▲「富士塚」だけで日記が書けます♪▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
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この企画展のふたつ目の目玉は、この大日如来像。



正確には「胎蔵界大日如来座像(仙元大日)」55×36×35(cm)
江戸時代 個人蔵
とある。
目映いばかりの金箔をほどこした(背面⅓は箔なしで、光輪は破損)仏像ですが、珍しいのはそのアタマ。

高く盛り上がった頭頂部が富士山のカタチだというのです。
正直なところ、実物を目にして(目先数十cmまで接近したけど)どこが富士山なのかよくわからないままでした
(この画像=図録の写真、ほど富士山ぽくはなかったので)。

大日如来は通常、宝髻(ほうけい)という髪型を結っていたり、宝冠を乗せています。たしかに高く結い上げた高髻を持つ大日如来像もあるけど、宝髻はまあこんなもんだし、ホントのところはどうなんだろうと思いつつ。。。

ううううう〜ん。やっぱりフジサンと太陽か?

つづく。。。





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この企画展は、小規模ながらとても重要でした。
まず赤富士御影。展覧会の目玉のひとつです。
幅29.5×高さ52.5×奥行き12.0(cm)



もう4年も前になりますが、初山祭りのついでに足利の大月村を訪れた際、仙元宮の小さな社殿の中にこの赤富士御影を見つけました。


社殿が開かれていなかったので、賽銭投入口の小さな隙間からこの赤富士を撮影したのですが、その素晴らしさに釘づけになりました。無造作に置かれた御神体は、3mほど奥にあり、うっすら埃をかぶっていたけれど、私には輝いて見えました。

その時は鑑賞する時間がありませんでしたが、今回、その時の赤富士を目の前で
じっくり見ることができ、感動でした。

カメラに収めなかったかわりに、メモは取りました。



とにかく、これほど独創的で美しい御神体は、なかなかないでしょう。
特徴は3つあります。

まず鮮やかな赤色。ベンガラ(弁柄)塗りですね。
弁柄というと一般に「朱色」つまりバーミリオン系(朱肉や赤鉛筆の色。やや黄を帯びる)が真っ先に思い浮かぶと思いますが、実は暗い赤までいくつかのバリエーションがあり、



この御影の赤に使われた弁柄はこのくらいの深みでしょう。
(生木に塗るとトーンも変わるけど)
とにかく発色が失われていなくて美しい。江戸時代のものです。

特徴のふたつめは、洒脱なデザイン性と大胆なカービング(彫刻)。
概して富士山は左右対称で単純な形になりがちですが、添えられた雲が左上から右下にかけて斜めに配され、これによって動きが出ていること。

ムクムクと盛り上がる部分と流れる部分がバランスよく富士山にまとわりついていて、表情豊かな逸品というだけでなく、富士山の自然(めまぐるしく変わる天候)もあらわしているように思います。

下のほうは、「人穴」を含む山麓(犬涼山)とそれに続く山なみで、ベンガラ着色は中央から右にかけて一部のみ。着色の塗り分けによって遠近感が出ています。

人穴は意外と奥行きが深く、厚み12cmの反立体(背面は真っ平ら)の、半分以上まで彫り込んであります。また、穴の深さを強調するために、穴の上部と奥を黒く塗ってあります。
(黒色は、富士山山頂から山際までも塗られてありました)

線刻(カービング)は、富士山山頂は繊細で、それ以外は粗々しい。
迷いのない鋭い彫り込みが、躍動感を添えていて味わい深い。本当に素晴らしい!

特徴の3つめは、「人穴がある」というそのこと自体です。
足利は、江戸で富士講が発生する以前から富士山信仰があり、
理由は角行が訪れ滞在していたからだといいます。
(それについてはまた後で)

この赤富士御影は、私の中で最も印象深い御神体となりました。
品川の丸嘉講が持っている白富士御影と双璧を成す存在です。

ちなみに白富士御影は、人穴または胎内はないですが、火口が深く彫ってあり、
その穴に御幣を立てられるようになっています。

赤富士御影も白富士御影も、美しさ+トリッキーなところが魅力ですね。

つづく。。。





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関東各地に富士山信仰はありますが、北関東、特に栃木県足利のそれは、南関東と違った濃いものがあります。
現在、足利市立美術館にて「足利の富士山信仰」という企画展が、今月28日まで催されています。



日比谷線を乗り換えて、北千住から出発した東武伊勢崎線「特急りょうもう」の車窓から、五反野富士が目に飛び込んできました。

登拝ができないこの富士塚の、高架から見るその姿は素晴らしい山容でした。
一瞬のことでカメラの準備ができなかったので、Googleの画面でイメージしてもらいましょう。



五反野富士です

つづく。。。






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琉球八景のナゾ、アゲインです。

長虹堤の最後の道のりです。
H地点から西は区画が全く変わってしまったので、
正確なルートを辿れなかったけれど、国道58号線付近を確認できました。
(パープルの3地点)




I地点。目標は「玉木米屋ビル」。まだ、58号線の東側です。




J地点。道路を渡って振り返ったところです。背後は玉木米屋ビル(1Fに琉球銀行)。




さて、最終のK地点。現在は玉木米屋ビルのウラにある、玉木米屋駐車場です。



今はなあんにもありませんが、かつて、この長虹堤の西端には、イベガマがありました。
イベガマとはチンマーサー(八重山ではツンマーセ)のことでもあります。

道の中央に大木が植えられていて、村に侵入する邪悪なものを遮る結界のようなスポット。石を積み回した聖地という意味です。


明治のマップに寄ってみるとほら↓



さてさて。ようやくここまできました。(長かった〜!)


長虹堤を、海側つまり(球陽八景)琉球八景の描かれた視点から眺めてみたいと思います。


それも鳥瞰で!



つづく。。。






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「七つ墓 ナナチバーカー(七星山)」に到着。大きな★のG地点です。



昔の美栄橋は、江戸時代には位置も東寄りに架け変えられました。
沖映通りも昔の地図にはありません。

ここで、琉陽八景&琉球八景をもう一度見てみましょう。



絵は、地図とは真逆の位置から見ています(海側から内陸を向いている)。
美栄橋のような橋の左奥にある小山(明治の地図では緑に着色した左の山)が、
位置的に、七つ墓に見えます。

「七つ墓 ナナチバーカー」の名は、7つの墓があることが由来ですが、
盛り上がった琉球石灰岩の小山全体を指します。先に書いた十貫岩と同様、
おそらく昔は海に浮かぶ小島だったのでしょう。

冊封使が「七星山」と記したことから、その名も地図に残っています。

那覇の人たちにとって、ナナチバーカーといえば幽霊伝説。
(伝説に関しては、長くなるので割愛しますね)

位置的に、十貫瀬通り(十貫瀬の前 ジックワァンジヌメー)の西端の起点
であるからなのか、七つ墓=十貫岩と言われます(看板にもそう出てる)が、
ふたつの似た岩山は(構造的に同じだけでなく、逸話や伝説もあることから)
途中から混同された可能性があります。

ゆいレールの美栄橋駅プラットフォームからの写真↓



かなり大きいですね。
画像の左上に見えるジュンク堂書店のサインは、沖映通りに面した
D-naha(元ダイエー)のビルの上にあります。

ん? 売り地だってぇ??



近寄ってみると「那覇市都市計画地/投資向き 361坪」
(複雑な気持ちになるのは避けられませんが。。。)
岩山すれすれに民家があります。プライバシーにふれるのでボカシましたが、



かざぐるまが何本もあったので、ここだけ出させてもらいましょ。
カジマヤー(風車祭)が、近隣またはこのお宅から出た証拠。
97歳になると、子供に還るという意味で風車を持ってお祝いするのが
カジマヤーです。

山の東側に回り込んでみました。



確かに立派なお墓!



こちらも民家がすれすれ。というかお墓と一体化していました。
沖縄では、この世で住む家よりもあの世で住む家(お墓)を立派にしたい
という気持ちが強いので、しばしば度肝を抜くお墓に出会います。
(与那国島には1億円かけたゴージャス墓もあるくらい)



お墓越しに、ゆいレールの列車が美栄橋駅に滑り込んできたのをパチ。



長虹堤を渡りながら、冊封使たちも目にした岩山ですが、
もしかしたら、この光景は長く続かないかもしれませんね。

H地点より↓



久茂地川にぶつかる最西端。
このあたり(背後が川)に美栄橋があったのでしょう。
頭上には、ゆいレールが走ります。

つづく。。。




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ひとつ前の記事、丸の内朝大学の
「富士山雑学登山クラス 〜日本一の霊峰富士山を学ぶ、知る、登る〜」
は、あっと言う間に40名の定員に達し、締め切りになったもよう。
レクチャーを2回任された私も、楽しみながら頑張らせていただきます。

さて、琉球八景のナゾのつづきに戻ります。

まだ、「長虹秋霽」の舞台となった長虹堤(約1kmの行程)跡の
前半を歩いています。

今回は(元)崇元寺橋の南側から西に向かってつづく「十貫瀬」という道。

十貫瀬と書いて「じっくわぁんじ/じっかんじ」と読みます。
名の由来は、十貫岩と呼ばれる岩のあったことから。この岩は健在です。

明治初年の地図に現在の地図を合わせたものを参考に。



マップのAの位置から北を向いて撮った図↓



かつての崇元寺橋の麓(南側)から牧志長虹橋とゆいレールが見える。

L字に曲がって西を行くと、



ちょっと殺風景。でもこのあたりは、かつて飲み屋で賑わった社交街。B地点。



ほとんどが店を閉めたけど、スナック愛はブリブリ営業中。C地点。



「愛」の隣に立派なビルがありました。実はとっても沖縄っぽい。D地点。
1階にはかつて、数件の飲み屋さんがありました。

真ん中のドアは、



渋くていい感じ。



5年の月日がこの味わいを作ったのですね。



ビルの東端にあったのは、門の奥にトイレ。(飲み屋街によくある位置)
門の装飾は、どうやら富士山の一部のよう。



西側には、階上の住人のための入り口があり、門扉が開いていました。





先の門と対になった装飾ですが、こんなところで、



フジサンに出会うとは!
実は、この門扉、かつて沖縄では一般的だったようで。
(ある写真集で、北谷 ちゃたん に同じ物があったのを確認)

ビルを出て、十貫瀬を進みます。前方に見えるのは、



こんもりとした緑の森。那覇の中心部でもこんな光景はよく見ます。
ここまでD地点。





その中は、たいてい数基の古い墓(亀甲墓)が息をひそめています。
これが十貫岩であります。E地点。

「昔旅人あり、銅銭十貫文を岩上に置き忘れ、数年の後に訪ね行きしに、
 もとのままにありしとて、斯く呼びなされた」
という伝承から、この岩を十貫岩と呼び、この前の道を「十貫瀬」としたのです。

F地点に立ち、道(沖映通り)を隔てて見るもうひとつの森は、
「七つ墓 ナナチバーカー(七星山)」です。



七つ墓が十貫岩であるという説が一般的ですが、
どうやらふたつの岩山(墓を抱えた)は、昔から似て非なる
存在だったと思われます。

明治の地図の中、緑に着色してみた、ふたつの小山のことです。


つづく。。。




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琉球八景のナゾの途中ですが、ひとつ告知をば。




おっと、こちらがホントのロゴです〜↓


【丸の内朝大学】 東京の方にはよく知られていますね。

「my朝を、たのしもう」
と、出勤前のビジネスピーポーに人気の濃い講座がたくさん。
丸の内界隈に用意された各所で、お仕事前にギュッと学習できます。

この夏は「学んで登る富士山」のコースが登場します。





↑クリックでサイトにとべます。

ゴールは登山ですが、いろいろいろいろ学べます。
山屋のプロに混じって、私は富士山の信仰と富士塚を担当します。
実際、フィールドワークで富士塚でもレクります〜。

山屋 : 登山家のコト。昭和30年代、スキーヤーに対して呼ばれ始めてから、一般に呼ばれます。



知識欲って満たされると、人間、輝きますもんね。
きっと充実した時間となるでしょう。
15日から申し込みスタートですよ〜♪
(なんと、8月26日は吉田の火祭りの日!)





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崇元寺(跡)を後にし、

(現)崇元寺橋を渡ります。

長虹堤を、現在の地図に落としてみました。
ピンクの部分がかつてのルートです。

←クリック!

(現)崇元寺橋は、昔の位置より東にずれているのがわかります。



その近くに「牧志長虹橋」がかかっています。

←紫色の部分です。

新しい橋ですが、唯一「長虹」の名がついた場所です。



かつての長虹堤ルートに対して、直角つまり全く無関係の位置
ではありますが、長虹という名を残している意味で貴重です。





「まきしちょうこうばし」
刻まれた幾重もの曲線は、おそらく虹を表しているのでしょう。



ゆいレールすれすれです。
ちょうど、頭上を首里城バージョンの車両が走って行きました。

つづく。。。




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看板の説明を見るよりも前に、おおよその情報は得ていましたが、
かつての長虹堤を歩くのは感慨無量でした。

明治初年の那覇が記された「那覇読史地図」というものがあります。
(那覇市歴史博物館でコピらせてもらいました)


↑クリックで大きく!



↑「長虹堤」に寄ってみたところ。
まわりはすっかり埋立て地です。

白字で書き出してみましたが、左から、
イベガマ、長虹堤、美栄橋、七ツ墓、十貫瀬、崇元寺橋、崇元寺。
崇元寺橋(安里橋)は、現在の安里橋とは違います。

まずは、崇元寺からイベガマの方向に歩きました。



牧志駅近く、国際通りと崇元寺通りの交差点に立つ。

崇元寺跡にたどり着く。3つのアーチ門があります。



門から中を覗いてみたら、

巨大なガジュマルの樹!



時間が。。。



止まっているみたいだ。。。あの門の内側からこっち。

石門の上に昇ってみました。

厚みがあってとてもしっかりしています。



奥は公園になっていました。

ここに臨済宗・崇元寺があったのです。

気持ちよい空間に思わず忘れそうだったけど、
目的は長虹堤を歩くことでした。ちょっと急ごうかしら。

つづく。。。




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仮説は追々書くとして。。。

検証するには、自分の足で歩き、現場を知ることが大切。
ひとつずつ、描かれた場所を歩きました。

まずは「長虹秋霽 ちょうこうしゅうせい」。

同タイトルの漢詩「長虹秋霽」を詠んだのは
冊封副使の徐葆光(じょほうこう)です。
(2つ前の記事参照)

彼が「院旁八景 いんぼうはっけい」の中で
この詩を詠んでいなければ、
周煌(しゅうこう)が「球陽八景」を残してなかったし、
北斎が、球陽八景を見ていなければ、琉球八景を描くことは
できなかったわけで。。。
それを考えると、徐葆光の存在は大きいです。

徐葆光はあの「中山傳信録 ちゅうざんでんしんろく」の著者です。
(中山とは琉球の別称)
" あの " と強調したのは、中山傳信録は、琉球を知る上で
重要な資料として知られているからです。
(尖閣諸島問題でもか?)

周煌が書いたのは琉球国志略でしたが、徐葆光は中山傳信録。
いずれも中国の皇帝へのレポートですね。
でも、「院旁八景」は、公文書である中山傳信録の中でなく
「舶中集 はくちゅうしゅう」という私文書にある漢詩です。

ハナシがそれてしまった。どんどんそれそう。。。
ではちょっと戻して。

「長虹秋霽」の詩は下のとおりです。

   跨海臥長隄
   秋來宜曉望
   腳底彩雲生
   月在虹霓上

和訳がなくても、何となくわかるでしょう?

↓那覇市内のゆいレール「美栄(みえ)橋駅」下にある看板から


タイトルにも長虹とあるように、これは海の中の長〜い橋のこと。
名は「長虹堤」。絵の中央にもひょろ〜っと橋が架かっていますね。
「浮道」と呼ばれる海中道路のことです。

実は、かつて那覇は、いくつもあった島から成っていました。
浮島という名も残っているくらい。
中国から来た冊封使の使節団が、那覇から首里を目指すのに、
船で渡っていくのが不便だったため、長虹堤が作られたのです。
(1452年築)

↓看板には、かつての那覇の鳥瞰図と現在の市街図も載っています


長虹堤は、イベガマという拝所(市街図ではチンマーサー跡)
から崇元寺(現在は跡地)まで、ほぼ1kmの行程でした。

江戸後期にはまわりはすっかり埋め立てられていましたが、
長虹堤跡として、道は往来に使われていました。

↓戦前の写真が残っています。


現在は町並みもすっかり変わりましたが、私は
かつて海に架かっていた長虹堤の跡を何往復もしながら
丁寧に歩いてみました。

つづく。。。





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プロフィール
HN:
芙蓉庵 (Yoko Arisaka)
性別:
女性
自己紹介:
▼▼▼【富士塚】とは▼▼▼
…………………………………
富士山に登りたくても登れな
い人たちの為に、江戸時代に
関東各地に造られた「人造富
士山」のこと▲です。富士山
を信仰する▲▲▲富士講によ
るもので▲▲▲▲▲したが、
地元に▲▲▲▲▲▲▲ミニチ
ュア▲▲▲▲▲▲▲▲▲の富
士山が出来たことで、多くの
人が登山でき、大流行しまし
た。民衆のパワーですね♪♪
富士山の溶岩をのせ、一合目
から頂上まで登れるようにな
っています。意外なところに
ひっそりたたずんでますよ。
…………………………………

▼▼▼【芙蓉庵】とは▼▼▼
…………………………………
美しい作品も好きだけど、コ
ンセプトありきで表現するこ
とに喜びを感じるビジュツ家。
表現形態はこだわりません。
現在、富士塚のコンセプトに
インスパイアされ、色々な媒
体で表現。著書の【ご近所富
士山の謎】【富士塚ゆる散歩】
も、私にとっては作品です。
なぜ富士塚か……それは、海
外生活での体験から。詳しく
は本のあとがきに記してあり
ます。

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