハナの装束は立派であり、
全体から伝わる気品に見とれるほどでした。

さて、このお宮の上には奥宮があるらしい。
それはここからでは行けない。
登山道を探す前に、下の池を覗き込みました。



濁った水は、どこにも流れない。
でも、橋がかかっていたということは、
昔はここが浄めの場だったに違いない。
かなりのナゾであります。

上を仰ぐと太陽の光がやさしく射し込んでいて、



静かな空間に聖地独特の空気を感じました。

まだつづく。。。





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東耕地の仙元宮には、富士山赤御影と水盤のマークのほか、
ふたつの石碑が特徴です。



木の幹に喰われた碑と、バッタンと倒れた塔は、
墓石と言うか供養塔というか。。。戒名が彫られています。



右の石には、「中興開山ゴウクウ妙王光清」と読めます。
中興と言えば、それに続く食行身禄の名を見ることが
多いのですが、ここでは村上光清。

村上光清は、身禄とは別の流れを組んだ村上講のリーダー。
南関東の富士講とはちょっと違う講です。
(ざっくり富士講のひとつに言われがちですが)

村上光清も、富士山信仰の歴史の中で重要人物ですが、
(富士吉田では、今でも地元の人は親しげに
「光清さんが。。。」などと話しています)
くわしくはまたの機会に書くとして。。。

この仙元宮には、古い参道があって、舗装道路と平行に
民家脇から続いています。



坂を下りながら、茂み越しに西方向が見えました。



鎮守橋の向こうにセブンイレブンがまっすぐ見える!
その先にあるのが、西耕地の仙元神社。
つまり、かつてここから西耕地の仙元神社(富士塚)が
眺められたということでしょう!

坂を降りきって泰明堂整骨院の前に来ると、



(仙元宮登拝の際にはスルーしたけど)この碑があります。
鹿島神社が村社となったのはいつかわからないけれど、
その真向かいに仙元宮があるのは、なかなか気づかれないでしょうね。

ここからの行き先は、



もう一度鎮守橋を渡って、長途路川沿いに北上し、
樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮へたどり着くこと。



右に「鎮守橋」が見えます。(北側から撮ったところ)

それにしても、
「鎮守橋」が、かつて「仙元橋」という名だったとは、
オドロキでした(情報をくださったカフェオレさん感謝です!)。
「仙元橋」の仙元は、もちろん仙元宮を指しているのでしょう。

もうひとつ、



前方の橋を渡ると蜜蔵院というお寺に着くのですが、



この「寺橋」も、旧名は「行者橋」だったとのこと。
「行者橋」の行者は、長谷川角行のことです。

「鎮守」といい「寺」といい、
なぜあたりさわりのない名前に変えてしまうのでしょう。
(富士山)信仰の証が人の記憶から薄れていくきっかけのひとつは、
こんなことも原因だったりするのでは、と思ってしまいます。

さて、長途路川は水量の少ない小川ですが、重要な川。
長谷川角行がこの大月町にやって来て、このあたりに水垢離をした
行場があると伝えられています。
角行が川の堤に桜の木を植えたとの伝承から、2007年に
「長途路堤桜保存会」が発足され、しだれ桜64本が植樹されました。

角行の修行場は、足利市立美術館で催された「足利の富士山信仰」
の図録にあったマップだと、



みっつの仙元宮(神社)を結ぶ線でできる三角形のほぼ中央。
蜜蔵院近辺だと思われます。



自転車の右側がお寺です。
う~ん。この辺ぽいな~。

お寺の北東端に巨木がありましたが、この木の下に来てピン!



「間違いない♪」

図録が示す行場地点より、ほんの少し上流だけど、
巨木の下あたりは、何となく空気が違っていたから。

それに、ここから見える風景(北を向く)は、魅力的でした。



小さな円錐型の山がいくつも重なって、
何というか、安らかな空間をつくっています。

もちろん、角行が修行した当時と地形が変わっているかも
しれないし、木だってその後に生えたのかもしれない。

でも、何となくでもこの直感は、信仰の足跡をたどる私にとって、
過去の人たちの想いに触れた充実感がありました。
うん。それで充分。

ちなみに、角行が長途路川で修行をしたというのは、
伝承からして間違いないと思われますが、

足利市公式ページには、別の地点が載っています(p52)

これによると、長谷川角行の修行場が袋川で、
利保(かかぼ)になってる!?

まあ、穿ったことはここでは流すことにしましょう。
この後、行きたかったのは、



樺崎町堤谷(つつみやつ)の富士仙元宮です。

等高線を見ていただくとわかりますが、
この自然の山、ほぼ完璧な円錐型です。

つづく。。。





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タイムリーなので、お知らせしときましょう。



東京都清瀬市が発行する市報「きよせ」12月1日号に、
中里富士で行われる「星祭り」が掲載されました。

私が撮影した、直会(なおらい)前の祭壇の写真も添えられています。

星祭りの様子は、こちらから。

星辰信仰がルーツとなる星祭りは、東京ではここだけでしょう。
貴重です!

今年の冬至は12月21日です。
朝9時くらいに中里富士に行ったら。。。一緒に拝めるかも。





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↓点線の道のりを歩きました。





4年前に歩いた道は、確かにここでした。

しばらく行くと、



左手にこのあたりの村社である鹿島神社があります。
ゆるやかに登って来た道を、振り返ると



こんな光景。右側に鹿島神社。前方遠くには小さな山々。
左の暗い(黒い)塊が、



小さなプレハブ。ここが、



東耕地の仙元宮神社です。
訪れた時は、赤富士御影は、足利市立美術館に展示されていたので不在でしたが、
今頃はこうしてお宮に納まっていることでしょう。

傍らの水盤には、



西耕地の水盤に刻まれた紋と同じものがありました。

さあて。ここがなぜ、富士山信仰に大事な場所か。
それは、赤富士御影の存在だけではないのです。

つづく。。。





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ちょっと寄り道:
生目神社の脇を西北側に降りると、小さな集落がありました。
利保と書いて「かかぼ」と読む。



彼岸花も可愛らしい、小川のせせらぎ。平和な時がゆっくり流れていました。
いつか来たことがあるような、原風景のような。。。

いつまでもそこにいたかったけれど、先を急がなきゃ。

カーブミラーで。

自転車の向きを変えて、もう一度山を越えました。
行き先は、東耕地。



国道293号線の、セブンイレブンのコーナーまで戻って来ました。



あの山の中にある神社を目指します。



長途路川にかかる鎮守橋を渡ると、



収穫された稲が眩しい。こんな風景、何年ぶりだろう。



見覚えのある農家の納屋につけられたプレート。





積まれた瓦も記憶にある。
ここは4年前に来たことがあるのです。

つづく。。。





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西耕地富士のある仙元神社は、地元の阿由葉家が勧請した浅間様。
(個人が浅間宮を小山に祀るというのはよくあります)

社殿の隣に小さな石祠がありました。



自然石の上に、何層もの切り出した石が積み重なっています。



屋根と祠本体の大きさが合っていない。(つっかえ棒が愛嬌です)



古そう。木漏れ日を受けて美しい。



「小御嶽」と読めます。



祠の背面。安政と刻まれているけれど、石は新しいでしょう。



土台の石には川上講の名が。



石工のナマエも。



仙元神社社殿と小御嶽を奥に、彼岸花。
この頂を少し先まで歩きます。



仙元神社のすぐ先に、生目神社。



かつては生眼八幡宮と言われていました。九州宮崎の神様だそうです。



このあたり、少しだけ展望が開けていて下方の民家や遠方の山々が見えます。
気持ちいいな〜とまどろんでいたら、何となく背後が気になって。。。



振り向いた。

そこには光を浴びた石仏たち。(傍らには小さなお墓?)
髪を高く結い上げて、誰ですか?
素朴だけどとても技のある。なんと左の仏はベンガラが塗られています。

宝暦年間からここで遠くの山を眺めているのですね。





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「立体富士曼荼羅」と名づけられた地域にある3つの仙元神社に向かいました。
美術館の近くで借りた自転車(太平記館に貸し自転車があります)に乗って、国道293号をずんずん走ります。



進路は北→東→北東に変わります。

 袋川にかかる千歳橋を渡り、

大月町に入ります。

 大月町交差点

 こんな広い国道をしばらく行く

まわりに小さな山々が見えてくる。期待大。
セブンイレブンの角を左折し、





旧道を渡るとすぐゆるやかな坂があり、



坂の途中に「西大月せんげん会館」があります。

地図には「浅間神社」とか「仙元神社」などの表記はありません(奥にある生目神社のみ出ていることが多い)。
いろいろ調べたけど(交番で住宅地図まで見せてもらった♪)、目印がこれです。



この建物の右側に遊園具が並ぶスペースがあり、その奥に



社(祠)が見えます。そこは盛り上がった山なのか、土地を削って作ったものなのか。

 自転車を止めて坂を登ります。



そこには、質素で小さいながらも立派な社がありました。



上の写真と似ているけれど、↓階段に注目。



社殿の土台の下はすべて、自然の石段です。
岩山の頂に社を設え、斜面を削って石段を作ったなんて素晴らしい!
これができるのは、この山そのものが「片理状構造」の岩石でできているからです。



振り返ると、私が乗って来た自転車が小さく見えます。
ここは、自然の山を利用しているとはいえ富士塚と言っていいでしょう。
南関東の(盛り上げて作った)富士塚とは違いますが、部分的に削って階段を作ったり、(おそらく)側面を彫り込んだり、明らかに山と意識しているからです。



水盤が少し離れたところにありました。

 

明治12年に奉納されたこの水盤には、藤の紋が彫られています。
これは、美術館で見た「家族参詣図絵馬」文久元年(1861)にも描かれている紋で、

↓図録より



かつて富士山西麓の人穴で催された冨士教の儀式で見た紋と同じです。



なぜ同じかは、またあとで。

つづく。。。





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美術館に展示されている「赤富士御影」も「富士山宝髻の大日如来像」もよかったけれど、私にはどーしても知りたかったことがありました。これが目玉3つめ。

足利市立美術館のサイトや、下野新聞の記事の中から気になったのが、これらの記述。

「当地には、角行が壮年期と最晩年の二回にわたり滞在し、富士山信仰を広めたという伝承もあり、三ヶ所に富士山を祀る仙元神社があります。富士講は次第に秘教化し、幕府による統制もありましたが、三社の仙元神社は立体曼荼羅というべき構成をなし、講中の祈りとくらしを支えてきました。」

「幕府の弾圧などで秘教化が進んだ北郷地区の大月、樺崎両旧村の富士信仰。角行の行場を囲んで三つの峰を形作る三社の仙元神社(樺崎町堤谷地区、大月町東耕地区、同西耕地区)と、天道山頂の日月神社、その麓の仙元大日(胎蔵界大日如来坐像)を祭り、富士山を遙拝できるように壮大な立体曼荼羅が築かれた。」

立体曼荼羅ですと?

気になって気になってしかたがない。
私は三社の仙元神社とふたつの浅間神社をあわせ、5神社の場所を確認し、



無事にまわって来ました。
(足利駅と足利市駅は左下。渡良瀬川を挟んで北がJR両毛線で南が東武伊勢崎線)

↓図録より


つづく。。。





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この企画展のふたつ目の目玉は、この大日如来像。



正確には「胎蔵界大日如来座像(仙元大日)」55×36×35(cm)
江戸時代 個人蔵
とある。
目映いばかりの金箔をほどこした(背面⅓は箔なしで、光輪は破損)仏像ですが、珍しいのはそのアタマ。

高く盛り上がった頭頂部が富士山のカタチだというのです。
正直なところ、実物を目にして(目先数十cmまで接近したけど)どこが富士山なのかよくわからないままでした
(この画像=図録の写真、ほど富士山ぽくはなかったので)。

大日如来は通常、宝髻(ほうけい)という髪型を結っていたり、宝冠を乗せています。たしかに高く結い上げた高髻を持つ大日如来像もあるけど、宝髻はまあこんなもんだし、ホントのところはどうなんだろうと思いつつ。。。

ううううう〜ん。やっぱりフジサンと太陽か?

つづく。。。





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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
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…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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